どうして人は傲慢になっちゃうんでしょうか。
こんばんは。キュイです。
今日はちょっと疑問に感じたことを。
何がきっかけで「わがまま」になっちゃうの?
気になるんです。
「わがまま」って、まぁ良いも悪いもありますよね。
知り合いの親子なんですけどね。
めちゃくちゃ似てきたんです。性格が。
「わがままで傲慢」。
まさにこの言葉が似合う性格。
どんな印象を持ちますか?
恐らく、一般的には非常に嫌な性格。非常識。自分勝手。
そんな言葉が並ぶのではないでしょうか。
はい、正解でーす。
この親子。まさしくその通りなんです。
わがままくらいで済めば可愛いものです。
そこに、非常識で自分勝手と入りました。
これはもうアウトです。
まず、親の方。
いわゆるシングルなんです。
だから、ほぼ1人で自由気ままに過ごしてきたんですよ。
しかも、威圧タイプなので、周りは何も言えないのです。
だから、誰からもそのわがままさや、迷惑をかけていることなどを指摘されなかったんです。
やっぱり人って、怒られたり叱られることは必要なことですね。
本気で叱ってくれて、思ってくれる人がいない。
これが歪んだ性格の理由ではないでしょうかね。
年齢も年齢なので、こちらはもう改善の余地もなく、本人も気にしていないようです。
恐らく、自分を肯定して付き合ってくれる人と自由に過ごしていくのではないでしょうか。
そして子供の方です。
こちらも、元々はそんなに嫌な性格ではありませんでした。
ちょっと変わり者、くらいのものです。
でも、気づいたらどんどん親に似てきて。
まぁ、確かにわがままでしたよ。でも、傲慢までいかなかったし、ある程度人に合わせることができていました。
人の話も聞いていたし。
でも、何かのきっかけで、気づいたら親に似てきてるんです。
わがままは度を過ぎて、それが通ると思い込んでいる。
まさしく、傲慢。
そして、自分の都合ですべてを考え、人にものを頼むときも、お願いではなく、命令口調。
まさしく、自分勝手。
普通の人なら、気を遣って言えないようなこともズバズバ言う。相手がどう思うかも考えずに。
まさしく、非常識。
こちらはまだ年齢は若いので、改善の余地はあります。
でも、本人がその気はない。
自分が間違っていて、おかしいことに気づいていないんです。
怒る、叱ることをすれば、逆ギレで、話になりません。
だから、この人のことを思って伝えても無駄、となってしまい、間違いを正してくれる人がいなくなります。
親と同じ道をたどる可能性がありますよね。
この子供、なぜ突然こうなってしまったんでしょうか。
きっかけがあるはずなんです。
大体想像はできます。
いわゆる、承認欲求。
この人は、承認欲求に憑りつかれてしまったんです。
自分を認めてくれる、承認してくれる人に囲まれてしまった。
それ以外の人を排除することができる環境を見つけてしまった。
つまり、自分を肯定してくれる人だけが残った世界を知ってしまったんです。
だから、自分を否定したり、間違いを指摘する人を拒否するようになってしまったんだと思います。
自分の気に入った世界だけを信じ、それ以外はどうでもよくなる。
だから、相手の事を考えない発言をしたり、平気でおかしなことを言えるんです。
「わがままから傲慢」になった末路
この親子、面白いことに仲が悪いんです。
こんなに似たもの親子なのに、とてつもなく仲が悪いんです。
お互いを否定しているんです。
お互いがお互いを「あいつはダメだ」と言うのです。
いくら表面上、良い風に作って接しても、必ずお互いのたった少しの言葉遣いや態度だけで、それが癇に障って言い合いになるようです。
そして、お互いがお互いの悪口を誰かに言う。
そう。本人たちは何もわかっていないんです。
この人たちが言う「悪口」は、相手の評価を下げようとするものです。
だから、かなりえげつないんです、中身が。
一言の悪口では収まらず、過去にあった出来事まで話すのです。
つまり、とことん評価を下げようとする。
あいつはこんなに悪いやつだ。おかしいやつだ。
そういう伝え方をして、相手がとにかく悪いやつで、おかしいんだ、分かったか?という同調を求めているんです。
このような悪口を聞いたとき、どう思いますか?
例えばこんな感じ。
「●●が、私に生意気な口をきいたんだ。親に向かってありえないでしょう?大体昔からおかしいんだよ、●●は。前もさ、こんなことがあって・・・。ね?ありえないでしょう?本当に最悪なんだよ、●●は。」
どう思います?
私だったら、子供のことをここまで言う親がいるんだ、と思います。
親子ではなく、友達の場合もそう思います。
親なのにこんなことを言うんだ、この人は。
友達のことをこんな風に言うんだ、この人は。
つまり、この悪口を言っている本人のことも、嫌なイメージを持ちますよね?
分かってないとはそういうことなんです。
本人からすれば、相手の評価を下げたいからボロクソ言います。
でもそれは、結果的に自分の評価も同じくらい下げさせることなんです。
なのに、そのことに気づかない。
なぜか。
それは、周りには自分を肯定する人間しかいないからです。
それはおかしい、この人はこんなことを言う人なんだ、と思っても、それを口に出して言える人が、周りにはいないのです。
本人が、そういう世界を作っているから。
きっと本人は、これで相手の評価を下げることができた、自分はなんて可哀そうな人なんだと思われた、と思ったでしょう。
でも、本当は違うんです。
その場ではうんうんと頷いていた人たちも、心の中では「この人、嫌だな」と思っていたりするんです。
こうして、自然と関わらないように少しずつ離れていく。
きっと、本人たちはそのことに気づかないんです。
離れていったことに対して、自分が悪かったとは思わず、性格が合わなかったと思うのでしょう。
そして、いつかこの離れていった人のことを、また誰かに悪く言うのです。
何度もそういう場面を見てきました。
確か前は仲が良かったはずなのに、なぜ悪口を言っているんだろう、と何度も思ったことがあります。
本人は、相手が悪いように言います。
でも、本当のところはどうなんでしょうか。
それは本人同士にしか分からないことなので、一概には言えません。
ただ、実際はその人の悪い部分が見えたことにより、被害を受けたくない人が離れたんだろうと思っていますけどね。
因果応報というのでしょうか。
結果的に、お互いを悪く言うことで、相手の評価を下げるつもりが、実は自分の評価すら下げている。
そのことに気づかないで、知らない間に仲間がいなくなっていく。
そして、残ったのは、自分を肯定してくれる、というよりもしてると思われる人たち。
だから、自分の都合の良い住みやすい世界になるのです。
傲慢になった結果、自分は居心地がいいかもしれませんが、よく見ると、上辺だけで繋がった残念な世界に、ポツンと1人いる状態になっているのです。
知り合いの親子の話でした。
私が、この親子を率直に見た感想です。
私自身は、特に離れたうちの1人という訳ではありません。
でも、客観的に見て、きっとこうなんだろうな、と思っています。
私は離れていかないのか?
きっと、我慢できなくなれば離れるでしょう。
むしろ、離れていかれる側の可能性もありますね。
私は、ここまで人を蔑むような言い方はできません。
ビビりなので、こう言ったらこう思われる、というのを知っているからです。
どちらかというと、人の顔色を伺いながら生きている人間なので、同調するフリをしていると思います。
ただ、正直に言うと、ある意味良い見本がいると思っています。
こんな風にはなりたくない、という反面教師になっています。
こんな風に言うと、こんな風に思うんだ、と勉強になりますね。
そういう風に捉えることが出来る私も、ちょっとおかしい人だったりして?