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「サラバ!」オーディブル感想|読書体験との違い:正直な感想と後悔
オーディブルで「サラバ!」を聴くということ
「サラバ!」がいいと予てから聞いていた。
オーディブルがいいと最近よく耳にするようになって来た。
オーディブルのコンテンツを見ていると「サラバ!」があるし、オーディブルセール期間中だし試しに丁度いい。
それがオーディブルで「サバラ!」を聞くきっかけだった。
西加奈子作品との出会いと、本作への期待
西加奈子さんは、「漁港の肉子ちゃん」を読んだくらいだ。肉子ちゃんのキャラはオモシロかったが、西さんをその後追って読もうという気には中々なれなかった。
「サラバ!」も結果的に肉子ちゃん的な小説系列かもしれない。ボクはこの手のキャラ立ち系に惹かれるのだろう。
さて、今回はオーディブルで「聞く」「サラバ!」の感想を書きたい。
最後まで聞き終わって、正直「サラバ!」は初見は自分の目で読みたかったと後悔。
オーディブル朗読体験:戸惑いと心地よさの狭間
オーディブルで「サラバ!」を聞いてみて、朗読初体験のボクは最初は戸惑った。子どもの頃の絵本とは違い、文学的な文章を他人の声で聞くことの抵抗を感じた。だがそれも次第に馴染んだ。
寝る前に聞くようにしていたが、集中して物語世界に入れるようになって来た。
一定のスピードで流れてくる物語は聞き心地はいいが、やはり自分のペースでない分、気になる表現があってもスピードを緩めることができない。(できるけど)
これが実際の読書なら、気になるページに止まってずっと読み返すこともできたりするが、オーディブルの場合止める操作も一々煩わしい。流してしまう。
この時は映画を受動的に見ている感覚。
「サラバ!」は有名俳優による朗読だった。これも如何に…。
ところどころ彼の顔が浮かび上がる。ボクは正直邪魔だった。
「サラバ!」朗読:原作+αの複雑な味わい
映画化されたモノが原作に忠実に沿って作られた、と言われたところで読んだ人それぞれの感じ方、見方が異なるはずなのに、「忠実」を前面に打ち出すことに違和感を感じるように、「サラバ!」に読み手や恐らくプロデューサー的な人が入った時点で「原作+介入者」の作品になってしまったと感じてしまうナイーブな人はオーディブルには向いていない。
そんな人は原作を自分で読んだ方がいい。
小説の読み方、感じ方に正解も不正解もない。自分の感性に従うまでだ。特にこの小説では、自分なりの感性が求められたはずだ。
それが朗読という介入が入ることで多少の自分の感性に影響が与えられたのは、影響として見逃せないくらい大きい。
「サラバ!」という作品:読者を試す物語
全体的に長いと感じるかもしれないが、最終的に行きつくところまで付き合うと必然であったかと。人生に無駄なモノはあるようで実はないのと一緒で、端折るとその人の人生の大事な根源的な部分を実は見られていないと同じく中々端折れないのだろう。
回り回って無駄を過ごしてもその無駄のように見えていたものがその人そのものを形成していたことがままある。過程を端折っては根源的なモノは見えないのだ。
この「サラバ!」は読む人を試されているように思う。作者が意図しようがいまいが。
何処に感じ、
何に感じ、
誰に感じ、
何を信じ、
どの場面に感じたか…。
ま、小説とはそういうものだと言われれば、身も蓋もないが。w
私的「サラバ!」論:アーヴィングと「ホテル・ニューハンプシャー」
この小説の中でボクとしては、
ボクの第一大好き作家ジョン・アーヴィングを、
ボクの第一好き作品「ホテル・ニューハンプシャー」を、
主人公が影響を受け小説家を目指すという展開に嫉妬を覚えつつ、かなりの親近感を持つという個人的な体験を朗読を聞きながらした。
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そもそも西さんは、アーヴィングのような物語のような小説を書きたくて「サラバ!」を書いたのだろう、と最後の最後でボクは感じた。
傷つく姉、語るボク、個性的な家族、その絆、渡る世界各国、マイノリティ、「ホテル・ニューハンプシャー」そのものだ。
エンディングに力を入れているのもアーヴィングばりのストーリーテリングの手法のように感じた。
結論
ただオリジナリティーとしてはお姉ちゃんのキャラ設定での遍歴でのこと。
また、関わる人たちでのこと。日本らしいし、日本人らしい。
お姉ちゃんキャラは全然日本人を超越しているキャラだけれど、恐らくたまに出現するだろうタイプ?
これは小説ではなく、現実に居てほしいし、日本に帰ってきて活躍してほしいと。将来は彼女のような人が日本に多くいないと恐らく日本は変わらないだろう。そんなタイプ。
この小説は恐らく信者を生むだろう小説タイプだが、ボクはその点では生憎信者にはなり切れなかった。
出会いがオーディブルってのも原因だろうか…。
或いは、ジョン・アーヴィングも起因しているのだろうか…。
ともかく、良い小説であることは分かるが、心底絶賛するに至るにはあと一つ何かが「今回の出会い」では足りなかった。