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毒親 | 憎しみからフラットな場所へ

自分は毒親育ち
愛されてこなかった
必要とされていなかった

あんな辛いことや酷いことをされたんだ
私は愛情不足で、何も満たされていないと
今までは、そうずっと信じてた
親を憎む気持ちを持つことで
何かを達成できない自分の心を埋めてた
親のせいにして
色んなことに向き合ってるつもりになってた

ネガティブな記憶は強烈に残っていて
嬉しかったことはどうして霞んでしまうのか
何年も忘れてた母の優しさや愛情を、
最近ようやく思い出した

とっても小さなことだけど、あったんだ
あの時確かに感じた感情が、
忘れてただけで 急に湧き出した

今まで散々「ない」にばかり目を向けていた
愛されていない
必要とされていない
期待されていない
認めてくれていない
そう感じたのは確かに事実

でも、それだけじゃなかった
ちゃんと満たされたことも『あった』
今までは「みようとしてなかった」
「気づきたくなかった」
それは、「憎みたかった」から
そこに淡い思い出なんていらない
記憶から削除して
悲しい、辛いことばかりを
頭のデスクトップにデカデカと飾り付けてた

私には母との良い思い出なんて1つもない
そう思いたかっただけで
実は、、たくさんあったみたい


そっちに目を向けてみたいと思った


家族からもらえるエネルギーって強い

3年前、仕事に行く前母に話しかけた
「髪型変じゃない?」
「大丈夫よ」
「仕事行ってきます』
「行ってらっしゃい」
たったこれだけ
なのに、涙が出そうになった
久しぶりに話した 死ぬほど何気ない会話
その日はいつも以上に仕事を頑張れた

言葉にしがたいパワーが体にあって
温かさを感じられた
こんな小さな会話から底知れない力をもらえるなんて
家族って、親って、愛って
多分きっとこういうことを言うんだろな

もうかなり前のことだけど
今回母のことを振り返って思い出した
「ない」ことばかりだと思ってたけど
ちゃんと「あった」

親子関係に向き合うことって
本当にしんどい
心をえぐられる
癒えてない傷口の蓋を開けるんだから
痛くて当然
目を背けたいし 逃げたいし 攻撃したくもなる
ただ、蓋をしてるだけじゃ一生チクチクしてる
中を開けて細菌を取り除かなきゃ根本解決は無理

向き合うか、切るか、そのままか
もちろん人それぞれだけど
私は向き合ってみて、
人生の根本から変われる気がした
今までずっと諦めていた「家族」を
今からでも感じられるんじゃないかと思えた



今はまだ自分1人で向き合ってるけど
いつか、いつか母に直接言えたらいいな
お墓の前でなら言うかも、なんて思ってたけど
お互い生きてるうちにね
伝わんないから
気持ちは、、言葉に乗せなきゃ届かないから
いつか言えたら良いな

半年前までは
本気で絶縁しようと思ってたのに
ここまで気持ちが変わるなんて、、
自己受容と内観を始めてよかった

いきなり仲良しになる必要はないから
まずはフラットな場所まで行ってみたい
母に怯えるんじゃなくて
感謝できるようになりたい

そんなことを思いながら
会社のお昼に内観してました

読んでくださりありがとうございました
あなたならどんな選択をしますか?

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