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「デジタルミニマリスト」は単なる自己啓発じゃない、面白エッセイ本
「デジタルミニマリスト」について
「デジタル・ミニマリスト」はカル・ニューポートによる自己啓発書だ。
この本はタイトルの通り、スマホなどの電子機器の使用を控える「デジタル・ミニマリスト」について早期に啓蒙した書籍である。
スマホ依存がちな現代人なら心当たりのあることだし、休日に五時間、六時間適当にスマホをいじって、もったいないことしたーって経験は多いだろう。
現在ではスマホを手放せない現代人という構図は自明のものに近い。
ネットで流布される残念な要約 捨てられた興味深いエピソード
この本の要約をするなら、スマホを長時間使わないほうが良いというその一点に尽きる。ありきたりだ。
この本にはスマホから離れるためのライフハックがいくつか載っている。
そのライフハックをまとめたものが、章タイトルとしてわかりやすい見出しになっている。以下の通りだ。
ステップ1 テクノロジー利用のルールを決める
ステップ2 三十日間、ルールに従って休止する
ステップ3 テクノロジーを再導入する
この本は約300ページあるが、テクニック的なものを大まかにまとめると簡潔に言えばこれで終わりだ。極めてシンプル。
この本の要約のようなものはインターネットでWEB記事やYouTube等で多く作られている。実際、出版当初結構話題になった気がする。それらの記事では大体、デジタルミニマリストを実践するための具体的な方法が多く取り上げられている。
実際、本書はデジタルミニマリストになるための技術が紹介されているが、この本の本質はスマホを捨てようという安易なものではない。デジタルミニマリストというテーマのもとに書かれた、良質なエッセイ本なのだ。
森での自由な生活を描いたエッセイ、ソローの「ウォールデン」や、アメリカの自足自給のアーミッシュという集団、南北戦争時代の大統領リンカーンの仕事術、じゃんけんの世界大会などなど。
これらのエピソードこそ、この本の主題なのだ。デジタルミニマリストの技術なんてものはあくまでも瑣末な問題で、そこに通底する思想こそが彼の伝えたいことのはずだ。
少なくとも、「デジタル・ミニマリスト」の紹介記事では具体的な技術ばかり紹介されて、これらのエピソードはまるっきり捨てられる。
枝ばかり見られて森を見ない、この本の面白さが伝わってないのが本当に残念でたまらない。
本noteではデジタルミニマリストに具体的な技術に関してはあまり取り上げない。なぜなら、これに関しては有象無象の記事において十分なほどに塑像乱造されているためである。
デジタル・ミニマリストで紹介される示唆に富むエピソードを紹介したい。
Appleの誤算 iPhoneのインターネットはおまけ機能
今のiPhoneはインターネットブラウザはもちろん、TikTokやYouTube,Twitterなど多くのアプリが搭載されている。けれども初代iPhoneには本来インターネットを搭載する予定ではなかった。
初代iPhoneのセールスポイントはあくまで、電話とiPodを一つにしたことで、インターネットの海に繰り出せることはおまけだった。スティーブ・ジョブズのあの有名なiPhone発表スピーチですら最後の方におまけのように紹介された。
ジョブズは、開発エンジニアに以下のように語った。
「どこかのボンクラプログラマーが書いたプログラムを許可したせいでiPhoneが不調になるようなことがあったら、そのときこそユーザーは最小限の操作で九一一に電話したくなるだろう」
ジョブズはサードパーティーのアプリすら当初は許可する予定ではなかったようだ。
あのジョブズですら、今のようなインターネット全盛の時代を予期出来なかった。
ヘンリー・ソロー「ウォールデン」に学ぶ生活コスト
19世紀中頃に書かれたヘンリー・ソローの「ウォールデン」という著作がある。「ウォールデン」は彼の二年間のウォールデン湖畔での森での原始的生活について書かれたものだ。
19世紀でも、都市の現代的生活にうんざりした人が多く、おそらくソローもその一人なのだろう。だから彼は小さな小屋で隠居人のような生活を行った。
「ウォールデン」には以下のような有名な一説があるそうだ
森へ行ったのは、自覚的に生きたかったから、生きるのに欠かせないことがらだけに目を向けたかったからだ。人生が差し出す教訓から学べないものかどうかを確かめたかった。死の間際になって、自分は存分には生きてこなかったと気づくようにはなりたくなかった。
詩的な表現が多い作品なのだが、この作品には森での生活がどれほどのコストがかかるのか表にまとめている。家賃がいくら、農地の賃料がいくら、衣類などの雑費、などなど。ちゃんと生活のコストをきれいにまとめているリアリスト。
そして彼はその試算をもとに、週一日だけ働けばそのコストを賄うことができると考えた。
彼は、生産能力を上げようとすればするほど生活コストが増え、重荷がふえ、より不自由で窮屈な生活になると言う。
例えば広い畑を持つと、その土地を取得するために借金をしたり、農具がたくさん必要になったり、さらに労働量が増える。そこで増えた生活コストに、得たものは見合うのだろうかと。そこまで苦労しても、ちょっといい荷馬車や、給水設備。
彼は多くの物を持てば持つほど不幸になると言っている。
まあよくある小話だけれど、一人でのんびり釣りをしている漁師に話しかける男が現れ、漁船を買って人も雇ったらもっと多く魚を取れてお金持ちになれると助言する。漁師は、それでどうなるんだと聞くと男は、余った時間でゆっくり釣りが出来ると言う。それに対し、漁師は今と変わらないじゃないかと言い返す。そんな小話と似た雰囲気を感じる。
今回のデジタルミニマリストの文脈で言うなら、便利だなあと思ったアプリを増やせば増やすほど生活コストが上がる。そこで効率化できて得られるものは、ほんのわずかだと言うことだ。だからアプリは増やしすぎないほうがいい。ちゃんとコストに見合うか、それを考える。
アーミッシュの古くも新しい生活
アーミッシュはアメリカ中西部で自給自足の生活をするキリスト教共同体の人々のことだ。基本的に彼らは現代技術を拒む傾向にある。
けれども、そんな原始的な生活をしているかと言うとそうではない。
自家用車はないけれど、農業用トラクターはある。そして個人用電話はないけれど、共用の公衆電話はある。誰か外から自動車でやってきた人がいるなら、その自動車に乗せてもらって移動する。さらに場所によってはコンピューター式のスライス盤があったりする。
完全に意味もなく現代技術を拒んでいるわけではないのだ。
彼らは、自給自足という点にかなり重きを置いている。電力もソーラー発電である程度賄える。共同体の外部に極度に依存することを彼らは拒んでいるのだ。「世にありつつ、世のものではない」、自給自足できないものは聖書の教えに反するのだ。
現代生活においてテクノロジーは無条件に歓迎されるものだ。もちろん、問題点が後で発覚して拒絶されることが多いが、基本的には歓迎される。
けれどアーミッシュではある技術を導入する際に、司祭たちがその技術が果たして聖書の教えに合っているのか、我々の生活に利益をもたらすのか、きちんと議論をする。
リンカーンの引きこもり生活
アメリカ合衆国16代大統領リンカーンは、南北戦争など多くの苦難を経験した大統領だ。在任当初、彼の元にはひっきりなしに来客がやってくる。それはホワイトハウスの階段や廊下を埋め尽くすほどであったようだ。戦争のこと、経済のこと、行政、いろんな相談についてだ。
仕事に来客に、彼はホワイトハウスで息つく暇もなかった。
そんな彼は、ホワイトハウスから離れた静かなコテージで過ごすことに決め、そこで執務を行おうと思った。そして彼は一年の半分も、そこで仕事をすることにした。
著者はそこでの静かな生活があったからこそ、アメリカ大統領としてのパフォーマンスを発揮し、南北戦争の爪痕から復興することができたのではとまで主張する。
リンカーンは一人で思索する時間を大切にしていた。
孤独に考える時間、それこそ現代の人々に必要な時間なのではと著者は言う。ネットから離れて静かに考える、それが重要だと。ベタなことだけど案外重要なこと
じゃんけんの世界大会
アメリカではじゃんけんの世界大会が開かれている。そして賞金は5万ドル。
じゃんけんは一見運に見えるけれど、その大会のランカーは常に同じような顔ぶれだ。
ランカーの彼らは相手の動作、表情全てを分析したり、誘導したり。レッツロールといって、ローリングロック(転がる岩)を連想させたり。
彼らはそういった他人を分析したり社交的な能力が高い。
まあ、この話は特に本書内でもなくても困らない話。オチとしては、人間の社交能力がスマホ依存につながっているよねという話。
まとめ 目の前のことに集中すること
この本で具体的な技術以外に面白い話がたくさん詰められている。例えば、スマホサイズの本とか、facebookの起源(有名な話だが)、ニコマコス倫理学、スマホはある種のスロットマシーンなど。
説教くさいことを言うなら、簡単なノウハウなんてネットでいくらでも手に入る。本書で紹介されたノウハウはもはやこの本から離れてコピーアンドペーストされて広まっている。
改めて、今の時代に本を読むことの利点は一口に語ることのできない情報をじっくり得るということにある。
そこにある種の豊かさがある。それは他に代替されない。
ファストコンテンツ、それも楽に情報が得られて楽だ。でも、大事なところが捨てられる。
この本は、今に集中するということが全体のテーマだ。ネットに惑わされず、一つのことに集中する。その体験として読書はいいものだと思う。
現代だからこそ、精神的にものを減らす。それが本書のテーマだ。