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ハネムーンは1回限りと、誰が決めたのか?/『旅する力』の感想とともに

2022年3月に入籍し、結婚3年目の夫婦です👫
「いや、ハネムーンは1回までって誰が決めたんねん、何度行ってもええやろ」という方針のもと、2回目のハネムーンという立て付けで本日からアメリカ🇺🇸(LA/NY)に来ております。
別に「家族旅行」と称しても良いわけですが、ハネムーンって言うとなんだかカッコ良いし、気が引き締まりそうなので、ハネムーンと呼んでいます🤓
ちなみに、1回目のハネムーンは昨年、オーストラリア🇦🇺に行きました🦑
※こっちのアカウントで旅記録をつけていました
https://note.com/hatakodesu0321

では、なぜこの大円安時代に、王道のアメリカに行くのか。
理由は単純で、「私をアメリカに連れて行け❗️」とwifeから提案を受けたからです🤓
「ヨーロッパも行きたいけど、この20代後半にかけて1番刺激的で、価値観を変えてくれるのはアメリカだ。アメリカを全身で吸収できるのは今しかない❗️(行ったことないから知らんけど)」と、力強いプッシュを受けました。

私はというと、大学時代に旅にハマっていたこともあり、4年間で22カ国、LAには大学1年生の時、NYには大学4年生の時にいったことがあります。
LAもNYも初めてではない分、「今回はwifeを楽しませてやっかHAHAHA(°▽°)」と、準備も任せっきりになっておりました。

そんな背景のもと、現在飛行機内で『旅する力 深夜特急ノート』(沢木耕太郎)を読んでいるわけです。
この本は、【旅人にとってド鉄板】らしく、それこそ60代の”職業旅人”の方から紹介を受けました。
この本は、「旅とは何か、なぜ人は旅へと駆り立てられるのか」を説いた旅論の集大成です。

私にとっても、ちょうど9年半前、19歳の時に初めて1人で降り立った海外がカリフォルニアでした。
着陸時、アメリカン航空の窓から眺めた景色、そしてそのときの興奮は、今でも鮮明に覚えています。
このときの興奮は、今では味わえないものでしょうか。

この本によると、すべての旅は”はじめての旅”になり得るのです。そう、全ては心持ち🫶

今回の旅行で何を感じ、何を持ち帰るかで、私のこの後の人生が変わる気がします。というか、自ら人生や価値観を変えに行くスタンスこそ、至高の体験です。
考えるのではなく、感じるのだ❗️

例えば、こんな一節がありました。

金を使うということは、旅をスムーズにさせるということに繋がる。できるだけ快適な旅にしたいとは誰でも思う。しかし、そのスムーズさが、その旅を深めてくれるかというと、そう簡単なものではない。金がないために摩擦が生じ、そのおかげで人との関わりが生まれ、結果として旅が深くなる。

本書より一部改変

旅というものは不思議なもので、金はあればあったほうがいい、あっただけのものを見ることができる。それは確かだけれど、逆も真で、金がなければないほどよく見えるという側面もある。

本書より一部改変

初回ハネムーンは宿泊ホテルから食事まで、割と贅沢をしました。
対して、1回目のハネムーンとは異なり、今回は日本から大量の食品を持ち込んで、不要な外食を控える予定です。

スーツケースまるまる一個の食材を持参
追伸:初日から13キロ歩いて、夜は粗食

ロスは3泊で5万円程度、ニューヨークは5泊で14万円程度と、この大円安時代には破格の宿に泊まります。
(※それでもbooking.comでは⭐︎8以上ですが)

2回目のハネムーンはあえて贅沢しないことも、旅を深めるチャンスと気づけました。アンダーグラウンドな宿だからこそ、感じられる何かがあるはずです!

旅にはその度にふさわしい年齢がある。年齢が違うと、他の条件が全て同じでもまったく違う旅になる。

本書より一部改変

この20代後半だからこそ味わえる旅があると思うのです。本書を読んで、wifeの「今、アメリカに連れてけ❗️」という提案は、なかなか筋の良いものだと痛感しました。そう、今、今、今なんです❗️

これから旅をするにあたって、金言に溢れるエッセイだったので、印象に残った言葉や表現を紹介していきます!

プロローグ

  • 旅とは途上にあること、人生もまた「途上にあること」と定義される

  • しかし、旅は同時に、終わりがある。始まりがあるから終わりがある。そこに、旅を作るという要素の入り込む余地が生まれる。

  • 旅はどこかに在るものではなく、旅をする人が自分で作るものである。どんな旅も、旅する人が作っていくことによって、旅としての姿が整えられていく。

第1章 旅という病

  • 旅は永遠に癒されることのない病。旅への願望が病とすると、いつから冒されるのか。それは小学校3〜4年生のとき、友達家族が「マツザカヤ」に行くと聞き、はじめて1人でそこに行ってみたときかもしれない。

  • 高校1年生の終わりの春休み、東北一周旅行をした。自分で稼いだ金を使い、自分で計画し、自分だけで旅をやり遂げることで、大きな自信を得た。

  • 大学を卒業して大阪に行った時、「初めての旅」をしているのだという思いを抱いた。もちろん、大阪は初めてではない。自分はこれまで経験してきた旅とは違う、全く新しい旅をしているかもしれない感じがした。

  • ルポルタージュは、頭の冴えやキラキラした才能だけではやれない。取材相手の心をひらかせる何かを持っていなければならない。そして、行動力も必要な資質。文献を読むだけではルポルタージュは書けない。思いついたらすぐに飛び出し、自分の体で確かめる行動力が要求される。つまりは頭だけではなく、体でも考える。

  • ※取材記者・ジャーナリストなどが現地に赴いて取材した内容を放送・新聞・雑誌などメディアに報告すること。

  • 才能は天賦のものだが、これほど壊れやすく、挫折しやすいものはない。自分の才能に甘えるか、厳しく鍛え上げるか、これが分かれ目である。

  • 「面白がり力」。人によって面白いことは違うにしても、私は面白いことによくぶつかる。面白いことが向こうからやってくる感じさえする。それはやがて、ものごとの見方の角度といぅのだと翻訳する。

  • 金のない私なりの「面白がり方」は、対馬から釜山を見たり、与那国島から台湾を見たり、最も安価な「外国旅行」を繰り返すことだった。

  • <have>という単語をひとつ携えるだけで、通じることがある。たったひとつの言い回しを知ることで、世界が開ける。

第2章 旅の始まり

  • 当時の貧乏旅行者のオーソドックスなルートは、ヨーロッパからアジアへ、西から東へというコースだった。私はみんなと同じことをするのが嫌だったから、逆のコースをとった。さらには、すべての行程をバスで行くというアイデアに繋がった。誰もができるけど、誰もしないような馬鹿ばかしいことをしたかった。

第3章 旅を生きる

  • 日本の世界的なクライマーに山野井泰史という人がいる。彼は、アルパインスタイルでヒマラヤ山脈を登山する。アルパインスタイルとは、できるだけ軽量化した装備で短期間に頂上を目指す登り方を意味する。彼は無線など文明の利器を持ち込んで山の天気をはじめとする情報を得たりしたくないことを説明する時、「できるだけ素のままの自分を山に放ちたい」と言った。

  • この意見を聞いて、私が未知の外国を旅行するときにはほとんどガイドブックを持っていこうとしないようにした。もちろん、うまくいかないこともある。知らないことによる悪戦苦闘によって、その土地を、自分自身をよりよく知ることができる。

  • 言葉に関しては、数字と、「いくら、何、どこ、いつ、こんにちは、ありがとう、さようなら」の言葉さえわかれば、まったく情報のない土地に放置されても、なんとか切り抜けられるということがわかってきた。

  • 外国について、わかっていることはわからないということだけ。中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を出してしまいかねない。

  • 夜行バスに乗ったことを日本に帰ってきて後悔した。ユーラシアの風景がひとつづきのものとして繋がる中で、夜行バスのところだけは途切れた。もしかしたら、そこは2度と行くことのできないところだったかもしれない。

第4章 旅の行方

  • 少年時代のヒーローだった長嶋茂雄を書いてみたい気持ちが沸き起こった。そのとき、インタビューはできない中で思いついたのが、長嶋茂雄を「書かないで書く」という方法。つまり、長嶋茂雄が存在したために三塁手となれなかった2人の選手を描くことで結果として長嶋を描くことができるのではないかと思った。

  • 私が旅で得た最大のものは、「話のタネ」に加えて、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。

  • しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまった。

  • そして、『調査情報』という雑誌の居場所を失った。「あの雑誌には、もうお前さんに書かせてやれるページはないんだよ」と言われ、自分の傲慢さに気づいた。しかし、この言葉の底にある真意は、「調査情報を卒業していいんだよ」だった。

  • 『ミッドナイトエクスプレス』という映画を見たとき、ハシシを密輸して捕まった主人公をみて、自分の運命にもなり得たと恐れた。異国をうろついていた私は、異国に在るという根源的な恐ろしさをまったく自覚しないまま歩いていた。自分の育った国の法律や論理や常識がまったく通用しない不条理な世界。本来、異国とはそういったもののはずだった。

  • 1年間の旅を1年間かけて、新聞の連載として書いていく。これに心が惹かれた。

  • 旅から10年以上の月日が経って『深夜特急』を書いたことは、マイナスよりプラスの方が大きかったかもしれない。自分の旅を読み直すというときの、その読み方が深くなった可能性があるからだ。時間が自分の旅をいくらか相対化してくれ、主人公の「私」に対してほんの少しだが距離をとらせてくれるようになった。

  • 旅というものは不思議なもので、金はあればあったほうがいい、あっただけのものを見ることができる。それは確かだけれど、逆も真で、金がなければないほどよく見えるという側面もある。

  • 金を使うということは、旅をスムーズにさせるということに繋がる。できるだけ快適な旅にしたいとは誰でも思う。しかし、そのスムーズさが、その旅を深めてくれるかというと、そう簡単なものではない。金がないために摩擦が生じ、そのおかげで人との関わりが生まれ、結果として旅が深くなる。

第5章 旅の記憶

  • 旅には適齢期というものがあるかもしれない。若い時、20代前半は食べるもの全てがおいしく感じていた。美味しいものを食べようという意識はなく、できるだけ安くお腹を満たすことが最も大事なことだった。それは必然的に、その土地の人が食べている物を食べることに繋がった。しかし、それを難なくこなしていくためには、食べ物に対する一種のトレランス、寛容さが必要だった。

  • 若いということはやはり、あまり物事を知らないということと同じこと。未経験という財産つきの若さがある。本来なら未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。新しいことに遭遇して興奮して、感動できるということ。

  • もしそうだとするなら、旅をするには幼ければ幼いほどいいのか。しかし、それはそうはならない。極めて逆説的だが、未経験者が新たな経験をしてそれに感動することができるためには、ある程度の経験が必要。

  • 外国への長い旅に出るのに相応しいのは26歳くらい。その頃が、必要な経験と未経験を2つ併せ持っている。

  • 歳をとると、旅の濃度が違う。若いときに比べると、風景も人も全てが淡く流れていったような気がしてならない。

  • 旅をすることは何かを得ると同時に何かを失うことでもある。しかし、歳をとってからの旅は、大事なものを失わないかわりに決定的なものを得ることもない。

  • もちろん、30代には30代を適齢期とする旅があり、50代には50代を適齢期とする旅がある。その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいたほうがよい。

  • 旅の目的は行くことにあらず。大事なのは行く過程で、何を「感じ」られたかということ。目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降り注いでいる光を、そして行き交う人をどう感受できたかということの方がはるかに大切。

  • 旅の危険を察知する能力も、旅をする中でしか身につかない。旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であるとともに、大きくなるための力をつけてくれる場でもある。つまり、旅はもう一つの学校。

  • 「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」

番外編

初日はロサンゼルスの名所グリフィス展望台に行きました。ここは最近観た『ララランド』の舞台になっていて、聖地巡礼も兼ねました。
記憶を掘り起こすと、9年半前にロサンゼルスに来たとき、初日に行った場所もグリフィス天文台でした。
2度目なんて存在しない。全ての旅は新しい。旅を作り出していこう。そんな思いで、「エモエモアングル」から「エモエモショット」を撮りました📷

もう少し早ければ夕暮れ間に合ったけど、
まぁそれも一興!
『ララランド』の舞台になったからか、
めちゃん観光客おったな〜🤪

以上!

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