この書物の第Ⅰ部「作品」において、詩人ポール・ヴァレリーの視座の高さが垣間見えます。彼は、自我を鏡として使っていたのです。
△
スピリチュアルな気づきが深まると、太陽の見方が変わります。太陽が光を放つのではなく、高次元の光を反射する鏡として太陽を見るのです。
▼
そのように高い視座のヴァレリーには、幾何学が言語に見えています。
作者の自我に基づいて書かれる散文や小説の、恣意的で表面的な語彙の選択に、ヴァレリーは、窒息するほどの狭さを感じていただろう。
だからといって、散文形態を強制する名詞(認知)や動詞(直感)が発生する前の、形容詞(知覚:幾何学)だけを使い、純粋な詩が書けたとしても、そんな詩は、素人の耳には、何やら有難い念仏でしかない。
以上、言語学的制約から自由になるために。
この書物に触れる記事は六つあります。次の「伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』にて(錯綜体)」という記事が、それらのまとめです。