見出し画像

アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』にて

コロンビアのイエズス会元総長で、平和仲裁人として知られる、フランシスコ・デ・ルーが、アダム・カヘンに、こう言ったそうです。

「あなたのやっていることが今わかりました! あなたは神秘の出現に対する障害を取り除いているのですね!」――p.31

「すべては神秘の出現なのです。しかし、それを予測したり、誘発したり、計画したりすることはできません。ただ現れてくるものなのです。重要な問題は、私たちがこの神秘の出現を妨げてしまうことです。特に、恐怖心から自分自身を壁で防御しているときには」――p.32

序章「あなたは神秘の出現に対する障害を取り除いている!」

 私にとってこの会話は興味深くも、困惑するものでもあった。私が「あなたが言うようなことをしている自覚はありません」と言うと、彼は肩をすくめてこう言った。「たぶん、それが一番いいのです」
 私はデ・ルーの暗号のような言葉に興味をそそられた。ここでいう神秘(Mystery)とは、アガサ・クリスティーの小説のラストで解かれるようなミステリーを意味するのではなく、大切だけれども、目に見えない、つかめないものという意味で、本質的に神秘的なものだと理解した。もしかすると、それは重力のように、感じられるけれども目に見えないある種の力であり、障害を取り除くことができれば、私たちを前へと牽引してくれるものなのかもしれないと思った――渓流で転がってきた岩が流れをせき止め、水を八方へ散らしている状況で、その岩を取り除くことができれば水はまとまりある、力強い流れとなって自由に下方へと流れ出すように。――p.32

序章「あなたは神秘の出現に対する障害を取り除いている!」

カヘンはハイヤーセルフと共に言語共同体を育てているようだが・・・。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

上の図で、球体の表面から中心へ向かう赤色の矢印が、トップダウンの垂直型ファシリテーションを表し、球体の中心から表面へ向かう青色の矢印が、ボトムアップの水平型ファシリテーションを表します。

カヘンの「変容型ファシリテーション」は、ファシリテーターが、垂直型と水平型を、呼吸するように切り替えて、言語共同体に特有な「時間の流れ」を共同創造しているように思います。

そして、ファシリテーターは、その「時間の流れ」に乗っているのだ。

以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。

上の図において、「時間の流れ」はドーナツの形をしています。球体の内で宙づりになっているそれは、アンリ・ベルクソンの「記憶イマージュ」や、ポール・ヴァレリーの「錯綜体」に相当するものです。