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「自分はどうなってるんだ」と亡母に聞いていた
<バーアテンダント7>
映画はしょせん他人事、と思っているが、これは違う。
認知症で現実と記憶が、ずれてゆがんでいく苦しみを知る映画"the father(2020)"。
アカデミー賞最優秀男優賞のアンソニー・ホプキンスが演じた。
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事実と誤認(本人にとっての事実)が、折り重なって映画が進行するので、
認知症をわずらう人の脳内をのぞく感じになり、悩ましくなる。
(ある医者から「認知症は自力治癒できない無念な病気だから、同情すれど、差別はするな」と言われたことを思い出す)。
自分の介護士が、腕時計を盗んだので、辞めさせてくれと同居する娘に頼む。
娘は、洗面台の下から、父が隠した時計を見つける。指摘すると、父は逆ギレ。
みんな赤ん坊に還る。赤ちゃんはセーターを一人では着れない。老夫もそうだ。どこから右腕を通せばいいか、頭を通せばいいかわからなくなる。特に、雑に脱いだセーターには手こずる。娘は、黙って助ける。
いつか、セーターを一人で着れなくなるかもしれない。これは、自分事である。
自分の娘の夫が、二人現れて妻から買ったチキンを受け取る。どっちが本当の夫かわからない。混乱する。しかし、聞けない。
「私のマンションに、どうしてキミはいるんだ」という問いには「僕たち夫婦のマンションにあなたが転がり込んできた。いつ出るんだ」という答えが待っていた。
夫婦が言いあらそっている。「きみのお父さんは病気なんだ」という夫の声を聞く。なぜこういうことを言われているのかわからない。
娘は父を傷つけないよう嘘をつく。「離婚してパリに移り住むので、ときたましか会えなくなる」。
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「あいつらは、英語を喋らない。どうしてそんなところに行くんだ」と父は大いにとまどう。
ある日、目覚めると、看護施設にいる。娘のもう一人の夫が看護師として現れる。頭が混乱する。
自分の木の葉が散っている。枝が折れる。風と雨の中にいる。
「お母さん、自分はどうなってるんだ」涙で声がでない。
(何もわからなくなった最期の疑問は、生まれいづる”母性”に向けられるのかと思った)。
「娘さんがパリからときたま来てくれているわ。あとで、公園の散歩をしましょう」と言う看護婦の胸に顔を埋める。
生きていくと、たどる道。目をそむけられなる。
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