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再読④:嫌われる勇気
最後の方は大事なところだらけで、線もいっぱい引いているのですが、メモ程度に書けないくらい、どこも大事です。結構ややこしいし、自分の中で人に説明できるまで、理解するって難しい。
本質とはズレているかもしれませんが、初心に戻って、自分が覚えておきたい所をメモします。
哲人のズバリな言い方で、太字になってないけど大注目箇所だと個人的に思っています。
哲人:人間にとっての最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対してアドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である。」「私は誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。
中略
哲人:すなわち「幸福とは、貢献感である。」それが幸福の定義です。
自分を好きになれない事は自分を受け入れられるかという「自己受容」という視点でみます。
そう、「自己肯定」とは違う事がポイントです。(P.255あたり)
自己受容=どんな自分も受け入れる ということです。
哲人:中略 60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、ほんとうの自分は100点なんだ」と言い聞かせるのが自己肯定です。それに対し、60点の自分をそのまま60点として受け入れたうえで「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えるのが自己受容になります。
この視点てちゃんと持てている人、世の中に何パーセントくらいいるのかな?縦の世界の住人である自分は、当たり前のように、「うまくいった自分は好き」「失敗した自分はダメ」っていう思考がこびりついていました。
どんな自分も受け入れるっていう視点自体を持たずに生きてきました。
多分ずっと、自己受容はできてなかったと思います。
大学受験失敗したときには心の中に一杯の言い訳を並べて、自分に言い聞かせていた。自己肯定パターンの人間です。
受け入れてはいなかったと今なら認められます。
大人になってからも、やっぱり、落ち込みながらそんな自分を引きずるしかないけど、自分だから捨てきれなくて、ボロボロのお人形捨てれないみたいな感覚で、いつもそばに置いてきたって感じです。
で、どうするはなかったかも。やっぱり自己肯定の感覚ですね。受け入れてはない。
「どんな自分も愛そう」とか色んな自己啓発書に沢山よくあるフレーズですが、全然ちゃんとできてなかったです。
でも、ついに観念しました。
私は自分をやっぱり受け入れてなかったのだと。
自己肯定はしてきたが、自己受容はできてなかったのです。
この自己受容の事を、哲人は「肯定的なあきらめ」と言っています。
哲人:中略「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。
中略 ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと。それが自己受容です。
中略 そう、われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ、”勇気”が足りていない。すべては”勇気”の問題なのです。
本当の自分を受け入れるって難しい。
静かに自分を内観して考えるって勇気のいる事です。
結構長く、断続的にですが、自己啓発の本とか色々読んでいたけど、本当の自分と向き合うって勇気なかったかも。
そんなような本を読んで出来た気がして、誰かのブログやYouTube見て、自分でやった気になって誤魔化していました。
わたしは、時間ができると本屋にいったり図書館に行ったりしていたのですが、結局は、自分と向き合わずに自分を満たす何かを、好きな本で探していたのだと思います。
もっと若い時はお買い物とか、気の乗らない飲み会とか。そこに行けば何かあると思っては何もなくて絶望して帰ってくるを繰り返していたなーとふと思い出しました。
自分と向き合う勇気。
自分を受け入れて、足らないもの見つけたらそこからどうするかを考える勇気。自己肯定じゃなくて自己受容。
これができる様にまた、自分の思考を見ていこうと思います。
逃げないぞ。
なんか、突然勇気という言葉に勇気をもらって、頑張れる気がしてきました笑