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足るを知る

牛丼チェーン店の牛丼。
大人になった今でも充分に美味しいですが、子供の頃にはじめて食べた時は衝撃的に美味しすぎて、一生食べていくことになりそうだと確信したのを覚えています。
結果はやはり当然のように、現在もお世話になっております。
引き続き、これからも宜しくお願い致します。

そんな牛丼の味を覚えた子供に、牛丼を食べる2回目のチャンスが巡ってきた時のお話です。

夜ごはん。
テイクアウトをして、自宅でまったりと味わうのも捨てがたかったのですが、お店で食べることになりました。
親の運転する車に乗って、夢の味に近づいていきます。
少し汚い表現ですけれど、自分のよだれで溺れそうになりながらも、ここで死ぬわけにはいかないと、どうにか意識を保っていました。

夢の味までもう少し。

夢のお店が見えてきて、夢の駐車場に、夢のスピードで突っ込みます。

「あ、閉まってるわ。」

親の一言。
胸が苦しくなって、泣きそうになりました。
ごめんなさい、本当は完全に泣きました。

夢のお店が見えてきたあたりで、分かっていたんです。
お店なんか明るくないかも。
夢の光が灯ってないかも。
嫌な予感がありました。

そして、嫌な予感がその通りになった瞬間に、現実が押し寄せて来ます。
予感の段階では、それを受け入れなくてもいい。
自分の中での現実だからです。

「自分の中だけの現実」ではなく、「正真正銘の現実」が目の前に立ちはだかったとき、受け入れるしかない。

受け入れるしかないけれど、受け入れられない。

そうなってはじめて、悔し涙がこぼれる。

夢のお店が改装工事で閉店中だったので、近くのファミリーレストランで食事をすることになりました。

味はしなかったです。

普段はファミリーレストランの食事もとても美味しいですが、その時は悔しくて。

悔しくて悔しくて。
牛丼でなければ、満足できなかった。

牛丼の味を知って、それがまた食べられるとなって、ドッキリだったかのように食べられないことになった。
だったら最初からファミレスがよかったよ。
牛丼の味なんて知らなければよかったよ。

知ってからが、本当のはじまり。

満足を知って、そのあとにそれが得られなかったとしても、満足することができるか。

それが、本当の足るを知るってやつだと思います。
知らないままなら、悔しくもならなかったはずです。
知っていることの中で、満足して生きていけばいい。
でも何も知らないまま生きていくのは難しいですよね。

悔しさ知って、足るを知る。
満足知って、足るを知る。

子供の頃に流した涙が、教えてくれました。

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