【noteお題】私のスポーツ遍歴を語る!
とうとう、最後の日になってしまいました、【noteお題】です。
実際には以下、お題なのですが、気付いたのは12日の「 #おすすめガジェット 」からなので、いっそ、残りの2日を延長してもいいかなとも思うのですが、ゲームはあまりやらないので、正直、困るのですが、はて、どうしようかなと思いつつも、本当のお題を書きましょう!
4月10日(月) #全力で推したいゲーム
4月11日(火) #旅の準備
4月12日(水) #おすすめガジェット
4月13日(木) #推薦図書
4月14日(金) #私のプレイリスト
4月15日(土) #今こそ読みたい神マンガ
4月16日(日) #私のスポーツ遍歴
私は果たして、「 #私のスポーツ遍歴 」に相応しいスポーツをやっていたのか?と思うと、そうですね、ちょっと思い出して書いてみます。
小学校の時に「水泳」をやっていまして、区の大会に出て入賞した事があります。25mの自由形でした。
これは部活でも、なんでもなくて、ただ有志みたいな感じで、私以外に何人か選手みたいにいたのですが、大会の時は、行くまでの記憶がない上に、泳いだのは覚えているのですが、帰りも、どうやって帰ったのか覚えていません。
でも賞状は貰いまして、家にあります。
更に、中学でも泳ぐことをしていまして、50m自由形で、学校のコースレコードを出した事があります。
卒業まで抜かれていませんでした、というか、そもそも50mという距離を誰も泳ぐことをしませんでしたので、私しか泳いでいませんでした。
不思議なことに結構簡単に泳げて、スイスイという感じで、よく50mも長々と泳いだなーと今にして思うのですが、水泳、得意でした。
指導していた、教師は「右手でこうかけ!」とか、「こう!」「こうだ!」とか、手で水をかくやり方を生徒の前で、すごい形相で教えてくれました。その先生はスパルタ教師と言われていて、生徒(女子)に平手打ちする先生だ!と、後で言われたのですが、病気になってすぐ亡くなってしまった時には、その事を言っていた人達が、お葬式に行ったはずなのですが、、。
私よりも、他の先輩らの人達の方が仲良しの教師だと思うのですが、それで平手打ちされたというのは本当なのかな?と思ったりもしますが、とは言ってもいうので、そうだと思いますが、熱血指導が入り込みすぎだったのでしょうか。
もう1人の中学の先生は、私がよく泳ぐので、男子を呼んで、男子と競争しろ!とか言い出して、この先生は女性です。
男子と競争し、泳がされたのですが、さすがに男子には勝てなかったのですが、まあまあいい勝負でした。
先生が何故に競争させたのかは私には全くわかりませんが、先生が、次に自分の顧問のバスケット部に入れ!と言い出し、ちょっと部活に出たのですが、まあ、走る、走る、ばかりでした。
体育館で、すごい走らされて、クソ暑い夏に、延々と走らされるわけです。
水泳も実は、夏の間に、延々と泳がされて、何回も何回もずっと泳がすのです。一緒に友人がいて、彼女も一応、やっているのですが、多分、彼女も大会に出たはずなのですが、入賞まではしてなかったのかもしれません。
彼女の方は、冬の間の陸上競技の時にはいなくて、そこでも私は走れ!走れ!になり、最終的にリレーで補欠になりました。そして、他の選手はまた大会に行ってました。
その後、友人の走り幅跳びや高跳びのできる子が骨折しまい、先生のスパルタ指導の運動は一切なくなったような記憶です。
話が交差しましたが、中学では、私はバスケで走らされて、指のウォームアップとかしたり、屈伸したり、いろいろやらされていくうちに、
ふと….
『つき指したら、指が太くなるから嫌だなー』って思い、バスケ部を辞退します。勿論、先生にそんな事を言っては辞めてはいません…。
水泳のお陰で1年で12cmも背丈が伸び、私はかなり嬉しかったのですが、あまりに練習が凄く、つい、ある日、ご飯を4膳もガツガツと食べてしまい、母が激怒し、水泳を非難し出しました。
母は「(自分が)子供時代に海で溺れそうになったのに、お前は水泳なんかやるなっ!」とか、母は自分が死にそうになった、溺れたのにそんな水泳なんかなんでやるんだ!など、散々罵られました。
絶対、この母は頭おかしいと私は思います。
この事を、母は何年も言い続け、「お母さんは溺れて死ぬかと思ったのに、お前は」とか、ずっと何度も何度も罵られ、私の輝かしいスポーツ遍歴は、これで終了となりました。
高校になると、その高校はプールのない学校で、その高校から有名な方が出たわけですが、その方に縁がありそうなはずのプールのない学校で、まあ知っている人には面白い話です。
いずれにしても、プールがないのでスポーツ遍歴の復権もなく、ただ、またバスケやバレー部の先輩の方達から、勧誘を受け、「ウチの部に入れ!」というような事を先輩達から散々言われたのですが、結構、家から学校まで遠いので、帰りが遅くなるのが嫌なので、全部、断って「帰宅部」専任になりました。
あまりその後は、スポーツはしなくなりました。
その後、何十年もやらないでしましたが、ちょっとスポーツクラブで何かをやってみたり、カートに乗ってみたり、「歴」でもない程度だったのですが、急に歩き出しました。
ウォーキングは何年も続けてました。毎日往復で12kmぐらいを歩いたり、休みには24kmぐらい歩いていくとか、バカみたいに、ずっとやっていたのですが、気付いたら、足がものすごい太くなっていました。
特に太ももが信じられないくれないくらい、アスリートの足になってしまい、いっそ、ハーフのマラソンでも出るかなーと言うほど、足がただものでなくなりました。ハーフのマラソンの話をしたら、また、その会社の人たちが「自分達もでた!」とか言い出し、「みんなで仮装して走った」など、絶対に嘘っぽい事を言い出し、いずれにしても、そこまで張り合う理由もないし、マラソンに出ることはやめました。
その人たちは、私は全く自転車に乗れないというか、人のいる方に行ってしまうので自転車は乗らないのですが、その程度の私に向かって「自転車を乗るようなタイプだ」など言ったりするような人達でした。
歩くのはかなり長くやっていて、5〜12kmとか歩くのを5-6年はやっていて、そのうち、3kmぐらいになったり、もっと少なくなりましたが、でもあまり何もしないのも良くないので、パンデミックも終焉なのでまた歩こうとか思ったりもしています。
スポーツをやるにも、意外にも周囲の厚壁があるものなのだなと思う事が多く、歩くだけでも、人に言うと、結構、ああだこうだと言われるので、あまり人に言うべきではないと思いました。
でも、あまりにパンデミックが長く、体重も増えてきたので、何かしないとと焦る、今日この頃です。
振り返ると、親に怒られたとか、足がアスリートになったとか、つまり、一般的な運動ではなく、気づかずに、異様に本格的になってしまい、過剰な運動をしすぎ、周囲が「それおかしい」ぐらいの運動量を、本人が気づかず、ずっとやっていたのではないかと思ったりもします。
うまく言えないのですが、笑えないような「行き過ぎ感」みたいな、つまり、スポーツやっている人たちは引退すると過食になったり、実は疾患があるとか、早死にしてしまうとか、そんな感じの運動の仕方ではないかと、振り返り考えたりもします。
やはり、危険のない運動を行って、健康的な毎日を送れればいいのではないでしょうか?というまとめにして、これで、【noteお題】は終了します。
明日はゲームの話を書くかどうかは不明です。
また機会があれば、noteお題を書くと思いますので、その時はよろしくお願いします。
次は土曜日の音楽話を書きますので、そちらもよろしくお願いします。
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