見出し画像

アダルトチルドレンについて


こんばんは!

朝夕肌寒くなってきましたね。

気づいたら10月も もう下旬。今年はコロナに始まり いろいろなことがあり過ぎて、目まぐるしい年でした!あと少しで2020年が終わるなんて信じられません(;´ ▽ ` )


今日は親子関係についての記事を書こうと思います✍️




さて、

「アダルトチルドレン(AC)」という用語にはさまざまな解釈がありますが、子供の頃に家庭で受けた経験を、大人になった今でも引きずり、生きる上で何かしら支障をきたしている人のことを指します。親の期待に応えるように生きてきたため、自分が本当に感じていること、やりたいことがわからなかったり、孤独を感じたり、他人に依存してしまうなど、様々な方がいます。大なり小なり、ACを抱えている人は多いのではないかと思います。


人間のパーソナリティは元々持って生まれた先天的なもの、環境などの後天的なものがあると思います。親子関係に何らかの問題があると、今度はあらゆる対人関係で似たような悩みがでてきたり、他人と関係を構築するのに困難をきたすのではないかと思います。

しかし、家庭以外で信頼できる人の存在、また、親と自分の価値観を線引きし、相手の問題と自分の問題とで分けて捉えることができる(課題の分離)方は また話は変わってくるのかなぁとも思います。概して、自分との関係性が悪い人は対人関係で問題を抱えやすいです。


私自身、親からとても愛情を注いでもらったと思います。ただ、それが私の望んでいた愛の形ではなく、居心地悪いなぁと思うことがありました。


私の両親は過干渉、減点主義。自分のことなのに親が決めてしまうことが多々あり、私自身、親の機嫌を損ねないよう、無意識に顔色を伺っていました。


ふと、「〇〇ちゃんのその気持ちは、きっとアダルトチルドレンだよね」と言われたことがきっかけでこの言葉を知り、いくつか本を手に取りました。最近はオンラインで心理学を学んでいますが、これがとても楽しいです🍬


私は怒りを表に出す人や支配的な人に苦手意識がありました。ですが、それはその人自身が苦手というよりも、その人に母の影を感じていたからかもしれません。


母は厳しくて堅実的。父もわりかしそうかな?

例えば 私が母と異なる意見を言うと、機嫌が悪くなる。こうしなさい、こうするべき、という感じです。

父は父で、教員という職業柄、やはり厳しい人でした。「考えが甘い」「なんでこれができないの?」と言われたり😂笑

ただ、(表現の仕方は失礼かもしれませんが)世間一般で言われる、いわゆる毒親がするような暴力や暴言のような過激なものではなかったため、わたし自身も環境に馴染んでしまっていました。いろいろ思うことはあるけれど、逆らえなかったです。反抗期もなかったんじゃないかなぁ。


私はお母さんから生まれたけれど、いつも意見が同じわけではないし、一人の人間として接してほしかったなぁと思ったこともあります。

本当はもっと、思ってること、言いたいことがあるけれど、言うと喧嘩になってしまうし。当時は効果的なコミュニケーションの方法がわからず、本音を伝えること=喧嘩という思い込みがありました。


母の立場を考えれば、きっと母なりの事情があったでしょうし、本当に大変だったんだろうなと予測できます。母は誰よりも愛情深い人です。

私自身 いつも受け身でいましたし、伝える努力ができていませんでした。原因を外側に求めてた。振り返ると、誤った思考癖、解釈癖がたくさんあることに気づきます。


家族以外の人間関係について言及すると、本音をなかなか伝えられなかったり、相手に合わせすぎてしまい、対等な関係性を築けないことがあったと感じています。親子の関係を、そのまま対人関係にも投影していたのかなと思います。


恵まれたことに 今では ありのままの私を受け止めてくれる人たちもいるということに気づき、その人たちのお陰で、私らしくいていいんだと思うようになりました。


今、私は周りにいる人たちのことが大好きです。

その人たちは、どんな自分も そのまま肯定して、幸せに、力強く生きている人たち。卑屈にならず被害者にならず、自分の弱さを見つめ、自分のことを大切にしている。弱さ自体を悪いことと捉えていない、みたいな感じですかね。だからこそ、本当の意味で他人を大事にすることができ、他人の弱さにも耐性があり、寛容で、優しく接することができるのだと感じています。


一人暮らしを始めたことによって一人の時間が増えたことも、自分と向き合うきっかけのひとつになりました。


学生の間はずっと実家暮らしでしたが、何かを変えたい気持ちから、県外で新生活を始めるという決断をしました。県外で就活していること自体 当初 母には内緒だったので、決断してからは喧嘩の毎日でした。「あんたに一人暮らしは無理!」って言われたりして。笑

散々言い合いをしましたが、引っ越しの日に 母が涙目になりながら「いつでも帰ってきなさい」とハグしてくれたことを今でもよく覚えています。鬼の目にも涙!と思いました👹笑



このような背景からか、元々、人としてこうあるべき、という固定観念が強かったので、そこから逸脱したら自分を否定してクヨクヨしていました。ですが、それは自分が幸せになる考え方ではないな〜と最近考えます。


自分をいじめたところで事態は変わらない。その過程を受け止めて、これからどうしていくか、今何ができるのか、今あるものは何か。そういう視点を増やしていきたいなぁと(´ω`)


京セラ創業者である稲盛和夫さんの言葉を拝借すると、人生の結果=考え方×熱意×能力という人生の法則があります。熱意と能力は0〜100ですが、考え方は−100〜100まであるそうです。最近、この言葉の意味がわかったような気がします。


考え方は重要。自分がそう思い込むと、脳はその設定のもとに動き、見えてくる世界もその通りになると思います。あの人とは合わないな、と思うと、そこばかりに意識が向き、合わない部分を勝手に探そうとします。正確には、合わないときもある、というだけなのに。また、価値観が違うことを悪と捉えると、嫌いな人が増えるなぁと思います。


自分が感じた感情は大事です。イライラも悲しみも。正しい(と勝手に捉えている)気持ちだけで生きているわけじゃないですしね。正論がいつもいいわけじゃないなぁと思います。

感情を理性で押さえ込もうとせず、まずはしっかり感じることによって(出すことで)次第にその気持ちは癒えてくると思うので、ある程度デトックスして落ち着いてから、次にどう対処していくかを考えていきたいなと思います🌼


自己受容って大切ですね。

自分を労り受け入れることができないと、その分、周りの誰かにわかってほしいという気持ちが強くなります。しかし、他人には他人の事情があるわけで、他人がどうリアクションするかはコントロールできないですし、そこに価値を見出すことで、人に振り回される人生になってしまうかもしれません。人の反応=自分の価値だなんて、悲しいです。


誰かを大事にするように自分を大事にして、少しずつ自分を労り、満たすことで、人生が幸せになるんじゃないかなぁと思うのです😊


実際、それでも自分を責めてしまうこともありますが、そのたびに自分と向き合って、考えを改めたり 行ったりきたりしている毎日です💨


誰かになる必要はなく、ただ 受け入れる。自分と寄り添う中で、変えたい部分があれば、少しずつ磨く。結果を早く求めようとせず、他人と比べて卑下することなく、自分は自分と境界線を引く。すぐは変わらないけれど、行動を少し変えてみる。できない日も、否定しないであげる。


そんな風にどんな日々も受け止められたら幸せだなぁと思います🐢


あなたが あなたらしく いれますように



また更新します!







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?