ヤンキーとセレブの日本史Vol.23 大正時代&昭和時代その1
第1次世界大戦
第1次世界大戦の開戦
ヨーロッパには超強いマフィアがたくさんいます。
こいつらは地球上のあらゆるところで外道なことをしていますが、当然本拠地の周りでもお互いバチバチやっています。小さな組は大きな組に吸収されたりして、いたるところで揉め事の火種があります。
1914年のある日、オーストリアという昔は強かった組の若頭(皇太子)がパレード中に弾かれて殺される事件がありました。弾いたのはオーストリアに支配されていたセルビアという組の若い衆でした。オーストリアは返しをしなければなりません。
ビビったセルビアはロシアを呼んできました。元々ロシアはオスマン帝国という組のシマを切り取ろうとしていました。オーストリアはそのことでロシアにクレームを入れている因縁がありました。ロシアはオーストリアをシメたいとずっと思っており、セルビア人は親戚と言ってオーストリアと抗争することにしました。
そしたら、この頃西洋マフィアの中でも勢いを強めていたドイツがオーストリアを助けるといって抗争に参加します。ドイツはここでロシアとかぶっ潰して外に植民地を広げる足がかりにしようと狙っていました。
イギリスとフランスはこれ以上ドイツを調子に乗らせるわけにはいかないので参加します。
イタリアとベルギーも入ってきて、ヨーロッパ中を巻き込んだ抗争になります。
流れはこんな感じです。
ロシア・イギリス・フランス・アメリカVSドイツ・オーストリア・オスマン帝国という構図です。
簡単におぼえるにはロシアVSドイツで考えて、ロシアに近くて嫌がらせをされてたオーストリアとオスマン帝国がドイツ側、ロシアとは離れていて、近くにいるドイツが強くなるのは許せないイギリス・フランスとイギリスの親戚アメリカがロシア側につきます。
第一次世界大戦が始まります。
日本の火事場泥棒
イギリスは同盟を組んでる日本にもカチコミに参加しろと言ってきます。ケンカするときは味方のメンツが多いほどいいですから日本にも声をかけました。と言ってもヨーロッパまで来させるには遠すぎるので、アジアの周りにいるドイツの船を掃除してろというくらいの話でした。
ところが、日本はドイツのもっている中国のシマや南洋諸島という南の島を切り取り始めます。イギリスも怒りますし、アメリカも怒ります。当然、中国や南洋諸島の人たちがかわいそうとかそんな気持ちは微塵もなく、「俺等が持っていこうとしていたシマを勝手にとるんじゃねー」という意味です。でも日本は止めません。西洋マフィアも日本に構うほどの余裕もありません。
調子に乗った日本は中国に対して恐喝をします。中国は革命が起きて清から中華民国に変わっています。「対華21カ条要求」といってドイツの持ってたシマをよこせというだけではなく、もっとシマを切り取ったり、組の幹部に日本人を入れろなどめちゃくちゃなことを言います。1919年5月9日に中国政府はこれを飲みました。昔中国ではこの日は国恥記念日とされて記憶されていました。今でもこの日に仁義のないようなことをすることするとめちゃくちゃ怒らせることになるので気をつけた方が良いです(普段からしてはいけないですが)。
中国国民は日本のヤクザっぷりに激怒しています。そしてアメリカもイギリスもフランスも自分が中国を切り取りたかったと怒っています。ここから日本とアメリカとの仲も悪くなっていきます。
しかし、ヨーロッパのマフィアたちは戦争中で武器も食料も足りません。仕方がないので戦場になっていない日本から買うので、日本はめっちゃ儲かります。
リッチになったので西洋式の生活も発展してきました。
新しい宗教 共産主義
ロシアも戦争が長引いて疲れてきています。そんな中、ロシアで大きな異変が起きます。
19世紀の中頃に新しい宗教が生まれました。作ったのはドイツ人のマルクスとエンゲルスというコンビで、その宗教の名前は「共産主義」といいます。
ここからしばらくヤンキーとは直接関係ない(しかし、50年後に日本の暴走族文化に大きな影響を与える)ちょっとめんどい話をするので読み飛ばしていただいて結構です。
マルクス経済学の考え方 労働価値説
共産主義の基本となる考え方は、ざっくりいうと、モノの値段はそれを作るのにどれくらい労働力が使われたのかで決まるという考え方です。「労働価値説」と言います。
人間が使っているほぼすべての物質は地面に落ちているか、土か海に埋まってるか、地面から勝手に生えてくるもので、もともとはただで手に入るはずです。しかし、例えば鉄に値段がつくのは、鉄鉱石を掘り出してくる人や精錬する人のお給料、掘る道具、加工する機械を買うカネが必要なので、その分の費用を価格に上乗せしないと儲けられないし、儲からないならやる意味がありません。
道具とか機械とかも同じ様につくる人のお給料が価格に上乗せされています。
労働価値説は、ブツの価格をすべて人間のお給料に換算する考え方です。人間のお給料は、2つにわけられて、1つは労働力を作る費用。これは衣食住とか子供を育てたりとか娯楽をして働く意欲を高めたりというようなちゃんと働ける労働者を作るのに必要な費用です。もう1つがスキルを手に入れる費用で、大型免許を取得するために教習所に通う費用とか、学校に進学して賢くなるとかの費用です。弁護士資格とか医師免許とかは取るのも難しいので、カネもかかるため、そういう人がやっているものは高くなります。
ブツの値段はそれをつくる人が食べていける+作るスキルを手に入れるだけのコストが含まれていて、それ以上は安くならないのです。誰が将来カネが稼げないのに難しくて費用もかかる資格なんか取得するでしょうか。
反対に言うと食べることを保障してやれば人の給料は安くすることもできます。
ちなみに社会の授業で需要と供給で値段が決まるという話をきいたこともあるかもしれませんが、あれだけでは正確じゃないです。需要が少なければ価格は安くなると言いますが、商品が売れない(需要がない)からと言って0円にはできません。需要と供給で決まるのはある程度の範囲の中での価格の上がり下がりで、製造コストを下回る金額で売り続けたら潰れるので、その商品は世の中から消えます。そういう意味で、需要と供給だけではなく労働価値説も一緒に考えたほうが正確にシノギを理解できます。
共産主義のカルトな教義
マルクス先生もここまではまっとうなこと言ってるんです。しかし、ここからがカルトです。
本来であれば労働者は自分の給料分の働きだけすればいいんですが、うっかりそれ以上に働いてしまうこともあって、それを資本家(会社のオーナーとか)が掠め取っていき、資本家はどんどん儲かるんだ。そして資本家同士で競争して勝ったところは大きくなって強くなる、どんどん作りすぎて売れなくなって倒産や失業が増えるんだ。だから労働者は団結して資本家をぶっ潰すんだ。そして、最終的には労働者が国のすべてを支配して、誰もが平等にお給料をもらえるようになるのだ。革命しようぜ!という話です。
前段の労働価値説は結構いいこと言ってると思うんですよ。現代でも原価計算とかしますし使える場面は多いです。それ以上に、人を雇うタイプのシノギなどで、どういう人を雇えば儲けられるかの分析などにも使えます。例えば、タクシーの料金が高いのは待機時間でも運転手さんにお給料を払って食べていけるだけの給料を保障しないといけないからです。そこで本業を他に持って食べていける人たちを忙しいときだけ雇えば生活全部の保障はしなくて済むので給料の総額は安く済ませられるというのがライドシェアの発想です。こういうシノギとかも労働価値説で考えることもできます。
マルクス経済学では、人類は資本主義を超えて、最終的には共産主義に行き着くのだ!と言ってます。
そしてマルクスの書いた資本論は難しすぎて何言ってるかわかりません。自分で読むよりも指導者の言ってることを聞いたほうが分かるというのも、文字が読めなかった人たちに教義を教えてやった教会や寺に似ています。とりあえず指導者の言ってることが絶対正しくて、それについていけば平等な社会が実現できると信者に教えるのです。
そもそも努力したり競争たりしなくともみんな平等にお給料をもらえるなら、サボったほうがいいに決まってます。そして、労働者は皆平等と言ってもまとめる役は必要で、まとめる役に権力を集中させたら自分だけいい思いしたいに決まってます。
日本の共産党の偉い人も超豪邸に住んでいるようです。
現実の社会では、どれだけたくさんの労働力を使って作っても全然売れないものとかもあります。マルクス先生は「命がけのジャンプ」を乗り越えた(=消費者に受け入れられた)ものだけがこの話の対象だからなと言っています。
会社の社長は売れないかもしれないリスクを背負って商売してますし、商品の価格には失敗やチャレンジに必要なコストも含まれているので、必ずしも資本家が労働者から吸い取っているとは言えないことも多々あります。もちろんブラック企業はありますが、資本主義でいればすべての企業が必然的にブラックになるわけではありません。
とは言え、論理的に考えたら筋は通ってないけれど、美しい夢を見せてくれる宗教は人気が出ます。共産主義は、戦争と組長の横暴で疲れて切っていたロシア国民の心に染み入りました。そしてパンピーたちは革命を起こし、レーニンという人を指導者にした新しい宗教国家が生まれたのです。
新しい国はソビエト連邦(ソ連)といい、前の組長が勝手に始めた戦争なんかもうつきあわねーよと言ってドイツと手打ちして抗争から離脱しました。
この宗教はその後世界中に広がっていきます。最終的には必ず労働者はサボり経済は衰退し、指導者は無理を押し通すために必ず暴力と言論統制を使った支配をしていくのですが、まだそのヤバさが伝わっていないので、うちの国も共産主義にしようとか言いだすやつが増えます。
ヨーロッパには、民主主義が広がって王が追い出された記憶があります。金持ちになったパンピーの中でも、変な宗教が流行って民主化の革命のようにヨーロッパ中に広がったら怖いという危機感があります。
そこで、アメリカ・イギリス・フランスと日本でソ連にヤキを入れることにしました。まだドイツとは抗争中でしたが、勝手に抗争から逃げて変な宗教を広めようとしているソ連は許せません。
ソ連の東の方のシベリアというめちゃくちゃ寒いところにカチコミにいくことにしました。しかし、西洋マフィアはロシアはシメたいが、日本がロシアのシマを削り取っても面白くありません。そこで、日本には兵隊は1万2千人までにしろよと制限をつけます。しかし、調子こいてる日本が守るわけありません。7万2千人も連れてきます。でも寒さと現地のパンピーの反撃に苦戦し、4年も戦って何も得ることはできませんでした。このときに米をたくさん持っていったり買い占める奴が出たので、米騒動が起きたのです。
終戦とケジメ
反省ときれいごと
その後、ドイツも最後の力を振り絞ってフランスへのカチコミしますが返り討ちにあい、降伏しました。オーストリアも降伏して、イギリス・フランス・アメリカ・日本の連合軍が勝ちました。
勝った方も負けた方もヨーロッパのマフィアは皆ボロボロです。ヨーロッパ中を戦場にして1600万人が死にました。産業革命を経て、弓や槍で戦っていた頃とは比べ物にならないくらい殺傷力の高い武器が使われるようになったので、マジでやり合うととんでもないことになります。さすがに西洋マフィアも少しは反省します。
その後、連合軍は、フランスのヴェルサイユ宮殿で、ドイツを仲間外れにして勝手にドイツと手打ちをするための条件を決めます。
その時にアメリカが「十四か条の平和原則」というのを出します。これはもうこんな悲惨な抗争を起こさないように、組同士で争いごとをなくすためのルールを設けようということです。
秘密外交を止めようとか、皆で軍備は減らそうとか、海はみんなが自由に通れるようにしようとか、ドイツやオーストリアに無理やり組み込まれていた小さな組も独立させようとかいいことを言ってます。
その中に、「民族自決」というものがありました。自分の組のことは組員自身が決めていいんだという話です。怖い他所の組のいいなりになる必要はありません。この「民族自決」を聞いて西洋マフィアの支配下で苦しんでいた世界中の人たちが喜びました。
しかし、いくら戦争で反省したからと言って、マフィアがこんなことを慈善事業でするはずはありません。マフィアは平和とは皆が戦争を放棄することではなくて、勝ったチームが睨みを効かせ、他の奴らがケンカをできないようにすることで実現するものと考えています。
民族自決は負けたドイツとかオーストリアとかロシアの持っていたシマの中だけの話です。英米仏が持ってるシマでそんなことするわけないです。これには植民地の人たちはとてもがっかりしましたが、インド、中国、朝鮮などでは独立運動が強くなりました。中国では五・四運動(5月4日におきたから)という運動をきっかけに孫文が国民民主党を作り、日本ヤクザに対抗していくことになるのです。
アメリカの出したこの原則はとても美しいことが書いてあるように見えて、実際はドイツやロシアとかのシマを削り、力を弱めるためのものです。アメリカにとって都合のいいことがたくさん書いてあるのですが、他の組は皆疲れ果ててる中、抗争に遅れて参加し、シマが戦場になっていないアメリカは十分にシノギの力も戦う力も持っているので皆これに従いました。
ほっとけば必ず起きる戦争やカツアゲをなくすためには、ルールが必要です。しかし、こういうルールが善意100%で作られることはありません。皆がめちゃくちゃ痛い目にあった上で、ルールを作る人が得することを目的に作られることがほとんどです。そうやって利己的な動機でのルールを積み重ねながら少しでもマシになるようにちょっとずつ進歩していくしか方法がないのです。
日本はどさくさに紛れてぶん取ったドイツのもっていた中国のシマと南洋諸島のシマを正式にもらうことになりました。中国のパンピーは激怒して五四運動という大規模な反日活動が全国で派手に行われました。
西洋マフィアの国もドイツからものすごい額の賠償金をせしめました。シマを剥ぎ取られ、借金漬けにされたドイツはマジでこの恨みは忘れねーと固く誓うのでした。
国際連盟と武器の制限
マフィアばかりのヨーロッパでもさすがに今回の抗争はマジで反省しています。やっぱ強い武器を持つようになって組員一丸となって戦争できる体制でやりあえば勝ってもめちゃくちゃ痛い目にあいます。
そこで、アメリカがみんなで同盟作って、揉め事を処理する裁判所や、(自分たちに都合の悪い)暴力を使うやつらは皆で文句言おうぜ(ただしカチコミはしない)という仕組みを作ろうと言い出します。国際連盟といいます。しかし言い出しっぺのアメリカは議会で反対にあって参加しないし、ソ連やドイツは負けたので入れてもらえません。口で注意するなら、バックに暴力がなければ誰も言うことを聞きません。強い組も十分に参加していないので、国際連盟は結局あんまり機能しませんでした。
それとあわせてアメリカは皆でケンカの道具の軍艦を減らそうと言い出します。
平等に減らすのではなく、組の強さに応じて減らします。アメリカとイギリスは格がちげーから5持てますが。日本は3,フランスとイタリアは1.67と差をつけて、アメリカイギリスが有利になるように比率が決められます。日本とイギリスが組んだら8になるので、日英同盟も終わりにされます。
また、中国で日本が幅を利かせているのが気に食わないので、ドイツから奪ったシマの変換と中国政府が日本のいうことを聞かなくていいということを決めました。
日本でもふざけんなという声があがりました。特に海軍はせっかく作った軍艦を壊すことになり、めちゃくちゃ怒りました。
デモクラシーの話
政党の対立軸
話は第一次世界大戦から少し遡り、日本国内の政治の話になります。
1890年に憲法が公布され、選挙が始まりましたが、最初の方は選挙ごっこでした。税金をたくさん払ってる男しか投票できず、その上名前を書いて誰が投票するか分かるようにしているので、皆地元のボスに投票します。議員になったボスは地元に利益を引っ張ってこれるようにゴネてきます。
伊藤博文はこういう田舎の小ボスたちを束ねて立憲政友会という政党を作っています。現代の自民党と同じです(正確には政党になったのは1900年で、それまでは伊藤たちの言うことを聞くゆるいグループです)。
しかし、こういうことやってると都市のパンピーは、「田舎モンが自分たちばっかりチューチューしやがって」と怒ります。政府を出ていった大隈重信とか板垣退助がアンチ政府の政党を作って立ち向かいます。こちらは、パンピーの意見を政治に反映して、カツアゲを少なくしろよという主張をしています。
初期の政党間には「バラマキ上等!」VS「カツアゲ減らせ!」という対立軸があったのです。
潮目が変わったのは日清戦争のときです。戦争のためにとたくさんカツアゲして、勝ってからは賠償金を使って強い国にするためにカネを使いました。それに三国干渉とかいう中国から奪ったシマを返してやれとロシアがアヤつけてきたことに組員全員がキレていました。怒りでロシアに負けない強い組になるという目標も共有でき、バラマキでメリットも配れるので組が一枚岩になりやすい状態でした。
政府もアンチ政府のメンバーを内閣に入れてやり、一つにまとまりバラマキをすることを目指すようになりました。こうして政党の力が強くなって、1898年には大隈が総理、板垣が内務大臣になり、陸海軍大臣以外全員アンチ政友会の内閣が生まれるのです。この内閣はすぐにごたついて潰れましたが、政党の力は無視できなくなって来てしまいました。
そこで、次の山縣有朋内閣は政党の牽制のために陸海軍大臣は軍人じゃねーとできねーからという決まりを入れます。これが後々軍部のゴネ得を強めていくのです。
総理大臣よえー
明治の終わりから昭和の初期にかけて、パンピーの政治に参加させろとの声が大きくなり、最終的には普通選挙(男だけ)が実現します。
明治憲法の下の政治は、議会や大臣がゴネると止まるので、総理大臣が妥協するか辞めるしかありません。この仕組みがあることでパンピーの政治参加につながりました。
政治が止まるたびにパンピーは怒って、その時の総理大臣をやり玉に上げます。総理になっても怒りの的にされるだけなので好き勝手できるうまみが全くありません。議会で多数派を握っている政党のやつらを仲間にいれないことにはどうにもならんので、選挙で選ばれた人たちが政権に参加するようになるのです。
しかし、選挙で総理大臣が決まらないというのは、声が大きな奴らが得をするということでもあります。よそのシマを広げるぞと威勢の良い話をすればパンピーは乗ってきますし、反対するパンピーの批判は暴力で抑え込むことができれば政権運営にはなんの影響もありません。
弱すぎる総理大臣の権限、声のでかいやつが総理大臣になる仕組み、総理大臣の権限の弱さを暴力でカバーすることができる条件が揃うことで、民主主義から一気に軍部独裁の政治になっていくのです。もちろん、パンピーもそれを支持しました。
ゴネ得とデモクラシー
明治憲法は選挙の結果で総理大臣が決まるわけではない仕組みです。裏でゴニョゴニョと有力者が決めます。なので、本来は政党とか無視して勝手にやればいいのです。憲法が発布された日、首相の黒田は「ぜってー政党の好きにはさせねーからな」と言いました。
しかし、仕組み上そうは行きません。伊藤博文が西洋基準にこだわって予算と法律を決める権限を議会に渡してしまったので、議会でアンチ政府の政党のやつらがゴネまくると政治が止まってしまうのです。
そういうゴネ得があるので、政府も政党とある程度妥協しないわけなにはいかないのです。
ゴネるのは議会だけではなく大臣もです。明治憲法では総理大臣は他の大臣をクビにできないので、特に陸軍大臣、海軍大臣が言う事聞くまでゴネ続けます。それでどうにもならなくて辞職する総理がたくさん出るのです。
こういうのを見ているとパンピーたちも白けてきます。パンピーの目には薩長の出身者ばかりでコロコロ入れ替わってこいつら自分の都合だけで政治してるんじゃねーの?と映ります。実際仲良しのお友達にバラマキをしていますし。
日露戦争のあと取れると思っていた賠償金が取れずにパンピーたちは怒っていました。
そしてパンピーたちも知恵をつけてきます。明治も40年がすぎ学問も発達してきて、学者たちが「デモクラシー」というものをパンピーにもわかりやすく説明するようになりました。「デモクラシー」というのは今で言う民主主義ですが、この頃は民主だと主権者である天皇陛下に失礼で炎上するので「民本主義」と訳されています。
明治が終わり大正時代になる頃、このデモクラシーという言葉が流行りだしました。1911年に薩長の中で総理の椅子をコロコロと変えていたときに、アンチ政府政党がその時の内閣(桂太郎内閣)をぶっ潰すと叫んだら、パンピーたちも警察署や政府寄りの新聞社に放火をするなどの暴動を起こしました。そして国民の人気の高かった大隈重信が総理になります。
パンピーの怒りが高まるたびに暴動が起きます。怒りの矛先は政府に向かいます。
次にパンピーをキレさせたのは第一次世界大戦中のシベリア出兵です。当然兵隊さんがかわいそうとか、ロシアの人がかわいそうという話ではありません。
シベリア出兵で米を持っていったから米の値段が高くなって買えない人が続出していたからです。富山のおばちゃんたちが買い占めをしている米問屋に抗議をしはじめたのをきっかけに全国各地で米問屋や金持ちを襲撃する事件が多発します。
その時の寺内内閣は新聞に圧力をかけて米騒動のニュースを止めさせようとしました。しかし、当時のジャーナリズムは、売れるなら煽るという困った習性がある反面、殴り返してくる相手でも批判する根性もありました。このときはリアルで殴られるのを覚悟で政府批判した新聞社も多く、パンピーの怒りに燃料を注ぎ続けました。結局内閣は退陣です。
総理大臣の権限が弱すぎて、議会でも仲間内の内閣でもゴネる人がいて政治が止まる。そうするとパンピーには、政治家が自分の利益のためだけにゴネてるようにしか見えない。そして、政治がうまくいかないとパンピーが暴動する。
こういうことを繰り返しているうちに、薩長とか政府の偉い人達にも自分たちだけで決めてもいいことはないように見えてきました。
パンピーが自分で選んだ政党のやつらにも責任とってもらわないと割にあいません。
ということで、次は一番数が多い政党(伊藤の息のかかってる立憲政友会)の党首の原敬が総理になりました。薩長でも元セレブでもないので平民宰相と呼ばれます。政党をバックにしているのだから、選挙で選ばれたというその力が強くなるように選挙権を拡大します。今まで10円以上の納税をしている人だけだったのを3円にまで引き下げます。しかし、さすがにすぐ暴動するパンピー全員に選挙権をやる普通選挙はやれねーと判断しました。
パンピーたちは、権利を主張するようになります。雇われて働いている人たちは労働組合を作って、会社と交渉をする労働組合をつくるし、農民たちはチームになって地主と交渉するようになります。女性も男と同じように扱えと主張するようになります。
共産主義・社会主義という新しい宗教も広がってきます。(厳密には2つは少しだけ違うのですが、普通に生きていれば一生使うことのない知識なので、同じだと考えてOKです。)
原内閣は産業とか教育とか交通網の発展とか頑張ったのですが、普通選挙をやらないので人気がなくなり、刺されて殺されてしまいます。
そんな中、関東で大きな地震が発生し、東京の町が壊滅します(関東大震災1923年)。死者・行方不明者は10万人を超えました。
皆が不安になったときに朝日新聞とかが「朝鮮人が井戸に毒を入れている」というデマを流しまくりました。それに煽られて、自警団を名乗っているヤンキーたちが朝鮮出身者をぶっ殺しはじめました。
それに目をつけた軍やポリが社会主義のやつらも暴動を企てていると言い出してパクりはじめました。
その後、東京の町は復興し、現在のように区画が碁盤の目のようにきれいに整理された町になるのです。
普通選挙
普通選挙を導入しろというパンピーの要求は大きくなってきます。
パンピーに支持されている3つの政党が憲法を大切にしようと手を結んで、選挙で圧勝します。その勢いで総理大臣になった加藤高明が、大人の男なら誰でも投票できる普通選挙をやることにしました。男しか投票できないのに普通選挙と言って誰も不思議に思わない時代です。
しかし、政府としてもすぐに暴れるパンピー全員に投票権を配るのも怖い。自分たちで議員を選んでおいて、気に入らないことがあると暴れるのは目に見えています。特に共産主義が広がることはとても怖いです。
そこで、「治安維持法」という法律をセットで作ります。最初は共産主義を取り締まるという名目で作られましたが、政権側にとってこんな便利な法律はないので、後々気に入らない奴らを誰でもパクれるように進化していきます。ここで総理大臣の権限の弱さをカバーできる暴力が生まれました。
そもそも憲法で多数派が総理大臣や内閣になれるとも決めていないので、色々と揉めますし、投票できる人が増えたせいで選挙にカネがかかり汚職も増えてきました。政治家も権力を取ればそれを失わないようにしたいものです。際限なく要求してくるパンピーよりも利権をまわせば助けてくれるお友達の方が大切です。
パンピーたちの望む通りの政治にはなりません。そのパンピーたちの不満に対して、他所の組のシマぶん取ったらスカッとするぜと言ってくる軍の甘い言葉が染み入るようになっていくのです。
世界恐慌
そんな中、1929年アメリカで大不況が起きます。アメリカの4人に1人が仕事を失うというレベルのすげー不況です。それは世界中に飛び火しました。
イギリスとかフランスは植民地のシマを大量にもっていたので、自分たちのシマの中だけで貿易をして、よその組にカネが流れないようにしました(ブロック経済)。自分だけよければいいのです。
しかし、新参者の日本とか、第一次世界大戦で全部引っ剥がされたドイツとかは経済を回すためのシマがありません。この不景気の中、シマがなければシノギができません。日本もドイツも熱烈に外にシマを広げたくなってきます。
日本もずっと中国にちょっかいを出し続けています。ずっと狙っているのは朝鮮半島の付け根からロシアとの国境に広がる満州という地域です。パンピーたちも期待しています。
しかし、中国での日本の評判は最悪です。このままではせっかく切り取った中国のシマを守れないと軍のヤクザたちは危機感を持ち始めました。軍が使う手段は当然暴力です。
しかし、勝手にシマ荒らしをしてヤクザ行為をしている中で、さらにこちらから手を出したら余計反感を買うし、国際社会の中でも世間体がよくありません。
そこで、軍(関東軍)は自分たちのシマの中の鉄道を自分で爆破して、中国側がやったんだと、ヤクザ丸出しの因縁をつけて満州にカチコミをかけました。本家はそんなことをしろなんて言ってません。慌ててやめろと言いますが、軍はそんな命令を聞きません。新聞はヤクザ行為を称賛し、パンピーたちも熱狂します。
軍のヤクザどもはやり放題です。引退させられた清の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ)を連れてきて、組長に据えて満州国という国を勝手に作ったのです。溥儀はお飾りで、組の幹部は全員関東軍のヤクザが務めます。
この軍の勝手な暴走で、内閣が2つ吹き飛びます。2つ目に吹き飛んだ犬養内閣は、首相がぶっ殺されています。軍の若い衆が犬飼の家に乗り込んできて、チャカをぶっ放してタマを取るというヤクザの出入りそのものでした。(五一五事件)
逆らったら首相でも殺される状態で政府が軍に止めろと言えるはずがありません。ここから日本はデモクラシーを休止して、軍が好き勝手やる国に変わります。
そんなめちゃくちゃが通ったのは、新聞が煽ったことと、パンピーが支持したことがあったからです。
中国はできたばかりの国際連盟にチクりにいきます。
西洋マフィアも第一次世界大戦でマジで痛い目にあって、もうドンパチは止めようと国際連盟を作ったのです。その矢先に日本がこんなことをするのです。調査団を派遣して調べたらどう見ても日本がやってます。
国際連盟は正義の組織ではなくマフィアやヤクザの利害調整の組織なので、中国のシマは日本がもっていていいけど、満州国は止めておけといいます。しかし、日本はブチ切れて「上等だ!国際連盟なんかやめてやらぁ」と言って出ていきました。
そして、勝手に夢の国満州にパンピーたちを移住させていくようになるのです。
こうして、日本は世界中から味方を失い、他の嫌われ者たちと一緒に嫌われ者同盟を作ってぶっ叩かれる道を歩むことになるのです。
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