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ヤンキーとセレブの日本史 Vol1.縄文~弥生~古墳時代

縄文時代

1万6000前から2400年前ころまでの時代を縄文時代と言います。
この頃に出土する土器は、まるで族車のようです。
機能性を犠牲にして、荒々しく躍動感がある派手な土器が大量に出現します。

稲作という計画的な生活が必要となる前の時代。縄文時代は、採れるかどうか運の要素が大きかった時代。
だから、計画的に物事を進めてもあまり意味のない時代です。
言い換えると、機会費用(ある行動をとったとき、その行動によって得た利益と、違う行動をしていれば手に入れられていたと思われる利益との差)を考えることに意味がない時代なのです。

ヤンキーはその場の情熱で生きていて、機会費用をあまり考えないので、目の前にあるものに全てを注ぎ込みます。
派手に改造した族車など、合理的に意味を考えたら絶対に生まれません。捕まるリスク、移動の効率性、暴走で失う経済的価値などの合理性から観れば、族車を作る意味などないでしょう。
しかし、合理性ではない別の心を躍らせるなにかがあるからこそ、ヤンキーは族車を改造します。

狩猟採集の時代という、明日に備えて合理的な資源配分の行動を取ることに意味がない時代だからこそ、この時代の土器や土偶は製作者が思った美しさをそのまま注ぎ込み、躍動感に溢れた美しさを持つのではないでしょうか。

左:ぶち上げスタイルの族車(引用 単車の虎) 右:最も機能的なバイクHONDA カブ

弥生時代

大陸から稲作が伝播し、農業が普及することで時代が大きく変わってきます。
農業が大きな影響を与えた点は2つです。

1.効率的・合理的であることに意味が生まれる
狩猟採取は運や環境によるところが大きかったのですが、農業はそれに比べれば遥かに計算できる部分が大きくなります。
狩猟採取はどんなに努力しても食べ物を取りにいける範囲は限られています。しかし、農業は田畑を増やせば、生産量も増やせる。そして、効率的な生産には、労働力を適切に配分することが必要になります。
 
要は無駄なものに労力をかけるよりも、確実性の高い農業に労力をかけるべきということが成り立つようになったということです。
 効率的に労力を使うこと、合理的なことに意味が生まれてきたのです。

2.食料生産をする以外の仕事を生み出す
食料生産が効率的にできるようになることで、食料生産に関わらないでもよい人を養う余力がコミュニティ内に生まれます。
宗教や祭事を行う者、政治を行うもの、武器や道具を生産する者など、集団を強くしたり生活を便利にしたりすることに人員を割くことができるので、文明が発達していきます。
食料が不足した場合は、田畑を開墾するよりも、近隣の集落から武力で奪い取る方が効率的なときもあります。

左:縄文式土器 右:弥生式土器

縄文時代の土器と比べると、弥生時代の土器は使いやすく機能的になった反面、無駄で過剰な装飾がなくなります
合理性・効率性を重視すると、実用性が重視され、心がワクワクする美しさが衰えてしまうということは、現代にも教訓となるのではないでしょうか。

小国の乱立と、そこで勝ち抜くためのケツモチという概念

農業により、組織の体制が整うことで、小さな国が多く生まれました。
国同士がお互いに戦争し、領土を奪い合っている状態で最も早く優位に立つには何をしたらよいでしょうか?




答えは、有力なケツモチをつけることです。
ケツモチとは、Wikipediaによると「暴力団などの組織が商店等を庇護下に置き、対価を得る行為をさす俗語」と出ています。
要は、バックに強くて怖い人達がついていれば、他の国は手を出せなくなるということです。

この時代、ケツモチになれる最大の勢力は一つしかありません。それは中国です。

歴史の教科書に出てきた「漢委奴国王印」という金印は、時の王朝「漢」が「奴国」のケツモチをしていたことの証です。
金印みたいな小さなものがなんでそんなに影響力を持つのかと思うかもしれません。
しかし、これはとても怖い組織の代紋のバッジ、武闘派暴走族のチームのステッカーと同じです。金印そのもの自体に力があるのではなく、それを授けた人や組織に恐怖を感じるのです。
現代の感覚でも、胸元に黒と金色の小さなバッジをつけている人と争いたくないのは理解できると思います。

龍が如くに出てくる架空の組の代紋(引用:ファミ通.com)

この金印があることで、「奴国」は勢力を拡大することができました。しかし、漢は滅んでしまいます。ケツ持ちが消えたからか、「奴国」は日本統一をすることはできませんでした。
その後、中国は三国時代になり、そのうちの一つの有力国「魏」にケツモチを頼んだのが、卑弥呼のいた邪馬台国です。

古墳時代

そんな小国の動乱の続いた中、3世紀後半に奈良に生まれた強力な勢力が「大和朝廷」です。当然、中国にケツモチをしてもらっています。
奈良に本拠地を置き、朝鮮半島まで勢力に組み込んでいた大勢力です。中国のすぐ近くの朝鮮半島にシマを拡大するには、当然中国に仁義を切る必要があります。
朝鮮半島もその頃は4つの国に分かれておりお互い争っていました。日本が肩入れした国が敗れたときは、そこからの難民を受け入れ、大陸の文化を吸収しました。

古墳は代紋

これは私の個人的な説ですが、古墳には代紋と同じ効果があると思っています。
奈良の大和朝廷が使った前方後円墳という形の古墳は全国各地や朝鮮半島にも残っています。
この不自然な形の建造物が、なぜ全国各地にあるのか。それは、同じシンボルを持つことで、一門に入ったということを示す証であると考えられます。
武力の時代は、ヤンキー的な統治になります。ヤンキー的な統治では、見ず知らずの人間でも一門に入れば仲間と考え、そいつが強ければ地元を支配させます
現代のように代紋のバッジを作ったり、ロゴが印刷された名刺をもたせたりすることが技術的には不可能な古代では、巨大で誰の目にも入る大きさの特徴的な形は、一門の構成員であることを示す代紋の役割を果たしていたのではないでしょうか。

埼玉県行田市にあるさきたま古墳。埼玉の古代のヤンキーたちも遠く離れた奈良の都の大和朝廷の一門に加わったことを誇らしく思っていたに違いない

この形の古墳を作ってよいのは、日本最強の大和朝廷一門のメンバーのみという意味があり、その最強チームの一員になれることは、地元のヤンキー集団にとってはこの上ない誇りであり、敵対組織にとっては大きな牽制になったでしょう。

暴走族は1970年代頃から全国に広まりはじめましたが、最初は東京のかっこいい不良の文化でした。多くがチームの勢力拡大を目指しており、有力なチームの幹部は少年院で知り合った地方の不良少年たちにチームの暖簾分けをして広めたそうです。田舎の不良少年たちが、都会の本物の暴走族の一員に自分もなれることに心躍らせたことは想像にかたくありません。古代でも同じように田舎の豪族たちも、朝廷の一門に入って地元で大きな顔で歩けることを喜んだのではないでしょうか。

古墳時代は、このように大和朝廷による日本統一がなされ、その中で武功をあげた家臣たちが大きな勢力になって飛鳥奈良時代に突入していくのです。


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