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なにくそと思ってがんばったとよ。
そんな調子で、九州の田舎町のそのまた奥地の村から裸一貫で街の中心地に出てきたマサト少年は、市内の都会のど真ん中で大成功した。その大成功がどの程度のものだったかというと、まだ誰も車を持っていない時代に運転手付きで自動車を買ったほどだった。戦後間もなく、お金も物もなかった時代。「国賓が来るから車を貸して欲しい」と県庁職員が、車を借りに来たという。
一代で財をなした祖父は、子供たち、親戚一同からヒーロー扱いされていた。祖父のサクセスストーリーは伝説となり、子供たち、親戚一同みんなが憧れ讃えた。
そんなお金も名声も勝ち取った祖父にも弱点があった。それは、「学がないということ」そして「自分は長男ではない」ということだ。祖父は、ことあるごとに「僕は尋常小学校しかでとらんけん」と言い、謙遜した。本当に恥ずかしそうに、下を向きながら。あるいはその学のなさが、商売人としてのフットワークの軽さといい意味でのプライドのなさを彼に授けていたようもとれる。しかし、本人としてはいわゆる強いコンプレックスを持っていて、その話題になるといつもシュンとしてしまうのだった。
もう一つのコンプレックス「自分は長男ではない」ということ。これを強く印象づける話が、ある。ある日、祖父が、生家の畑で畑を耕していた。突然、激しい痛みが額を襲って、驚いて祖父はひっくり返った。祖父の額は割れて血がドバドバ出ていた。祖父は何のことかわからず見上げるとそこには祖父の兄さんが立っていたという。祖父の兄さんが祖父の頭を突然農耕機具でどついたらしい。そして祖父の兄さんは太陽を背に祖父のことを嗤っていたそうだ。畑にうずくまり傷口を押さえながらうずくまる祖父を見下げて嗤っていた。そのあと、祖父は長男として生まれなかった自分は、もうこの家にいてもダメだと腹をくくって、自分が生まれた家を去ったそうだ。そしてその後兄さんは、家督を継いだ。
この話を祖父は小さな私に何度かしてくれた。その時の話をする祖父は、いつも怒りと悔しさに満ちていた。「あんちくしょう、あんちくしょう、こんちくしょう、こんちくしょう・・・」と言いながら、歯をくいしばるように話していた。そして話の最後には、「きくちゃん、なんでもなにくそと思ってがんばらんばとよ。おじいちゃんは、なにくそと思って頑張ってきたとよ」と言った。
私は不謹慎ながらも祖父が兄さんから殴られるこの話を聞くのが嫌いではなかった。その話をしている時の祖父があまりに表情豊かに表現激しくて。まるで私もその場にいて、お爺ちゃんが脳天をかち割られるところをそばで見ているような錯覚をした。映画の一場面を見ているようだった。
祖父が亡くなる数年前に祖父の兄さんが、死んだ。90歳の祖父は葬式の帰りの車の中でも兄さんの悪口を言いつづけていたらしい。「あんちくしょうは、実家で密造酒を作って売りよった あん悪人が」・・・とか兄さんの生前の悪行をぶつぶつとつぶやいていたらしい。「葬式の直後にあんまり言うものだから『死んだ人のことを悪く言うもんじゃありません』って私が一喝したわよ、まったく〜おじいちゃんは・・・」とお継母さんが、言っていた。
私は祖父の気持ちがなんとなくわかる気がする。要は、祖父は「あいつは、まっとうな努力もしないで本当にずるい奴なんだ」って言いたかったんじゃないだろうか。もっと言うと「あいつは、努力もしないで、ずるい奴なのに。俺をいじめて追いやって、家督を継いでみんなに長男として認められて、、、あいつが嫌な奴だって全世界に知らしめてやりたい!じゃないとこの次々と湧いてくる怒りはどうしたらいいんだよ!」っていう気持ちだったんじゃないかなと思う。葬式で昔自分を殴って嗤った兄さんに対面して、居場所がなくて逃げ出した実家に行って、おじいちゃんは、きっとまたあの畑の場面にタイムスリップしてしまったんだ。90過ぎのおじいちゃんは、一瞬にして少年だったあの日のあの畑の場面に戻ってしまったんじゃないだろか。
祖父は、93歳で死んだ。死ぬまで。そして死んでも、きっと兄を許していなかったと思う。相手が死んだからって、自分が死んだからって、なにも終わらないんだ。人の想いや恨みは、消えないんだ。そんな気が、する。