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「ありがとう」と「すみません」
機能不全家庭に育った人は、よく「すみません」と言うのだろうか。結婚生活の初めの頃、私は、よく「すみません」と言っていたらしい。旦那に何かしてもらって「あ、ゴメンね」。旦那の両親に結婚の挨拶に行き「すみません」。旦那の会社の上司に「結婚おめでとう」とお祝いをもらい、「あ、ぁ・・・すみません、こんなにしてもらってすみません」と言っていたらしい。私本人としては全く自覚はなく、礼儀を欠いたつもりもない。心理的にはむしろ逆で、「私なんかに何かをしてもらうことが嬉しいよりも、なんだか申し訳ない、この裏には何かあるんじゃないか、怖い、どうしよう」というような気持ちだった。相手に対してふんぞり返るような、相手を軽んじるような気持ちは一切無かった。だが旦那の眼には、そんな私の態度は非常に奇妙に映ったらしい。「え?なんですいませんなわけ?普通ありがとうじゃない?」というふうに。
他人同士が結婚生活をスタートして、生活習慣の違う者同士がお互いに対して違和感・不満感を持つのは当然のことだ。週末や仕事の後ちょこっと食事をしたり遊んだりするのが恋人同士だとしら、ふたつの全く違う家庭に育った二人が一緒に共同生活をして、お互いの育った家庭や人生で身につけたそれぞれの価値観を出し合い、「あーでもない」「こーでもない」と言いながらお互いが妥協できる線を見つけていく、、、それが、夫婦になるということだ。そのすり合わせの過程で妥協点を見出せず離婚となる場合もあるだろう。それをもちこたえられる夫婦は、協力しあって二人の家庭のルールを作っていく。そして昔風に言うならば、その二人が決めた共通ルールがその家の家風となるのだ。私たちの場合も価値観のすり合わせの時期は、もちろんあった。一緒に生活してみた結果出てきた旦那の私に対する一番の不満は、やはりこの「ありがとう」が少ないということ。私の場合、逆に「すみません」や「ごめんね」が大量にあった。
例えば旦那が私に何かしてあげるとする。例えば、車で家から最寄駅に送ってあげるとか、ティッシュをとってあげるとか、お風呂を洗ってあげるとか。そういう日常のいろんなことをしてあげて旦那は私に褒めてもらいたかったらしい。当時の旦那にとって私との暮らしは、実家を出て初めての二人暮らしだった。初めて新婚生活で妻に感謝されたり、褒められたりしたくて一生懸命やっているような心理状態でいたようだ。新生活にやる気と期待がいっぱいだったのだろう。しかしせっかく何かやってあげても感謝して褒めるどころか私は「あ、ごめんね」しか言わない。
例えば・・・
旦那:「お風呂洗っておいたよ」
私:「あ、(私がやらなくて)ごめんね」
それだけではない。一番最初に旦那に「ありがとう」ともっと言って欲しいと言われた時、なんだか気持ちの悪い恐怖感を感じた。「ありがとう」にこんなに気持ち悪さを感じるなんて、なんでなのだろう・・・?自分でも不思議に思った。でも、その時は上手く説明できなかった。
結婚する前までは、仕事でお客さんが商品を買ってくれた時やお客さんが時間を作って自分に会ってくれた時、上司が何かをしてくれた時に元気な声で「ありがとうございます!」と何度もいうのは、違和感なくすんなりとできていた。働く顔の私は、商社の海外営業ができるくらい明瞭で愛想がよい利発な人間なのだ。私は、いつも元気でよく冗談を言い、ざまざまな国の人たちに物怖じせずに話しかけ、商談に負けてもへこたれない人間として知られていた。自分も自分自身のことをそういう人間だとずっと思っていた。だが、そんな元気バリバリの私がなぜか旦那と家族になった途端にウジウジと「ごめんね」と言いながら涙を流すような湿っぽい女になってしまっていた。
今思えば、これは解離性障害の表れだったのだ。働いている時の「私」と家庭の中での「私」は、わたしの肉体という名のテレビに映し出された違全くうチャンネル(人格)だったのだ。見た目は同じ人物のようでいて中身は全く性格の違う「私」が、同じ外からの刺激に対して仕事の顔と家庭の顔と状況に応じて人格チャンネルが切り替わり、それぞれに違った反応を示している。旦那にしてみれば、明瞭で愛想が良くて自分を評価しながら引っ張ってくれるような強い女性と結婚したはずが、結婚した途端にウジウジし始めてどうしちゃったの?これって、俺のせいなの?・・・って感じの感覚になったかもしれない。
当時の私は、自分のこの状況が変だなというのは何となくわかるんだけれど、旦那さんにうまく説明できるほど理解していなかった。
私:「ありがとうって言わないかもしれないけど、いつも『やってもらって、ごめんね』って言ってるじゃない?」
旦那:「謝られたらまるで俺が君を責めているみたいじゃないか?!まるで俺が悪者みたいじゃないか!?俺はただ感謝されたいんであって君を責めている悪者になりたいわけじゃないんだ 、、、いつも俺に謝ってくよくよ泣いている君を見ているとイライラしてくる」と言った。
なるほど、なるほど。私の「ゴメンね」を嫌がる旦那の気持ちと理屈は、これだったのである。私は、旦那に何かしてもらって申し訳なさそうにすることで相手を知らずと支配者であり悪者にしてしまっていたのだ。悪者がいて善人がいるのではない。加害者があり被害者がうまれるのではない。被害者がいるから、それ以外の人が加害者になってしまうということもあるのだ。だから被害者の顔をすることで相手を加害者にしてしまうのは、隠れた加害者行為なのである。旦那は、私にとって加害者でも被害者でもない「いい人」「素敵な旦那さん」と思われたかった。だから無意識とは言え「被害者」の顔をして自分を加害者にしたてあげようとする私に対して無性に苛立って怒っていたのだ。