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天使と悪魔じゃない

自己コントロールが難しいとされているのは、そこに葛藤が存在するからである。

目の前の誘惑と遠い未来の幸せの間の葛藤、欲求と理性の間の葛藤、

フロイトの言葉を借りればイドとスーパーエゴの間の葛藤など、常に我々は葛藤の中にいき、どちらを選ぶかを常に迫られている。

そんな中で、多くの場合、将来の大きな満足を満たせるような選択をするのが賢明だということは分かっていながら、実際は目の前の誘惑の方が魅力的に見えて、その場の快楽や満足を選んでしまう。

例えば、朝早く起きて仕事の前に何かしら勉強するなり運動する方が長期的に見れば良いのは分かっているのだが、実際はギリギリまで寝てしまう。

今仕事を頑張って終わらせれば、近い将来もっと大きな幸せが待っていることを何となく知っていながら、SNSやNetflixなどの目の前にある娯楽に手が伸びてしまう。

そんな未来よりも現在優先な選択をすることは悪であり、その選択をした自分は責められるべきであるというのが何となく社会の潜在意識の中にある価値観だろうと思う。

なので、どれだけの人がだらしない自分自身を嫌っているかは数えることすらできないだろう。

『なんて自分に甘い人間なんだ』『なんて弱い人間なんだ』と常に自分を責めながらも、いざとなると負けてしまうのだ。

過去にも何度も言っている通り、僕もまさにその一人だ。

また、こんな話をする時、よく出てくるのが天使と悪魔だろう。

天使が『ちゃんとしよう』みたいなことを言ってくる理性的な役割を果たしていて、逆に悪魔が『まぁちょっとくらい楽してもええやん』みたいな感じで欲求の役割を果たしている。

誰にでもこの天使と悪魔がいて、この二人が戦っていると表現される。

しかし、僕の中にいるのは天使と悪魔ではないように思う。

僕の中にいるのは天使と悪魔ではなく、悪魔と悪魔の甘やかしを正当化してくれる理由づけの役割の奴がいる。

そこに天使はいないように思う。

僕の中で悪魔がしたいようにしだすと誰も止められなくなる。

そして、ダメだと分かっていながら、誘惑に負けて楽な方を選んでいる自分を正当化するために頭が使われていることが最近はすごく感じる。

これは良くないのか、もしくは当然と言えば当然なのかは分からないが、何しか悪魔が幅を利かせすぎているように感じる。

このように感じているのは僕だけではないだろうと思う。

多くの人にとって天使が弱すぎるのではないだろうか?

天使と悪魔じゃない。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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