一つの傷もつけずに子育てすることなんて、できない。
開き直りのようにも聞こえるタイトルになってしまいました。
ですが、無傷で育てあげることなんてできないんだから、親の意思ひとつで価値観押し付けるような子育てでいいんだ、なんて話ではありません。
子どもを傷つけないように、と思っていても、全く叱らずに怒らずに育てることなんて、できないですよね、という話です。
諸々ありまして、私は怒りや攻撃の感情を表に出すのが苦手です。
いつも穏やかだね、と言われることも多く、
怒るところなんて想像つかない、とか言われたりもします。
でも、
素直に、ぱっと感情を出すのが苦手なだけなのかもしれません。
とはいえ、子育てしていく中で叱る場面は必ずでてきます。
危険なことや約束を破ることなどに関しては、然るべき必要があって、
「叱ろう」と思っているので大丈夫なのですが、
そうではなく、
自分でも気づかなかった感情を不意に引っ張り出されるようにして、
つまり「怒り」の混じった「叱り」をすると、後でなんだか不安になったり、辛くなってしまいます。
長女をそんなふうに初めて叱ったのは2歳の時。
噓泣き、というかこちらを試すようなことをしたんです。
なんというか、女の狡さを垣間見たというか。
ちょっと、カチン!と来てしまって。
泣かせてしまいました。
2歳児を泣かせるまでするって、どうなんだと自問する自分も感じながら。
でも、言わずにはいられなかったんです。
自分が、幼稚園からわりと長い間同性から妬まれたり、いじめられたりしていたからかもしれません。
同性だからわかる、嫌な暗い部分。
見え透いた嘘で、自分を優位に立たせようとする行為が
とてつもなく嫌だったんだと思います。
なんなんでしょうね?
こちらから何もしてないのに、関わってすらないのに、
一方的に標的にされるって。
幼稚園の時とか、記憶にもないんですけど、
どうもそのせいで年長の1年間だけ別の幼稚園に転園しているんです。
謎・・・。
でも、庇ってくれた男の子もいたらしいので、それは憶えておきたかったなあ。
その後、高学年になって親友と呼べる友達もできたのですが、
違うグループからなぜか陰口を言われたり、標的にされ。
ああ、めんどくさい。
女の子グループのいざこざに巻き込まれるよりも、孤独を選んできました。
学生時代の友達は、少数精鋭です。
でも気づけば、今はたくさんの知り合いがいます。
幼稚園からのママ友やPTAなどのつながりとか。
昔からの大切な友達とは、今でもたまにスカイプしたり、連絡とって年に一回でも会ったりしています。
ちょっと、学生時代の自分は想像していなかった自分です。
もし、あの時こうしていたら。
違う選択をしていれば。
という「たられば」を考えていても仕方ないのですが、
もし、あの時私が長女を叱らなかったら。
彼女は、私が嫌悪した女のいやらしさをこちらにつきつけてくるような存在になっていたのかな。長男が、私の生真面目さや「こうであらねば」思考を打ち砕いてきたように。
子どもって、親の価値観を広げてくれるなあと思うので。
親が否定的に感じていることやものの、違う一面をみせてくれるというか。
それに、子どもの時の「嘘」や「ごまかし」といったいわゆる「悪いこと」も実は色々と意味があるんですよね。。
ちょっとくらいの悪いことって、生きるための方略を増やしてくれる一面もありますから。
(あ、決して悪いことを推奨してるわけじゃないですよ。念のため)
”悪いこと”ではあるんですが、それを全否定してしまうことはあまり良くなかったのかも、とも思うんです。
生真面目な長女をみていると、なんだか昔の自分を見ているような気分になる時があります。そして、彼女をそうさせてしまったのは、あの時なんじゃないか、って。
でも、あの時の私はそうすべきだと思ってしまった。
嘘やごまかしで、人を平気で傷つけるような子になってほしくない。
嘘やごまかしで、優越感を覚えてほしくない。そんなものは空虚だから、と。
でも、
どんなに大切に思っていても、どれほど良い選択をしてきたと思っていても、全く傷をつけずに子育てすることは、きっとできないんでしょう。
その時にはわからないことも、たくさんあり過ぎますし。
子どもも未熟ですが、親自身も完璧なんかじゃないですからね。
私にできるのは、子どもを傍でみていること。
そして、子どもから課題を投げ返された時は、軌道修正や反省のチャンスをもらったと捉えて、向き合う。
という心構えを携えておくことなのかもしれないと思いました。
《 今日のまとめ 》
・子育てには、親の価値観やそれまでの経験が影響する。
・悪を全否定すると生きづらくなっちゃうかも。
・無傷で子どもを育てることなんてできないけど、だからこそ
子どもから「困ったこと」を示された時はしっかり向き合う。
読んで頂き、ありがとうございました。
色々考えながらも、少しずつ歩いて行けますように。