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妹尾武治著「僕という心理実験」読みました



まず初めに

読了とツイッターでつぶやいたところ、
一緒にいてください、と妹尾氏がメンションしてくださいました。センテンスには繊細さと優しさが滲み出ていました。
本を書いたことで終わったわけではなく、
彼の手探りの旅は進行形であることにハッとしましたし、
彼には愛が必要なのだと思いました。
本には同じ悩みを持つ人への助けになりたいとの愛が溢れているので彼自身の飢餓感のことはうっかり軽んじてツイッターに気軽に書き込んでしまったのでした。

ただのその辺のおばあちゃんで良ければ量子的に繋がっていきましょう。一緒にいましょう。

ご両親のこと、自殺のこと。
学術的な点のみならず、漫画やアニメ、ファミコンゲームなどなどのオタク的分野からのアプローチ、そして性的なことまで書いて曝け出した勇気に本当に驚いたのと同時にそのような方が存在してくれることに感謝しています。
自らの性的な部分を隠すこともなく、日本人に問いかけてくれている、宮台真司氏、岡田斗司夫氏、坂口恭平氏のように
丸ごと晒して話しをする人の真実味は訴えるものがあります。
一般人のおばあちゃんの私でも実体を隠していたいのに。。

さて書きたいことは山ほどあるので項目を羅列して見ました。
流石にドラゴンボールも読んでいないし、ファミコンもやっていないので(でもメタバースには興味があるので今からサンドボックスに挑戦したいと目論んでいますよー)
本の内容の理解度は浅いと思います。
この文章を読んでくださる方の参考になるかどうかは疑問です。。
感想文というよりはこの本を読んだことから思いついたあれこれについて書いています。

感想文には関係ないけど私は言いたい!
今、世界は産業革命以来の大変換期に突入している。
嘘で固められたここ数百年?の時代が終わろうとしている。
生きて変化を目撃しよう!
ひっくり返るカオスの中、新しい時代を見て、そしてそこに生きるために地球にやってきた。
3次元のことはホログラムかもしれないと思いながら
多次元に立とうよ!
10代20代で死ななくてよかった。。

書きたいこと

・読了直後の印象と感想と不安(坂口恭平のことも含む)
・本の中で気になった部分の引用と感想(これは最後に書きます)
・恵まれた環境だからこそ苦しむ、子供も大人も。
(下を見て満足せよも上を見て目指せも欺瞞なのよ!)
・同世代の子供(40代)を持つ親としての視点から
・自分の思春期の鬱状態について
・精神疾患と脳の関係
・そこから家族に発生した精神疾患の事件
・脳に直接アプローチすることで精神疾患は近い将来無くなる?
・性的充足感と精神、肉体両方への関連性
・精神とは、心とは(量子力学)
・過去世の何らかの記憶の断片から推測できる永遠の魂のこと
・そしてその魂の歴史とアカシックレコードのこと

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※本を読んだり、ネットで情報を得たりしたことを合わせて書きますが、出典などは書かずに漠然とした書き方でいきますのでどうぞ悪しからず



■読了直後の印象と感想と不安


本を読むとき、後書きから読む癖がある。この本もそう。
そして著者自身の体験が書かれた第5章「僕のこと」から読んだ。
ちょうど私自身の子供達と同年代であったために、読みながら追憶していく感じがして、苦しさも覚えた。
そして一章に戻った。豊富な教養と雑学とで細かく取り上げられている人々の逸話だけでも読み応えがあった。
漫画ゲーム世代、年配男性ならプロレスの下りなど共感できることがあって、苦しむ人たちも癒されるだろう。

ただ、不安になったことは1章から読み進めていった人が「僕のこと」で著者が2021年42歳になっても希死念慮があったということにショックを受けないだろうかということだ。そして私は家族のことを思った。

著者はその後、ロープを捨て減薬も進み、良好な方へ向かわれていることが書かれている。それでも悩む人には不安かもしれない。
と同時に年齢で治るものでもないという現実を知ることができる。

たまたまこの本を読む半年ほど前まで坂口恭平氏のツイッターを読んでいた。「躁鬱大学」を読んだ。
彼のことは「徘徊タクシー」をたまたま読んで知った。
彼は薬を飲まない日々を更新していた。
順調だった。彼の場合は重い躁鬱病で、薬を飲まずにいられることは奇跡的に近いことだった。
しかし、再発してしまった。。
その時どれほどの人が彼と共に落ち込んだことだろう。
でも彼は家族の愛情によって再起している。
爆弾を抱えた人のパートナーや子供たちの勇気と愛に心が打たれる。
妹尾氏を愛で支える人はいるのだろうか。
彼のご両親は他界してしまった。
リアルタイムでのやり取りができなくなったことは、ある意味救いになることもある。
そして人は死んでも絆は残る。想いは届く。
私も日々、亡くした妹や夫に思いで話しかけている。

■恵まれた環境だからこそ苦しむ、子供も大人も。


(”下を見て満足せよ”も”上を見て目指せ”も欺瞞なのよ!)

環境の悪い人から見たら、甘え、としか思えないのかもしれないが、恵まれているが故の苦しみもある。

不満を持ってはいけない、という圧力を受ける。
感謝すべきなのに贅沢だ、などと言われ続けるのだ。

長いこと生きてくると、一見何の不足も無いような人たちにも不満はあるし、悲しみがあるのを知ることがある。
それでも世間はまるで不満や悲しみを持ってはいけないという圧力をかけてくる。
今となると、それは嫉妬の一つでもあったのだと思える。
これも体験してみないとわからないことなんだろう。

さまざまなバグが家庭の中にあっても、比較的条件の良い家庭環境であれば良しとすべきという、親や世間からの圧力がかかると、無理矢理にバグを無かったことのようにしなければならないから、その時起きていることに蓋をして、自分の心にも嘘をついて仮面を被って生きていくようなことを強いられる。

私の母は私が何らかの不満を言うと必ず「バチ当たり」と言った。私は終いには何も言わなくなった。
小学生の時に音楽教育でスパルタだったために学校から家に帰るのが怖かった。絵に書いたような優等生で大人たちが褒め、それを親たちは誇りに思っていたから、子供の私はその立場を維持しなくてはならないと思い込んで日々プレッシャーに押しつぶされされそうになっていた。
それでも生来呑気なところがあったので、友達からも大人からも〇〇ちゃんはいつも幸せそうだね、笑ってるね、と言われたものだ。

ほらほら、心の闇なんて人にはわからないのよ。

大人になってもなお、感謝すべきという曲がった概念から解放されなかった。
20代は10代までのトラウマを自力でほぐし、30代でやっと親への確執に向き合うことができ、40代になってやっと、自分は他の誰でもない、自分はどんな自分でも自分のままでいいと思えるようになった。

■同世代の子供(40代)を持つ親としての視点から


子供を持つかどうかは悩ましかった。連鎖が怖かった。
それでも人生を豊かにするためと、女として生まれて出産を経験してみたかったことから出産育児を決心した。

三歳までに一生分の親孝行をすると言うのは本当で、
それはそれはあり得ないほどの幸せを子供たちはプレゼントしてくれた。子育ては最大の喜びと最大の苦労とがあり、子供を持たない人には想像できないダイナミックなものがある。
反面、個人として失われる時間も大きいから、子供を持たずに自分を全うするのも価値のある生き方だと思う。

家族の問題は連鎖することを知っていたので、何とか自分の代で食い止めたかったが、別の形で連鎖したので子供たちは壮絶な青年期を過ごし、今でもまだ辛さを抱えているだろう。子供たちは精神疾患とまでは行かなかったけれど、情緒不安定ではあり、希死念慮が強かったから。
その子供たちも40を迎えようやく自分の人生を自分で生きようしている。
だからこの本は他人事ではない。

■自分の思春期の鬱状態について


無理やりフタをして生きた小学生時代のツケが中学生になった時に回ってきた。
ある先生から、可愛さ余って憎さ100倍的な個人攻撃を受けたことがきっかけだった。
たった一人の大人の言動から闇が広がり次第に鬱症状が現れるようになる。
頭痛、食欲不振、不眠。
どうしても夕方5時になると眠気に逆らえず仮眠をとってしまい、だから夜寝付けない、昼間は頭が働かない。
すっかりバカになってしまったと本気に思い込んでいた。
また当時読んだ本が悪かった。
ヘルマンヘッセの「車輪の下」挫折して汽車に飛び込む物語だ。

一旦体内時計が狂ってしまうとそれを治すのには大変な時間がかかる。
今なら投薬せずに治す方法を知っている。
バナナなどセロトニンの多い食事を取る、日光を15分でもいいから浴びる、寝る2時間前に入浴して体が冷えるタイミングで布団に入る、起きる時は少しずつ明るくなるような照明をセットする、など。
でも当時はネットも無く、本も具体的対策を書いたものを見つけられなかったから、自力で治した。
5年かかった。

できればすぐに消えたかった。
そもそも幼児の時にすでに、これから先の何十年もの人生に向かうことが重くて重くて押しつぶされていた。
年をとっていても愚かな大人はたくさんいて、そんな世の中を理解もされずに生きていくのが怖かったしくだらないと思っていた。世間から見れば恵まれていたのに。。

自殺についてずっと検証していた。高校生になってからどうやら自殺では楽になりそうもないということが本能的にわかったので、そこからやっと、
死ねないなら生きよう、と思いを改めたのだった。
メンヘラ気質は30代まで続いたが、ようやく自分を愛そうと思えたのは20歳の時に愛情をくれた男性達と生まれてきてくれた子供たちだった。

特に子供たちが無条件に親を愛してくれることに驚いたし、感動して何度も涙した。
愛情が必要なのだとつくづく思った。

そんな大切な子供たちが、連鎖を警戒していたにもかかわらず希死念慮を持つようになってしまったのは今でも悔やまれる。
自分の経験も多少は活かしつつ思春期に苦しんでる彼らを見守っていった。明日何が起きるかを心配せず、1日の無事だけを祈った。
そんな中でも、この子たちはいつか立ち上がる、と信じていた。

子供が苦しむ姿を見るのが親にとっては一番辛い。
子供自身が自分を大切にして元気に生きてくれることだけでそれだけで大きな親孝行だ。
親は死んでしまっても見てくれている。
他人がなんと言おうと、自分が主体になって自分を全うして生きる姿を見せてあげよう。

■精神疾患と脳の関係


この本にも脳に関することが説明されているが、心の持ちよううんぬんだけではなく、物理的に脳の仕組みが原因にもなっていることが最近の研究ではわかってきている。
同じ脳でも行動などで神経回路のシナプスを構築する、強化するということができる。
性格はほぼ変えられないが、同じ人でもシナプスを作る練習をすることでマイナス思考の人がプラス思考に転じるくらいの可能性はある。
何歳になってもだ。
死ぬまで、より良く生きるために自分の脳に責任を持ちたいものだ。

投薬については疑問がある。↓

■そこから家族に発生した精神疾患の事件


そもそも医者を信用していない。子供たちが不安定だった頃、何軒もの精神科を訪れて、25年前当時でも一万円もした保険の効かないカウンセリングを私が受けてみたが信頼できる医者を見つけることができなかった。

今でもそうだ。コロナの茶番を見ればわかることだ。

医者は忙し過ぎて薬の副作用をしっかり調べることもなく安易に処方する。
戦後の薬信仰の親世代に育てられた人たちがまだ主流にいる。

医者を信用していなかったが、子供たちの問題と平行して妹が重い鬱病になった時にはうっかり病院を勧めてしまった。
なぜなら当時鬱病治療を経験した知人がいて、その人が最近は良い薬があるといい、その人は回復しているように見えたからだ。

うつ病の薬の中身に覚醒剤と同じような成分のものがあることを知っていたのに。。

しかし、抗うつ剤の副作用で自殺者が多く出たという情報が出たのは何年も後のことだった。

抗うつ剤の中には、衝動性が高まるものがある。窓から衝動的に飛び降りるなどの事件が起きる。

妹のその後の経過はこうだ。
まず眠れない。睡眠導入剤を飲む。朝起きれないし、昼にぼーっとして仕事に支障が出ると医者に言うと、抗うつ剤を処方される、すると元気にはなるがまた夜眠れない。
その繰り返しですっかり薬づけになると同時にどんどん衝動性が増していった。
時には車道に飛び出すこともあったが、事故にはならなかった。
薬を飲んでいるにもかかわらず、心身共に病状は重くなり、希死願望がどんどん強くなった。
余った薬剤を大量に飲む自殺未遂を繰り返し、最後には本当に死んでしまった。45歳だった。。

私は助けられなかったことも含めてショックで10年立ち直れなかった。

妹でもそんな状態なのに子供だったら。。。
当時、母は覚悟していたのか、気丈に受け止めていて泣き言は一つも言わなかったが。。。

薬を使う時はしっかりと調べて慎重にすべきだと思う。
できることなら行動療法などで、自力でシナプスを作り替えることが良いと思う。

■脳に直接アプローチすることで精神疾患は近い将来無くなる?


今すでに、脳への電気刺激で治療する方法がある。
今はデメリットも出ないようなものがあるのかもしれない。

近い将来には電磁気やプラズマを超える量子力学的な取り組み方の治療法が一般的になるだろう。

親戚に一昔前の電気的治療法を使った人がいる。もう5年以上前のことだったと聞いている。
その人は手首を切ることをする人で救急搬送され一命を取り留めたことがあり、家族は日々何が起きるかわからない状態のストレスの中にいた。その衝動性が改善しなかったため、電気治療を勧められたようだ。
効果はすごかったそうだ。
本来の穏やかな人に戻って死ぬまでの間、良い家族関係を取り戻せたとのことだった。
ただし本人には記憶の一部が全部消えてしまったという副作用があった。
それでも一家心中になりかねないギリギリの追い詰められた生活よりは良かったと思う。

■性的充足感と精神、肉体両方への関連性


もう一つ気になるのが性的な問題と病気の関係だ。
ストレスが病気に大きな影響があるのは既知のこと。
そこに以外にも性的欲求不満が含まれているらしいという本を読んだことがある。それは心理学の本だったと思うが誰の本かさえ忘れてしまった。

そこにはヨーロッパの近代あたりの治療法が書かれてあった。不調を訴えてくる人の中に性的欲求不満が見られるひとがおり、マッサージなどで少しでもその不満を解消する治療を施したところ、体調が改善したというのだ。

最近では性的に充足している人は心身ともに健康を保ち、老化も遅く、長生きするということがわかってきている。

体にいいということは連動している精神にも良いはずだ。
そちらからのアプローチも一考の余地があるのではないだろうか。

■精神とは、心とは(量子力学)


私は子供の時から見えない何か、エネルギーのようなもの、気配のようなものを感じる人間だった。
それは天からのサインだったり、木々が放つ意識だったり、人の無言の状態から放たれる気配だったり、果ては離れている人や死んだ人から届く思いのようなものだったり。
自分の中の自分が何かふっと思いつくような形で知らせてくれたり。

それらの正体は一体なんだろう、気のせいではない、目には見えないけれど確かに存在するものがある、と。

嬉しいことに量子力学で証明された!
もううれしくてうれしくて。
(量子力学と日常の関わりの本は大量に出ています)
量子力学的習慣術

10年ほど前、タイトルは忘れたがある物理の本を読んだ時、世の中には4つの力があると書いてあった。
(今は5つと見るらしい)
重力、電磁気力、強い力、弱い力。
強い力とは細胞と細胞をつなぎあわておく力なのだと書いてった。えーーーっと驚いた。

重力よりも強いのか!

細胞がバラバラになってテレポート先で再び構築されるSF映画のシーンを思い出した。

宇宙の中で私たちが見えているものはわずか10%にも満たない。
そして見えている3次元だけではなくて同時に多次元が今私たちが生きている世界に重なっている。

ニュートリノは地球をすり抜ける。

■過去世の何らかの記憶の断片から推測する永遠の魂


本書でも脳の古い記憶のことが書かれているが、私たちの意識は今生きている時だけで終わるものではない。
膨大な前世があり、もしかすると未来も同時に重なっている。

なぜ今地球にいるのか。

天の川銀河だけでも数千億個の星がある中で地球に。
銀河が集まって銀河団に銀河団が集まって大銀河団に。
もう果てしない数の星がある宇宙。

その中でもこの肉体を持つ星は少ないらしい。
それなら肉体から得られる5感を楽しもうよ。
苦しい中にも喜びを見つけようよ。


■そしてその魂の歴史とアカシックレコードのこと


永遠の魂の旅があり、どうやらその記憶庫が宇宙のどこかにあるらしい。
その中の調整や、新しい経験の冒険などから年代を選び、地球を選び、地域を選び、人を選んで生まれてきたのだろう。

課題の中身がわかってしまうと練習問題にならないから過去世の記憶やミッションの記憶は消されているのかもしれない。

運命は決められて生まれてきている。

でも私は思いたい。次元がいくつもの重なっているように、個々それぞれの答えも何種類か用意されていてそれを選び取る自由はある、と。
他人が決めるのではない。

自分が主体となって生きる。

でも一人では人間は生きれない。
愛を持って人と関わるにはまず自分というものを知る必要がある。
自分がわからないと、人との関わりにおいて
思いのすれ違いばかりが起こるからだ。

思いのすれ違いほど、切ないものはない。思いはあるのに。

自分を知るためには感情を抜きにした冷静な観察をする。

今40代の子供や悩める友達に伝えることは、
自分や他人を冷静に観察して物事を正確に整理する力をつけること、そしてさらに時間空間を超えて俯瞰する力を持つ大切さ。
もちろん自分の主題でもある。

心理学はその具体的な手法に役立つ。

本の中で気になった部分の引用と感想(順不同)

受精卵の時、僕は「幸せになるために世界に出たい」と思っていた。始まりに自由意志があった。ーーー中略ーーー
言葉はそしてこの本は、愛する人に、今後どんなことがあっても、ずっと強く生きていて欲しいという「願い」だ。

僕という心理実験 終章

シトシト、パタパタ、ピタピタ、ピト、ぎゅっ
ーー略ーー
手のぬくもりが、今も守ってくれる。
あの日、雨の中でお母さんは微笑んでいた。

僕という心理実験 終章

最後はお母さんの微笑み、、、、もうこれは永遠だ。
母の微笑みを知っている人はそれだけで生きていけるほどのことだ。
母になって思うこと。

子供が親を思う気持ちの強さは年を取っても失われない。

人によるのかもしれないが、親が子供をおもう気持ちは健全な親子関係であれば、いらぬ干渉を避けるために子供が成人独立すると少しは薄れるものだ。

私は母親からは愛と実害と両方を受けてきた。
69歳の今でも86歳で亡くなった母に語りかける、
おかあさん、と。

なんで生まれてきたのか、それは誰にでも謎だ。
でもどうやら偶然ではないらしい。「決めて」くるらしい。
長い人生あっという間だ。

70歳近くまで来ると、人生の宿題をかなり終えてきて軽やかになってくる。
年を取る不都合や悲哀を超える達成感が生まれる。

人によってはそうならない人もいる。
日々の捉え方、人生の歩み方によって、グチグチと人のせいにして死ぬまで後悔の念ばかりに囚われる人もいる。

オノマトペ。日本語ほど、多くのオノマトペがある言語はないのではないだろうか。
外国人には雑音に聞こえる虫の音を聞く日本人の感性。

脳科学者の研究によれば、西洋人に比べて日本人は脳の仕組みにネガティブ要素が多くてうつ病になりやすいという。
それもこの細やかな機微を知る性質を持つからなのだろう。

驚いたのは、ミルクの哺乳瓶を毛布なしの代理母に装着しても、子ザルは以前として毛布あり(だがミルクはない)母にしがみついて過ごしたのであるーーー略ーーーハーロウはされに「モンスターマザー」という残酷な実験お行なっている。ーーー略ーーー何度突き飛ばされても子ザルは戻り、泣き叫んで抱きついた。危害を加えられても、子は”親”に愛を求め続ける。ーーー略ーーーー
人間には不思議な心理が沢山ある備わっている。4歳児が家出してしまうように心をプログラムされていたら、多くの子供が餓死して、社会が不安定化したであろう。生後すぐからの生存確率を上げるため、”親に愛されるために、親を愛す”のだ。その心は本来自然だが、それが子供を苦しめもする。祈ろう。

僕という心理実験 第3章愛について

人類存続のためにシステムなのかもしれないが、子供はどんな親でも愛すのだ。
サルでさえ。。ここは泣けた。。
過酷な設定の元に生きる子供たち。
そんな子供たちを見る度に早く大人になってと祈った。

父を殺したいほど憎んでいた。同時に彼を強く愛していた。好きになって欲しかった。ずっと変わって欲しかった。ちょっとしたことで変わってくれて僕を大事にしてくれる日が来るとずっと思っていた。
今の私にまだその気持ちがあるのかどうか。自分ではもうわからなくなってしまった。僕たち家族は皆一人で離れた夜を過ごしている。今はそれしかできない。僕は心理学を学びたい。ーーー略ーーーーーーー
同じ気持ちの人がいる。作家で建築家の坂口恭平だ。
ーーー略ーーー


一つだけ信じることがある。被害者は加害者になる宿命を背負わされる。今僕は週に2時間の「DV加害者更生プログラム」を受けている。僕の心が蹂躙されたこと、そして僕もまた他者の心を蹂躙したこと。それは「事実」だ。被害者に対して真摯であるために、そう言わせてほしい。

僕という心理実験 第5章僕のこと

暴力が連鎖するように、愛する力も連鎖する。
私が観察してきたところによれば、
愛されて育った人は愛し方を知っている。
愛がある無しではないのだ。
やり方、言葉や行動で表すやり方を体験で覚えるということだ。

私の母は母親の愛を知らずに育った。
だから愛し方を知らなかった。愛は人一倍持っていたのに。それが原因だと分かったのは、愛された人の愛し方を見たこと、さまざまな心理学本を読んだ結果の40代になってからだった。
やっと理解することができ、50歳近くになってやっと母を許すことができた。
原因や連鎖システムを子供のうちから知っていたら苦しみが半減したろうに。。

妹尾氏は坂口氏に電話したそうだが、彼のことを今は異種ではあるが同じ病気を持つ人として同志として感じているのだろうか。
坂口氏のタッチは一見突き放すタイプの悩める人の助っ人だが。。
あと彼には違った意味での性的な悩める体質を持っている。プラスの美術的才能も持っている。
容姿に対するコンプレックスを抱える人の気持ちは分かりにくいのではないだろうか、ハンサムだから。

人は自分にないものを持つ他人の気持ちはわからないものだ。想像力を駆使して理解する努力をするしかない。


著者の心理学者としての意見?の文章



本書では、私が心理学的決定論を信じるに至った科学的は論拠ではない部分、個人的な考えを自由に書いた。
ーーーー
注意書きするが、皆さんには本書の主張を受け入れる必要は全くない。科学的な正しさも主張しない。読み終えた時、あなたの中に新しい視点が生まれていて、その「思考の引き出し」があなたの人生を生きやすくすることだけを求めている。・・略・・正誤も上下もなく、あなたはこの世界の創造主なのだ。これが科学っぽくした、天上天下唯我独尊の現在形だ。
ーーーー
そして同時に、もはやサイエンスの必要性を感じていない。騙す側も”科学的エビデンス”を使う時代になった。誰かの役に立ちたい、共に考えたい。その気持ちだけに信じる価値が生まれる。そんな時代が来る。僕はそう信じている。
ーーーー
だとしても私は思う。心理学の研究は、内省で事足りるのではないか?脳に心はないし、脳(外側)を調べるのはもう十分な気がしている。
ーーーー
ブッダが、悟りを得るために全てを捨てたのは、それほど自由意志という幻影から人間が自由になれないことを示唆している。
ーーーー
悟りを否定すれば良いと思う。最後の審判とその後のヘブンを拒否すれば良い。心(自分)を失ってまで僕たちはそこに行くべきなのか?
ーーーー
「賢さ」というものがもし実在すると刷れば、それは悲しみを知り、それをベースにして他者への思いやりを行動で示す力のことだと思う。
ーーーー
誰も見たことがなく、確かめようがないからといって、大人からの伝聞を無批判に受け入れることが「次の大人への成長」として賞賛されて良いのか。自分自身の頭で”教科書”を疑って欲しい。
ーーーー
読者の皆さんは「考えろ!」というメッセージを、本書から感じられているかもしれない。正直なところをいうと、考え続けることはあまりすすめたくない。自立的思考が自死につながった例は、枚挙にいとまがないからだ。
ーーーー
同じ方向を見て歩いている実感があれば、私たちは見つめ合う必要がない。多様化する社会の中で、”運命を信じる人(賢いと自認できない、真に賢い人たち)に少しずつ居場所が生まれていけばと思う。
ーーーー
心の病は人類が2000年以上にもわたって治せない病である
ーーーー
能力は能力であり、それは人間としての優劣とは無関係だと信じたい(信じさせて欲しい)。
そしてこの思想には”想い(意思)”が必要になる。
誰も敬わず 誰も蔑むな
ただし 人の幸せを願い 人のために動け
ーーーー
行き過ぎた自己卑下を謝罪したい。冗談だと理解して頂ければ幸いだ。仏教では、自己卑下も他者へのマウント「卑下慢」だと考える。率先して自分のことを下げる自分を褒めて!というエゴの働きだと考えるのだ。

各章から

脳に関する文章


全ての犯罪は脳のなんらかの障害や病気であるとなりかねない。決定論が正しいとなると、犯罪の責任は「個人」から「脳」に移動する可能性がある。さらに「脳」から「世界」のようなものに責任が転嫁(免責)される。
ーーーー
つまり意思や意識よりも先に「脳は本質を知っている、気がついている」のである。・・略・・同様な結果が過去の脳科学などの実験で、膨大な数積み重なっていることも申し添えたい。
ーーーー
我々の古い脳の中には、爬虫類や魚類だった時の古い生命の記憶が残っている可能性がある。サルは生まれてから一度もいたことのない蛇に対して恐怖から回避行動をとる。乳児は泳げる。ぶつぶつしたものを見ると鳥肌が立つ。普通の人は、実際に落ちたことがなくても高所が怖いし、閉所もなんだか怖い。これらは生物としての古い記憶だ
ーーーー
赤ちゃんのシナプスの数は、成人のそれの何倍もの数になる。成長するにつれて、不要なシナプス結合の刈り込みがなされ、数が減ってゆく。

第1章から

私にとって面白かった逸話


ゲームデザイナーの小島秀雄の「メタルギアソリッド3」の話し、遠藤周作の「沈黙」の話し、安倍晴明と賀茂家の話、バンクシーの言葉、ハムレットの一節、渋沢英一の20人以上の隠し子、臨床教育学者の岡本茂木氏の「反省させると犯罪者になります」、トラウマ体験の遺伝はない話、ヒトラーの射精障害、エリッククラプトンやエルトンジョンの家庭環境、向田邦子の秘密の不倫恋愛、鬼の由来、東條英機の愛妻家ぶりなど

心に残った文章


「今は平和だから考え過ぎだ」と人は言うかもしれない。しかし戦後の企業戦士たちは、生まれたばかりの子供との時間を犠牲にして会社で働いていた。親の死に目よりも、日々の勤労を優先した。それは「お母さん」と叫びながら敵機に突っ込んでいった特攻兵と同じではないだろうか。
ーーーー
どんなに小さく見える悲しみ、不幸であってもその人がそれに深く傷ついているならば、他者がそれを批判する権利はないと思いたい。
ーーーー
周りの人たちがとても不器用な人だった。母は異常なほど教育を施したけれども、愛情深い人だった。父はお金という方法に依拠し過ぎていたけれ、ずっと僕を守り続けてくれた。
人は変われると思うし、変わり始めている。
僕もあなたも、ここにいていい。

僕という心理実験 第3章愛について

著者の繊細さ、やさしさが溢れている。
集合意識は繋がっている。
宇宙で一番大切なのは愛。
共に生きよう。


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