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今も生きている声

ずうっと昔にあった出来事なのに、それがご本人の中で無自覚な状態で色濃く今も続いているっていうことがあります。時を越えて過去の出来事や人が今もなお自分の奥深くに存在しているっていうことで、それによって自分の本来の自由が利かなくなっているという状態です。

また自分がそれを無自覚に言動していて、昔の誰かの言うことを聞いて受け入れてしまったまま自動運動し続けてしまっていることに気が付いていないってことは、拝見しているとたくさん起きているのだなと思います。

お父さんやお母さんの言っていたことを、忠実に守って生きていることにご本人が気が付いていないことは稀なことではありません。時にはお爺ちゃんやお婆ちゃんだという人もいますし、生活の中で近くに居た人というのがやはり多いです。

それが現在の自分をどんなにか困らせることになっていたとしても、ご本人はそこに原因があるということに気が付いていないので、変だなおかしいな、なぜでしょう?と困っている現状の話になるのですが、それは当然です。覚えていないところに静かに沈んでいるのです。
さらにそこに触れるような話になってくると、身体から一体化してしまっている大事なものを引き剥がされるという局面にご本人にとっては思える場面がくるという状態ですから、その場では無自覚なまま激しく抵抗します。

「そんなことは存在しません。」
「変わりたいのに変われないだけです。」
「どうしたらいいか聞いているんです。そこを教えてください。」

そのくらい、知らんぷりを決め込む方もごく普通にいらっしゃいます。
この抵抗を無理に剥がすことはしません。
表面の自我が気が付きやすい状況をゆっくり準備していきます。例えばそのひとつは、様々な質問をして答えていただくのですが、それはまるで関係無いあれやこれやを思い付きで聞かれているのなぁと思えるようなものだったりもします。

ある人は、言われていたことを大事に守って、その行動を続けてきているという方がいました。それを言っていた人はもう15年以上前に亡くなっています。その人に育てられたも同然の存在でした。その人がよく言っていた「早く家に帰って来い」と言う言葉とその当時の家庭の中にあった風景を一緒に飲み込んでしまったようです。実家を出て自立したはずなのに、新しさに出会ったり学習したりではなくた、だただ毎日仕事が終われば直帰で早く家に帰り、家の中で何もすることがなくてもじっとしてなんとなく時間を過ごしている、という方もいました。

ある人は、家族の長の言うことが絶対だという家庭で育ちました。家族の長である人が言うことや決めることは絶対で、家族の皆は黙って言うことを聞くしかありません。何度反抗しても喧嘩をしたとしても、結局は折れるとか諦めるということになってということを多く体験して来ていました。途中で折れて、もとの大きな力ある存在の考えに内包されていくことを選んでしまっているという状態です。納得いかないままではあっても形は言うことを聞き、わだかまりには誰も手を伸ばしてはくれないままでした。
「笑って過ごそう、それがいい。」
いつしか本当に感じていることを横に置くことが当たり前になってしまっていました。

ある人は、世の中はこういうものなんだ、人にはこう接するものなんだというやり方と、知識を両親から食べてきました。してはいけないことと、しなければならないことがたくさんあったようです。両親の顔色から判断して神経を使う毎日が重なって、いつしか外で出会う人の言動を「正しいか間違っているか」という見方でジャッジすることが当たり前になっていました。社会に出てから様々な人の考え方と出会って皆が同じ考えでは無いということに出会って「自分は間違ってなどいないのに」という怒りにも似た感情が出てきてしまってコントロールを失うこともあり、うろたえているという方もいました。

周囲にいた人、その環境から食べて吸い込んだものを自分自身だと思い込んで、そのまま自分の考えとして社会で、仕事で、人間関係で、さらには自分と自分との関係性でさえそのまま行っていることに無自覚なままということがあります。原因には気が付いていないけれども、日常で不具合は感じているという状態が多いようです

いずれもご本人に準備がまだ出来ていなくて、という状態の場合にはまったくの無自覚ということになるので、ゆっくりと時間をかけてほどいていくのがいいでしょう。
これは他者から見た時にはわかりやすいのですが、受け入れて覚えてしまったその相手とあまりにもそっくり同じような行動をしていたり、同じような価値観でものを見ているということや、同じような喋り方をしている場合もあります。他者からという外側から見た時にはわかりやすくそれが表現されていることが多いので、他者の方が先に気が付いてしまうということもあります。その時に、他者があまりにもわかりゃすいと思って伝えようとした時にちょっと押し過ぎてしまうことで、いつでもご本人は「腹を立てる準備」が出来ている状態ですから、キレたり急に別の不満を言い出したりして話をそらし始めるということにもなりかねます。

誰かのことを食べて運営している部分は、これは借り物です。両親などから借りてきたものだという自覚が出来るようになっていくと、それは自分のものでは無いから「持ち主に返そう」ということになります。

占星術では、サターンリターンという時を誰もが体験するというのですが、それは生まれた時の「土星」の場所に今現在も空で動き続けている「土星」が重なる時のことを言います。土星が生まれた場所から旅をして進んでいって一巡りしてもともとの場所に帰って来るという感じです。
このサターンリターンの時には、借りてきていた考え方や常識だと思って来ていたものなどを返して、自分なりの考え方を手に入れていく時とされています。経済的なこととか年齢ということではなく、人としてさらに大人になっていく時です。こういう時には会社を辞めたり起こしたり、結婚したり離婚したり、家を出たり帰ったり、節目になるようなことを体験する人が多いでしょう。年齢的には29歳前後で人生一回目のサターンリターンを経験します。と、占星術の話はこれくらいにして。

自分自身で気が付いて、自分は家族との間での感情問題をまだ卒業していないなぁと思う場合にも同じです。抵抗はあるものだと思って向き合っていくことが必要になるでしょう。変わりたくない、変えたくない、手離したくないという症状は誰にでも起きると思っておいた方が、対応可能な状態を先に準備することも可能です。
なにしろ、自分自身だと思い込んで生きている部分に手を付けていこうとしているのですから、それは過去のこれまでの自分という存在から言わせると「もう要らない」
といわれているのと同じくらいのことが起きようとしていると感じてしまう可能性があるからです。
解放と浄化の先にある、自分を生きるというところへと向おうとしているのに、近づき方を急いてしまうことで、過去の自分から
「やめて、来ないで!」
と、もう必要ないと言われてしまった側の、捨てられてしまう恐怖から拒絶される、というようなことになってしまうのです。

無理せずに少しずつ、そしてじっくりと進めていくことで、伸びきった大きなゴムがバンッって急に戻るみたいな
「やっぱりこんなことやめます。ラクにいきたい。」
「こんなに辛くなるのにやる意味がわからないから、自分に向うってことをやめます。」
っていうような逆戻りのような激しい状態が起きにくくなります。
それを今日まで手離さずに維持して来たという理由が自分にはあるのですが、その理由はこれまでの自分にとっては大切なものです。必要な大切なものだと思って来ているので、納得していない段階で無理になんとかしてしまおうというのはちょっと横暴なやり方になってしまいます。
また、例え逆戻りの発言が出たとしても、様子を見るという時間が必要でしょう。簡単に結果という結論に結び付けない姿勢が必要です。

例えば自分を育ててくれた人を真似ることで、あるいは言うことを聞くという従順でいるという状態を自分が継続することで、その人との「繋がり」が無くなってしまうことが無いと思い込んで「掴んだままでいる」場合もあるでしょう。それは無自覚にではあってもご本人にとっては関係性における「とても大切なもの」ですので、けして急がずにゆっくりと進めていくのがいいでしょう。なにより自らが自覚して、自らの意思で取り組んで、それを時々の喜怒哀楽に振り回されずに継続し続けて、というプロセスが必要です。

とある風景の中での出来事や感情体験が、時や場所、時間を越えて、自分の中に深く刻み込むように沈んでいて、もはや自分自身にさえなってしまっているもの。それは懐かしいものでありつつも自分自身の未来を開発していく時には、自らが行こうとする自分を押さえ込んだり遮ったり、自己を否定するなどして、苦しむことがあります。
それはもうそろそろ手放していいはずの「こころの中で今も生きているその人の声」から来ている可能性もあるということ。
私達は、すでにがんじがらめになっている状態なのに無自覚に「私は自由で好きなように生きている」と勘違いしている場合さえ時にはあります。

自分のことをひとつずつ見直して、自己を成長、発展させていくということに向っていくのは孤独で寂しいと感じてしまう場合もあるようですが、それは誤解です。
「ひとりぼっちになりたくないから、自分に向かうっていうのヤになる」
そんな声を聞くこともあります。
現状の方が本当はすでに寂しい状態なのだということが、いつかわかる時が来るでしょう。自分のことに向っていき自分のことをより知っていくというひとつの旅は充実感こそあれ、孤独になってひとりになってしまうという道ではありません。

自分で呼吸法や瞑想ということを取入れて練習しているという方や、占星術やタロットなどの体系を学んでいるという方は、自分の感情との出会い方を学んでいる方も多いと思います。自分の内側のことに向っていくことに慣れているかもしれません。

そういうことを学んでいる人も、全然そういったことに興味なく社会生活をしてきているという方も、どちらの側の方もそれぞれの位置からそれぞれのタイミングで「自分の感情問題と解放について」のことをスタートしていきます。
そして、まだ見ぬ自分の感情とゆっくりと出会って見つめていくという長い時間を体験していくことで、次のステージへとその人の速度で進んでいくことになるでしょう。
自分ひとりで考え込むことなく、今の自分に合った目的の分野の専門家の人に手助けをお願いしましょう。能動的な積極性が必要になりますが、ひとりでグルグルして出口が見つけられないということもありますので、どのような分野の専門家でも、自分が気になる方を選ぶといいと思います。
「自分はこれを知りたい」「こういう部分について知って変えていきたい」
「こういうことに困っているが原因を探したい」というような自分から出てくる意思を持って頼ってみるということが、次への道を開いていくことに繋がるでしょう。

隣の誰かと比べて先行ってるとか遅れてるというモノサシはここでは使うことはできません。社会の中におけるレースとは全く違うのです。
ひとりずつの内側に向っていくお話ですから、今ここにいる自分と、過去の自分ととの関係性の中で体験していくことということになります。時には未来の自分というのも出てくることになります。いずれにしても自分と自分との関係におけることについて向うほどに、盛りだくさんの感情体験をしていくことになるでしょう。



写真と文 sanae mizuno
https://twitter.com/SanaeMizuno

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