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マティス展から学ぶ10分でわかるアンリ・マティス解説!!!

こんにちは。

みなさんは「アンリ・マティス」という画家をご存知でしょうか。フランス、いや世界を代表する近代画の巨匠です。フランスのポンピドゥー・センターにある国立近代美術館に行くと「アンリ・マティス」の所蔵作品を多く見ることができます。

今回はそんな世界最大規模を誇るポンピドゥー・センターの全面的な協力を得て、上野の東京都美術館で開催されていた「マティス展」にぎりぎり(会期は8月20日まで)見に行くことができました。

ご覧になった方も、そして残念ながら失念してしまった方も、この記事を見て、マティスの生涯とその作品を知っていただけたらと思います。

「マティス展」の展示内容は、まさに「アンリ・マティス」の生涯を辿った形で、各時代の活動とその作品を見れるものでした。今回はこの展示内容を紹介しながら、「アンリ・マティス」の生涯を10分程度でわかるように整理してみたいと思います。

<マティスが絵を描き始める前>
1869年生誕 正式名はアンリ・エミール・プノワ・マティス
生誕地はカトー・カンブレジ。マティスの両親は穀物と絵具の商売をやっていたようです。
1987-1988年 パリで法学の学位を修めた
1890年 21歳の時に長期療養中に絵を描き始める

1. フォーヴィスムに向かって 1895-1909 26歳-40歳
さて、いよいよマティス展に入って、最初のコーナーはこの初期の作品群です。
まず、1896年に国民美術協会展に初参加した「読書する女性」が目につきます。素敵な絵ですが、比較的、普通の絵画のようです。
その後、「自画像」「サン・ミシェル橋」「ホットチョコレートポットのある静物」「コリウール風景」と続き、そして、このコーナーで一番の大作が「豪奢(ごうしゃ)、静寂、逸楽(いつらく)」です。

豪奢(ごうしゃ)、静寂、逸楽


マティスが1904年に新印象派のポール・シニャックなどに会うことで挑戦した作品ということです。色合いが本当に素晴らしいですね。

それ以外に「豪奢」「アルジェリアの女性」も見ることができます。また、絵画と同じ時期に制作した彫刻も数点みることができました。



2. ラディカルな探求の時代 1914-1918年 45歳-49歳
この1914年から1918年とは、第一次世界大戦が起こった時期になります。ヨーロッパ全土を巻き込んだこの戦争はマティスの家族や親族にも多大な影響を及ぼしました。彼の二人の息子も徴兵されてしまい、マティスを孤立に追い込んだ時期でした。
そんな時期に、マティスは一連のラディカルな作品を生み出しました。その代表が、綺麗ですが暗い色調の「金魚鉢のある室内」です。黒と青という色のバランスが、見るものを惹きつけます。

金魚鉢のある室内


それ以外にも、黒が濃い「コリウールのフランス窓」、「アトリエの画家」、そして「窓辺のヴァイオリン奏者」、キュビズム的な「白とバラ色の頭部」、印象的な「グレタ・プロゾールの肖像」、「オーギュスト・ペルランⅡ」「蔦のある静物」が展示されていました。

3. 並行する探求 – 彫刻と絵画 1913-1930 44歳-61歳
マティスの彫刻作品は全部で69点残されているそうです。その代表的なものが、この時期、そしてコーナーで見ることができます。
マティスは彫刻をてがけるのは「補足の習作として自分の考えを整理するため」と語っていたそうです。
このコーナーでは、まず「ジャネットⅠ」「ジャネットⅣ」があります。このシリーズは「ジャネットⅠ-Ⅴ」まであるヴァージョン作品ですが、同じモデルに対して全く異なった顔の彫刻をみることができます。
「アンリエットⅠ」「アンリエットⅡ」「アンリエットⅢ」も同様の不思議なヴァリエーションをみることができます。
最後の「背中Ⅰ」「背中Ⅱ」「背中Ⅲ」「背中Ⅳ」のシリーズは大きな作品で、それが4つ並んでいると非常に壮観でした。数が大きくなるに従って単純化していく形態も面白いですね。

背中


4. 人物と室内 1918-1929 49歳-60歳
1918年にマティスはニースに拠点を移して作品を量産し始めます。この時代は「ニース時代」と呼ばれるとのことです。
さて、まず、デッサン画で「自画像」「パイプをくわえた自画像」、木炭を使った画「アンドレ・ルヴェールの肖像」「扇を持つスペイン女性」「半裸で立つ女性」「ピアノの前の若いヴァイオリン奏者」が展示されており、さらに女性たちをモデルにした「若いスペイン女性」「若い女性の肖像」と続きます。そして、デッサンの「風景」「家と樹々」「樹々」、それに続く代表作の一つ「赤いキュロットのオダリスク」はモデルのアンリエッタと赤を主体にした室内を描いた迫力のある作品です。

赤いキュロットのオダリスク

それ以外にも室内画として「ニースの室内、シエスタ」「グールゴー男爵夫人の肖像」、そして再び赤い背景がインパクトのある「石膏のある静物」や青や緑が調和した「緑色の食器戸棚と静物」などの代表作もこちらで展示されています。

5. 広がりと実験 1930-1937 61歳-68歳
1930年代に6週間にもおよぶ米国とポリネシアへの旅の中で、マティスは心身ともに生まれ変わったといわれています。
その後、マティスのアトリエでは複数の女性アシスタントと様々な実験が繰り広げられました。そんな中での作品がこのコーナーに集められています。
まず、モデル、リディアのくつろいだ休息を描いた「夢」、彫刻の「貝殻のビーナス」、同じくリディアをモデルにした「座るバラ色の裸婦」、裸婦のデッサンが数枚、デッサンの「トルコ風腰掛け椅子に座るリゼット」、そして最後に「鏡の前の青いドレス」を見ることができました。



6. ニースからヴァンスへ 1938-1948 69歳-79歳
1939年に第二次世界大戦が勃発した時、マティスは70歳になるところでした。その後、1941年に重度の十二指腸潰瘍の手術などがあり、この時期のマティスは寝たきり療養中でしたが、収集した品々を周りに並べて、様々なモチーフを描いた名作を生み出しています。
このコーナーでは「ラ・フランス」「緑色の大理石とテーブルと静物」、そして素晴らしい名作「マグノリアのある静物」をみることができます。


病気から回復したマティスはこの頃デッサンに打ち込みます。そのデッサンが数枚と木炭で描いた「眠る女性」が展示されています。
さらに自画像が数点と「アラゴン」「レリッシュ教授の肖像」「コレット」などの人物画が続きます。
そして、1944年に描かれた「若い女性と白い毛皮の外套」があり、その後、1946年から48年にかけて制作された有名な「ヴァンス室内画」シリーズから「立っているヌード」「黄色と青の室内」「赤の大きな室内」などの代表作が展示されています。

黄色と青の室内
赤の大きな室内


またマティスは1937年から1949年まで、「切り紙絵」の作品を雑誌の表紙として提供しています。それらの作品が展示されています。

7. 切り紙絵と最晩年の作品 1931-1954 62歳-85歳
マティスは1932年にバーンズ財団のための壁画で始めた「切り紙絵」の紙切技法を使って、1940年代には「切り紙絵」による複数の書籍の表紙を制作しています。また、1943年から46年の期間にマティスは「切り紙絵」による20点の図版を作り、一冊の本にまめています。一連のマティスの「切り紙絵」をこのコーナーで見ることができました。

Forms



8. ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948‐1951 79歳 – 82歳
そしてマティスは、この晩年の時期、第二次世界大戦中に疎開したヴァンスという町の「ロザリオ礼拝堂」を作るというプロジェクトをリードすることになりました。
本プロジェクトは建物の設計、装飾、什器、さらには祭服や典礼用品まで、マティスが担当しました。その作品を展示、写真、ビデオなどを通して、この最後のコーナーでじっくりと見ることができます。
具体的には「ヴァンス礼拝堂、ファサード円形装飾」「告解室の扉」から始まり、ロザリオ礼拝堂のために設計された様々な部屋の装飾の写真が展示されています。

ロザリオ礼拝堂



以上、マティス展の展示内容を順番に解説しました。

こうしてみると、そもそも絵を本格的に描き始めたのが21歳、そして彼の代表作である「ヴァンス室内画」などは彼が70歳になってからのものなんですね。
遅咲きと言って良いのか、あるいは生涯を通して、その才能の開花が止まらなかったのか。

また、マティスの類まれなセンスは、こちらも60歳から本格的に出している「切り紙絵」に見ることができます。色と形の使い方がものすごくハイセンスな世界を描いています。彼は1954年に亡くなる2年前までこの「切り紙絵」作品を制作しています。

このようにマティスは長い人生の中で様々なタイプの作品を残しています。そして、彼の生涯の最後に手掛けたのがフランス・ヴァンスのロザリオ礼拝堂だったということもすごくドラマティックですね。

以上、「アンリ・マティス」の生涯と作品群でした。

それでは。


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