1944年10月 深淵からの警告 Ⅱ

「血と鋼鉄と肉と骨の満州の修羅場」から戻った祖父を待っていたのは、かって自分が寮生活を送り、共に学んだ東京市中野区の母校だった。ただ違うのは自分が学ぶのではなく、教壇に立ち教鞭を取る場所が変わったこと。

そして感じたことは「変人しかおらんw」ということでした。中野士官学校附属旧制中学からの進学が大半だったが、帝国大学や予備門・旧制中学≒現在の北海道大・東北大・東大・名大・京大等の付属高校から選抜されたのも半分弱いたらしい。それだけ中野学校が人気だったのだろう。

文京区本郷や大田区大岡山・仙台市青葉区や名古屋市東山区に在籍の方はもちろんだが、その近所の方々も「学生が良くも悪くも何か違う」と感じる方は多いのではないでしょうかw小生は本郷駒込と青葉区と東山区は知己がいるので出入りを許可されているが「やはりここはあなたの知らない彼方の世界」だと実感することが多いww名大付属菊里小学校の小学生相手に講義もどき?をした時も同じことを感じた記憶がある。礼儀正しく大和魂溢れる手本とすべき学生ではないか?と個人的には感じたが・・・

一見スパルタに見えた中野学校、確かに講義は厳しい面もあったが居眠りや雑談をするものは皆無!むしろ祖父も初めの講義で校長の将校から言われたことは「皇国中から集う優秀な生徒を否定するな!」だった。後日譚だが、むしろ「学生の方が教団に立つ将校よりも柔軟な発想や客観的な視点を持っていて、教わることの方が多かった」と語ったので事実だったのだろう。

但し教官と生徒よりも、教官✖教官、生徒✖生徒の論争の方が熾烈だったとの指摘が小生の師匠@小田原よりあったことは残しておくwww

講義内容は多岐に渡り、日本史はもとより世界史(特に1648年からのヴェストファーレン体制による現代政治社会学の分析も統合的に行い、それを皆で論じ合意したものを提出する課題)・グレートブリテンのサー・ハーバート・スペンサーに定義されたWar Darwinism(ウォーダーウイニズム)≒戦争社会進化論から生まれ、シカゴ大学において成立した地政学(Power Politics)に関する討論等、何故か「敵対しているはずの鬼畜英米」に積極的に学んでいたのが中野学校でした!(;'∀')

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