料理を通じて見えた父の変化:86歳でも楽しみを見つける力
先日母が腰の手術をすることになり、実家に帰省した。
母はもう1か月以上前から入院をしており、父は一人暮らしな状態。
そして、86歳の父が最近料理を始めたようです。
いくつになっても、新しいこを知るって楽しいんだなと父を見ていて思ったことをこちらに書いてみます。
家事は一切母任せだった父
もともと父は家のことは一切しない人でした。
私が子供のころからごはんなんて作ってくれたことはないし、それよりも夕方会社から帰ってきたら、夕飯はできていて当たり前と思っている人でした。
最近になって、母が免許証を返納してからは、しぶしぶですが、買い物に連れていったりもしていました。しかし、お店にいっても車の中で待って一緒に買い物することもない。そんな感覚だったそうです。
それがここに来て母の入院。
入院してすぐには、私も無印の日持ちするレトルトのお惣菜を送ったり、父も自分でお弁当を買いに行ったり、お惣菜を買ってみたりしていたみたい。
でも、さすがに続くと…飽きますよね。
前回、私が帰った時、冷凍していた豚肉やら、野菜室の野菜を使って簡単にできる炒め物をしているのを見ていて、自分でもできるかも?と思ったのだ。
ただ、これは本当に自分が困って初めてそこに意識が向いてきたんだと思う。
それまでは、その冷凍庫の豚肉ですら、自分ではどうにもできないので廃棄しようかなんて言ったりしていたのだから。
はじめての野菜炒め
私が前回の帰省から自宅に帰って数日後入院している母へ父から電話
「野菜炒め作ったんやけど、なんちゃ味せんのや」と。
母が「塩胡椒は入れたんな?」と聞くと
「なんちゃ入れとらん」と…。
すぐに母が「冷蔵庫にあるポン酢でもかけてみてん」と提案し、その通りにした父。
思いがけず美味しかったらしい。
そして、冷蔵庫にあるこんなものでこんなことができるんだとそこで初めて気づいたんだと思う。
人って自分でやってみて実感できた時に、それ以上の意識が向き始めるもの。
野菜炒めの調味料
今はスーパーに行くと、たくさんの調理材料を売っている。
同じ野菜炒めでも、
みそ味や、塩こうじ味、オイスターソース味、しょうゆ味などなど…
そして今回再び帰省した私に父が、晩御飯の一品を2回作ってくれた。
いろんな味があるけど、どれにする?と聞きながら…
冷蔵庫にももやしやら、ナスなどを自分で購入していた。
もやしのネギ味噌炒めにしよう!
「わしが作るので横で見ておいて」と言うので、キッチンに入らずカウンターの向こうから見守る。
本人がやる気になっている時のアドバイスって、ほんと本人の身に染み込んでいくんだなと思った。
「肉から炒めて煮えにくい野菜から入れていくんで」というと素直にその通りにしている。
80年以上生きてきて、最近自分から料理をするようになった父。
「やるやる」とか「やれやれ」と言ってるだけの時は何度同じことを言っても覚えなかったのにね。
どれだけ本人がやる気になるか、そして一番はそれをするのが楽しいと思えた時、いくつであっても自分の身につくんだなと。
なぜ今までしなかったのか?
これまでなぜ料理をしなかったのかを考えてみた。
もちろん父の場合は、母が当たり前のように作ってくれていたから。
自分が作るなんなて想定はまったくなかったのだ。
だから、興味も意識も向かない。
ここに来て、作らざるを得ない状態になってしまったから・
でもね、それは母にも原因があるんだと思う。
母は、なかなか待てない人なので、自分が作った方が早い!
と思うと、先先やってしまう性格なのだ。
欲していなくても、作ってくれたり…
だから父にとってはそこに料理があることは当たり前だったんだと。
それが80年以上自分には関係ない作業だという認識で生きてきたんだろうなあと思う。
人はいくつになっても新しい楽しみを見つけれる
初めは野菜炒めに調味を入れる概念のなかった父が、
自分で塩コショウも何もせずに野菜炒めを作ってみて、
味がないのはなぜ?ということを知った。
この失敗が大きかったと思う。
じゃあどうやればいい?って聞いた時に、冷蔵庫に身近にあるポン酢をかけてみたら、思いがけず美味しかったということを知った。
この過程があったからこそ、次への意欲が湧き出たのではないかと。
それ以来お惣菜やお弁当を買ってくるより自分で作った方が何倍も美味しいと気づいたのだ。これが大進歩。
そして、これまでいかなかったスーパーの調味料売り場に行くと、中華味やしょうゆ味、みそ味などなどの調味料を売っていて、それを入れると同じ野菜炒めでもいろんな味を楽しめるということがわかったのだ。
86歳の父にとって新しい世界の扉が開いた!
そんな感じではないかと。
料理が自分でできることで、人生の新たな楽しみになっている。
今回の父を見てそんなことに気付かされた。