裏銀座縦走
《山行概要》
1日目
高瀬ダム(06:00)⇨烏帽子小屋(08:00)⇨野口五郎岳(10:20)⇨水晶小屋(12:00)⇨祖父岳(13:20)⇨雲ノ平(14:00)
距離:21.7km
累積標高:2,403m / 1,146m
2日目
雲ノ平(07:15)⇨鷲羽岳(09:20)⇨三俣蓮華岳(10:40)⇨双六岳(11:30)⇨双六小屋(12:15)⇨槍ヶ岳山荘(15:20)⇨ヒュッテ大槍(15:40)
距離:21.1km
累積標高:1,921m / 1,604m
3日目
ヒュッテ大槍(04:00)⇨槍沢ロッヂ(05:20)⇨横尾山荘(06:15)⇨徳沢(06:45)⇨明神(07:10)⇨上高地河童橋(07:35)
距離:20.1km
累積標高:55m / 1,401m
総距離:62.9km
累積標高合計:4,379m / 4,151m
日付:2021年8月下旬
《山行地図》
《裏銀座》
北アルプス屈指の人気ルートである表銀座縦走路。多くの人たちが起点とする燕岳山頂至近の山小屋、燕山荘の前から晴れた日に西の方角を望むと、高瀬川が削った深い谷を挟んだ向こうに、長大な山脈が横たわるのが見えます。裏銀座です。
登山口までのアクセスがよい表銀座とちがい、裏銀座は北アルプス深部に位置し、辿り着くまでのアプローチが長いため、計画が難しい山域です。
かつて日本最後の秘境と呼ばれた雲ノ平は多くの登山者が憧れる地。当地へ至る主なルートには、富山県折立から入山するルート、岐阜県奥飛騨の新穂高から双六小屋を経由するルート、そして長野県大町市を起点とする裏銀座から至るルートの三つがありますが、どのルートも遠くそして険しい。
今回は裏銀座を経由するルートを選択。雲ノ平到達後、鷲羽へ登り、その後双六から西鎌尾根を槍ヶ岳まで繋ぐ長大な縦走を計画しました。
深田久弥「日本百名山」から引きます。原文縦書き。
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烏帽子から三ッ岳・野口五郎岳を経て三ッ俣蓮華に至る尾根沿いは、以前は静かなコースであったが、近年は裏銀座などという名が付けられて、登山者が非常に増えてきた…(中略)ただ先を急ぐことのみを能とする縦走病患者は、この立派な山を割愛して、少しも惜しいとは思わないようである。」
《深田久弥「日本百名山 52. 黒岳」から》
筆者注:「黒岳」は「水晶岳」のこと
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強烈な皮肉ですね。大丈夫ですよ。もちろん行きたくてしょうがありません。
裏銀座を踏破するにあたり、深田久弥にコケにされないよう、表銀座からちょっと外れて寄り道となる水晶岳のピストンも計画にしっかりと組み込みました。
《山行日記》
1日目
早朝の高瀬ダム。入念にストレッチしながら、準備を進めます。天気は晴れ。絶好の登山日和。ご機嫌で出発し、ブナ立尾根の急登を稜線へと上がってゆきます。順調に烏帽子小屋に到着。遠景には赤牛岳の勇姿。そして前方にこれから目指す三ッ岳がそびえます。
ちょっと季節的には遅かったのですが、三ッ岳の稜線にはコマクサが残っていてくれました。
このコマクサ、このように他の植物が育たない乾いた砂礫、すなわち苛酷ではあるものの競争の少ない環境に生息します。その秘密は、地中深く、長く伸びる大きな根が乾燥した環境でも安定的に水分を吸い上げて供給するからなんだとか。生命の強さと神秘への想像力をかきたてる、アルプスでは主役級の存在です。まさに女王。この砂礫は、かつて海の底だった北アルプスの、海底火山由来の花崗岩が風化して完全に粉々になった状態、いわゆる真砂になる前の粒々が残っている段階のもので、地中に適度に隙間があるこの環境が守られないとコマクサは生き残ることができません。燕岳の山頂近辺が真っ白なのは、完全に風化し粉々になってしまった真砂が稜線を覆っているからです。真砂が堆積した地面、いわゆる真砂土は隙間がなく極めて硬質で、植物は根をはることができません。燕岳が典型例ですが、花崗岩の砂礫は多数の人間が足をのせて体重をかけ踏み続けると、風化が異常加速します。コマクサの環境を守るためにも、絶対に登山道から足を踏み出してはなりません。残念ながら、写真を撮るために生息地に足を踏み入れる人が絶えません。登山道にうつ伏せに寝そべり、一眼カメラを手にとって腕を伸ばし、ファインダーではなくモニターを見ながらズームレンズの最大値で撮影。
三ッ岳から野口五郎岳までは、大パノラマの稜線歩き。進行方向左手には、表銀座から槍穂高連峰の峰々、右手には水晶から赤牛へと続く長大な山脈と、その向こうにそびえる巨大な薬師岳。どの方向を向いても、北アルプスのスーパースター達が目白押し。大感動の絶景が広がります。
縦走登山の際に、どうしても避けられないのが天候の変化です。特に連泊を伴う時、ずっと晴れているというようなことはほぼ奇跡。道中必ずどこかで悪天候に遭遇することを前提としなければなりません。
快適に歩みを進めましたが、真砂岳に差し掛かったあたりで空模様が怪しくなってきました。先ほどまで晴れ渡っていた空が嘘のように真っ暗になり、ポツポツと雨が降ってきました。水晶小屋に辿り着いたころには雨は本降りとなり、風は吹き荒れ、濃霧で視界は15mほどになってしまいました。しばらく水晶小屋で停滞したのですが、天気が回復する兆しはありません。深田久弥のつぶやきが聞こえてくるような気はしたのですが、天気には勝てません。水晶ピストンは泣く泣く諦め、レインウェアを着込んで、雲ノ平へと向かいました。
風雨はその後も続き、視界もほとんどきかないので、足元に咲く可憐な高山植物を愛でながら歩みを進めました。そして、本日の野営地である雲ノ平キャンプ場に到着。早々にテントを組み立てて早めの夕食を済まし、ラジオを聴きながら就寝しました。
2日目
夜明けとともに起床。空は快晴。眩しい太陽が登ってきました。昨日は濃霧で周りが全く見えなかったのですが、テントから這い出てびっくり。こんな開けたところだったんですね。
朝食を済ませて、テントを撤収。今日は鷲羽から双六を経由し、その後長大な西鎌尾根を一気に槍まであがる計画。天気もバッチリ。はやる気持ちを抑えながら、ゆっくりと出発します。
昨日は濃霧に包まれていた道を戻り、祖父岳山頂に到着。行きに見ることができなかった絶景を堪能しつつ、割物岳から鷲羽岳へと向かいます。鷲羽岳といえば、なんといっても頂上から望む、槍穂高連峰の勇姿。今日は天気に恵まれて一際美しい。また、雄大な槍穂高連峰を背景に凛と佇む美しい鷲羽池も白眉です。今日は全て最高のコンディションで見ることができたのは望外の喜びでした。
旅はまだまだ続きます。鷲羽をおり、歩みを進めて三俣蓮華岳に取りつきます。ここはちょっとした急登。がらがらの足元に気をつけながら登って、山頂に到着。ここからは緩やかな稜線歩きです。視線の向こうには常に槍穂高連峰を背景とした絶景が続きます。双六岳を過ぎると、双六岳らしい特徴的な丸い稜線をまっすぐに進みます。この景色、何度来ても何度見ても本当にいいなぁ。
順調に歩みを進めて、予定通りお昼に双六小屋に到着。ここでコーラを買って、しばし休憩です。ここからは険しい西鎌尾根。一気に強度があがります。険しい西鎌尾根ですが、前半は北アルプス屈指のお花畑。あちこちに咲き誇る可憐な高山植物の花々を楽しみながら、息があがらないようにゆっくりと標高を稼いでいきます。
西鎌尾根の後半になると、植物もほとんどなくなり、ガレ場の登山道になります。ここで、空模様が怪しくなってきました。槍に確実に迫っているのですが、徐々にその姿は見えなくなり、槍の肩についた頃には、稜線は霧の中。霧が晴れないか、しばらく槍ヶ岳山荘の前で待ちました、ですが、回復する見込みはなさそうだったので、穂先は諦め、本日の宿泊予定先のヒュッテ大槍に向かいました。
ずっと前、表銀座から東鎌尾根経由で槍ヶ岳に行った時も稜線は霧の中だったのですが、槍の直前で突如霧の中に現れたのがヒュッテ大槍でした。その時は槍の肩で野営する予定だったのですが、その可愛らしい小洒落た佇まいに興味が湧き、予定を変更して宿泊したのが、ヒュッテ大槍を知るきっかけでした。大箱である槍ヶ岳山荘と比べるとこぢんまりとした小さな山小屋ですが、そのアットホームなおもてなしと美味しい食事で大勢のファンがおり、熱心なリピーターに支えられている人気の山小屋であることを知りました。実際とっても居心地がいいので、以来槍に行く時は必ずここに泊まるようになりました。
到着後、いつものようにビールで乾杯。ここにはビールサーバーがあり、生ビールが飲めるのです。なんか馴染みの、いつもの場所に帰ってきたみたいで、心の底からホッとします。あとはもう、ご飯を食べて寝るだけです。今日も楽しかった。
3日目
前日天気予報をチェックしましたが、残念ながら槍穂高の稜線は引き続き濃霧で眺望は期待できないとのこと。普通に仕事をしている身としては、好天の確度の高い日を選ぶなんて贅沢はできませんので、仕方がないですね。よくあることです。
穂先は潔く諦めて、下山することにします。朝2時半に起床し、前日小屋に作ってもらっていたお弁当を朝食にします。準備を整えて、夜明け前に出発。外は濃霧で月明かりも届かず、正真正銘の真っ暗闇です。ヘッドライトをつけて足元を照らします。野生動物が近くにいても見えないので、声をあげて威嚇しながら序盤の急坂を下っていきます。空気がじとっと重たく湿ったこういう天候の場合、空間に音が響かないのでボリュームを上げるしかなく、熊鈴などは無意味です。
槍沢の急坂を順調に下っていく途中で、夜が開けてきました。濃霧に包まれていたのは稜線で、大曲がりあたりまで降りてきたら霧は晴れて視界の問題は無くなりました。
そこからは一路上高地目指して、路傍の高山植物を楽しみながら歩みを進めます。ここは数えきれないぐらい通っているところなので、地形どころか地面に埋まっている岩の形や位置まで頭に入っています。この季節、この道は高山植物の宝庫です。毎回色々な発見があり、最後の河童橋まで飽きることがありません。そうこうしているうちに、早朝の上高地に到着。夏の大縦走ここに完結です。
振り返って、河童橋の向こうにそびえる雄大な穂高の勇姿を眺めます。出発時と変わらず稜線は霧に包まれその全貌を見ることはできませんでしたが、これはこれで味わいのある、その優美な絶景を堪能しました。
《脚注》
(注1)
《国土地理院コンテンツ利用規約に基づく表示》
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
GPSデータに基づく軌跡を描線。
図形等加筆。