表銀座・槍穂高縦走
【山行概要】
総距離:48.3km
累積標高:3,776m / 3,719m
日付:2021年7月21日
《1日目》
中房温泉(06:15)⇨合戦小屋(07:30)⇨燕山荘(08:15)⇨大下りノ頭(08:50)⇨大天荘(10:00)⇨大天井岳(10:10)⇨ヒュッテ西岳(12:15)⇨水俣乗越(13:00)⇨ヒュッテ大槍(14:00)
距離:19.5km
累積標高:2,414m/1,011m
《2日目》
ヒュッテ大槍(04:00)⇨槍ヶ岳山荘(04:20)⇨大喰岳(04:40)⇨中岳(05:00)⇨南岳(06:00)⇨長谷川ピーク(07:00)⇨北穂高岳(08:20)★休憩
北穂高岳(09:00)⇨涸沢岳(10:00)⇨穂高岳山荘(10:20)⇨奥穂高岳(10:50)⇨穂高岳山荘(11:20)⇨涸沢ヒュッテ(12:30)
距離:12.7km
累積標高:1,322m/1,888m
《3日目》
涸沢ヒュッテ(05:00)⇨横尾(06:00)⇨徳沢(06:30)⇨明神(07:00)上高地河童橋(07:20)
距離:16.1km
累積標高:40m/820m
【山行地図】
北アルプスには、岳人たちが賛美してやまない名縦走路があちこちにありますが、その中でも表銀座縦走路はもっとも著名かつ人気のルートでしょう。
稜線にあがれば、北方向は北アルプス北部の俊英たる剱岳や立山連峰、北から西にかけては烏帽子、野口五郎や水晶など、山嶺重畳たる雄大な裏銀座の峰々、そしてさらにその奥には鷲羽、三俣蓮華や黒部五郎など、奥黒部の峰々、そしてなんといっても、中房から入山する場合ほぼ進行方向と重なる南西方向に槍穂高連峰が気高くそびえたち、これら北アルプスのスーパースターを従えながら三千メートルクラスの稜線を縦断する尾根道は、その豪華絢爛さが古くから知られ、北アルプスの中でも比較的初期に道が切り開かれました。
山本茂美「喜作新道 ある北アルプスの哀史」から引きます(*1)。原文縦書き。
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日本アルプスの歴史は、文明開化の波にのって日本にやって来たお雇い外国人の中の二、三のものが、英国式の近代登山の技術と心を伝えたことに始まる。それは冶金技師の英人W・ガウランド(明治五年来日)と、宣教師W・ウェストン(明治十一年来日)であるがこの人たちが日本アルプスを英本国の雑誌や著書に紹介するにおよんで、日本国内にもおおきな刺戟となり山を目指すものがようやく現れてきた。しかし明治期は何といっても探検期で、上高地に温泉宿をつくったものがあっても、よほどもの好きでもないかぎり、ろくな道もない徳本峠(二一三五)を超えて上高地などへ行くはずがなかった。ましてやその奥の槍・穂高など–––。ところが、大正五年降って湧いたような突発事が起こった。それは東久邇宮の上高地から槍ヶ岳登山である。これが日本アルプスにとって大きなできごとであった。営林署の前身である東京大林区署がこれまで不可能と思われていた上高地から槍までの縦走路をこの年一気に開通させてしまったばかりでなく、さらに槍沢から一ノ俣をさかのぼり、常念岳、東天井、大天井、燕岳、中房温泉の道まで開通させた。これはお粗末なものでもアルプス登山史上特筆さるべきことで、改めて宮様のご威光を思い知らされた年であった。
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この、槍沢から一ノ俣をさかのぼって常念へといたるルートは現在廃止されていますが、この当時は中房から槍へ縦走するには、燕から大天井、そして東天井から常念小屋までいたり、そこからいちど一ノ俣谷を槍沢までくだってから槍沢をのぼりかえす必要がありました。
これを抜本的に変えてしまったのが小林喜作で(*1)、「中房温泉を基点にして四日から五日もかかっていた[筆者注:前掲の]縦走路を、喜作は自分が猟でよく知っている大天井(二九二二)から分岐して、牛首岳(二五二六)、赤岩岳(二七六九)、西岳を水俣乗越に下りそこから東鎌尾根を登って、たった一日で楽に槍へぬけてしまう、いわゆる喜作新道をほとんど息子と二人でつくってしまった。」
《同上。原文縦書き。》
これにより、表銀座縦走路のうち、大天井から常念方面は人通りが激減し、一時は常念小屋が経営危機におちいるなどの影響が出たのだとか。
この喜作新道はたしかに画期的なルートですが、道は険しく途中危険箇所もいくつかあり、登山をよく知らないひとがいくようなところではありません。ましてや、山本は「たった一日で楽に槍へぬけてしまう」としているものの、中房から槍に一日で到達するには相当の身体ならびに体力の錬成に加えて、登山に熟練している必要があります。一般的には、やめておいたほうがいいでしょう。
コマクサは、このように他の植物が育たない乾いた砂礫、すなわち苛酷ではあるものの競争の少ない環境に生育します。その秘密は、地中深く、長く伸びる大きな根が乾燥した環境でも安定的に水分を吸い上げて供給するからなんだとか。生命の強さと神秘への想像力をかきたてる、アルプスでは主役級の存在です。まさに女王。
この砂礫は、かつて海の底だった北アルプスの、海底火山由来の花崗岩が風化して完全に粉々になった状態、いわゆる真砂になる前の粒々が残っている段階のもので、地中に適度に隙間があるこの環境が守られないとコマクサは生き残ることができません。燕岳の山頂近辺が真っ白なのは、完全に風化し粉々になってしまった真砂が稜線を覆っているからです。真砂が堆積した地面、いわゆる真砂土は隙間がなく極めて硬質で、植物は根をはることができません。燕岳が典型例ですが、花崗岩の砂礫は多数の人間が足をのせて体重をかけ踏み続けると、風化が異常加速します。コマクサの環境を守るためにも、絶対に登山道から足を踏み出してはなりません。
中房から槍に抜けたあとは、槍穂高連峰を縦走します。槍の穂先から眺めるご来光もいいのですが、それと同じぐらい大好きなのが、大喰岳から眺める、槍の穂先越しに太陽がのぼる夜明けの光景です。この絶景をはじめて見たときはねらっていたわけではなく、偶然の僥倖でした。以来、天気が良好であれば槍の穂先ではなくこちらにあがるようにしています。今回の山行ではとりわけすばらしい景色に恵まれました。
ちなみに、大喰岳の標高は3,101mで、本邦第10位の高峰です。槍ヶ岳は3,180mで、第5位。
ご機嫌で大喰岳をあとにして、中岳から南岳へと稜線をすすみます。途中うしろをふりかえると、そこには朝日に照らされた槍ヶ岳の神々しい姿が、視界いっぱいに広がっていました。まるで絵画のよう。このような偶然に恵まれることが、登山をやめられない理由のひとつです。
そして、南岳から北穂高岳の間の稜線は切り立った岩稜帯、いわゆる大切戸。ここは日本三大キレット(大キレット、不帰の嶮ならびに八峰キレット)の中で最長かつもっとも険しいとされ、登山地図で一般登山道(地図上、破線ではなく実線で描かれる登山道)のなかでは最難関とされています。
実は、大キレットここよりこのあと通過する北穂高から涸沢岳間の稜線のほうがはるかにむずかしいのですが、大キレットのほうが圧倒的に有名で、北穂高から涸沢岳間の稜線を通過する登山者はグッと少なくなるので、あまりこの事実をかたるひとはいません。
ヒュッテ大槍で、同じく大キレットを予定しているかたに話しかけられ、通過ははじめてということなので色々話をしたのですが、きちんと山岳における登攀訓練をしましたか、という問いに対していわく、「ボルダリングをやっているので大丈夫です!」
世の中の多くの人たちが誤解しているのですが、ボルダリング、リードやスピードなど、いわゆるスポーツクライミングと呼ばれる競技は、登山の訓練にはなりません。クライムアップ(うえにのぼる・アセント ascent)しかやらないからです。ところが、実際の登山ではクライムアップだけではなく、クライムダウン(したにおりる・ディセント descent)もしなければなりません。そしてこのクライムダウンのほうが、クライムアップよりはるかに危険で難しいのです。なお、登攀はボルダリングみたいに空身ではなく、登山フル装備を詰めたザックを背負ってやらなければならないことはいうまでもありません。
事故がおこるのは、進行方向、目線の先にある岩やとっかかりが見えているクライムアップより、進行方向が目視できず足の感覚で確かなホールドを探らなければならないクライムダウン中のほうが圧倒的に多い。大キレットは、南岳北穂どちら側からとりついても、最初に垂直の岩場をするするとおりていく、長いクライムダウンがあります(標高が高い北穂側からとりつくほうが、南岳側よりクライムダウンが長い)。また、北穂高から涸沢岳間の稜線は、限りなく垂直で、落ちれば奈落の底の切り立った崖にある、小さなとっかかりをたよりにクライムダウンしないといけないところがあり、ここでひとつでも失敗すると墜落するので絶対に助かりません。こんなコースが、登山地図で一般登山道として実線で表示されているというのは、果たして妥当なのでしょうか。途中、あきらかに準備不足のひとがいて、この空中トラヴァースに怖気づいて引き返していきました。
クライムダウンができないひと(登山をよくわかっていないひと)はすぐにわかります。それは岩場をくだるとき、うしろ向き(山の斜面が腹側)でなく、かたくなに前向き(山の斜面が背中側)でおりようとするひとです。ひどい人になると、トレッキングポールを畳んでザックに収納せず、手に持ったまま支えにして前向きにおりるひともいますが、大事故になるのをみずから招いているようなものです。クライムダウン(そしてクライムアップ)は、丹沢や奥多摩などの近郊の山でも練習できますし、ボルダリングジムでも(本物の自然の岩場で味わう恐怖感はありませんが…一度大キレットの途中で、あまりの恐怖ですくんでしまい身動きが取れなくなってしまったひとを見たことがあります)体験はできますので、そういうところで、ちゃんとわかっているひとに教わりながら、失敗なくきちんとできるようになってからにしましょう。
*1
山本茂美、「喜作新道 ある北アルプスの哀史」、ヤマケイ文庫、株式会社山と渓谷社、2024.6.5
(注1)
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出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
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