立山劒岳縦走
【山行概要】
みくりが池(04:30)→一ノ越山荘(05:00)→立山(雄山)山頂(05:30)→立山(大汝山)山頂(06:00)→真砂岳(06:30)→剱御前小舎(07:00)→剣山荘(08:00)→前劔(09:00)→劒岳山頂(10:00)→剣山荘(11:30)→剱御前小舎(12:45)→みくりが池(13:30)
総距離:19.75km
累積標高:2,103m/2,107m
日付:2022年8月7日
新田次郎「劒岳〈点の記〉」は、日露戦争の直後、日本の国土地図を完成させるため、残された数少ない人跡未踏の地のひとつ、劒岳山頂に三角点埋設を命じられた帝国陸軍参謀本部陸地測量部の測量官柴崎芳太郎が、艱難辛苦を乗り越え三角点の設置をなしとげる物語です。
山頂をきわめた測量隊は、そこで奈良朝時代の錫杖の頭と一振りの剣を見つけ、人跡未踏と信じられてきた劒岳は遠い昔に開山されていたことを知ります。
また、世から隔絶された峻険の地である劒岳山頂は、恒久施設である三等三角点の設置がついにかなわず、当時の技術では臨時施設である四等三角点の設置が限界でした。
新田次郎「劒岳〈点の記〉」から引きます(*1)。原文縦書き。
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点の記とは三角点設定の記録である。一等三角点の記、二等三角点の記、三等三角点の記の三種類がある。三角点標石埋定の年月日及び人名、覘標(観測用やぐら)建設の年月日及び人名、測量観測の年月日及び人名の他、その三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の必要事項を集録したものであり、明治二十一年以来の記録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。
(…)劒岳登頂についての公式記録はどこを探してもない。点の記は三等三角点までであって、四等三角点についての記録はない。その義務がなかったこともあったが、もし柴崎測量官が劒岳だけは特別な場合として記録を残そうとしても、規則にしばられてそれはできなかったであろう。従って、測量官等が劒岳に明治四十年の何月何日に登ったという公式記録は何一つとしてなく、あるのは、当時柴崎測量官等の業績を報じた富山日報「越中劒岳先登記」の記事だけである。
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その記事にもまちがいが多いことは柴崎測量官当人が指摘しているとのよし。
柴崎測量官による劒岳登頂はアルピニズムではなく、いち公務員としての、測量と地図制作を目的とする純粋な公務の執行です。従って、最終的に地図ができればきちんと職責を果たしたことになるのであり、その後の維持管理と再利用が想定される三等三角点までの恒久施設であればともかく、臨時施設である四等三角点設置に関する記録を公金を使って作成保管することは正当性を缺くということなのでしょう(*2)。この観点からは、劒岳といえどもそれは三角測量の、無数にある無機質な基準点のひとつにすぎないわけです。
学術の分野に従事する研究者は、自身の発見や発表にはなによりも証拠や確たる理論そして合理に基づく正確性や史実を求めますし、求められます。そしてそれがとても重要なのですが、慎重にたしからしさを検討するので、とぼしい情報から明らかにできる真実や事実はおのずと限られる…もといそれに語弊があるのなら、少なくとも時間がかかります。一方小説には、とぼしい情報からもモチーフへの想像を膨らませて文章につづることで、ロマンティシズムというかたちで物語をただちに具象化するちからがあります。
本作を含め、「八甲田山死の彷徨」など、自然現象である気象をからめながら、人間を受けつけない険しい山岳を舞台とする極限の世界と人間の業を描くのは新田の真骨頂。新田次郎、本名藤原寛人は中央気象台(現気象庁)の元職員で、本作では綿密な取材を重ね、とぼしい当時の記録や文献をつなぎあわせて柴崎測量官の足跡をたどるとともに、自らの専門である気象観測の知見を駆使して過去の天気図から天候をよみとり、具体的な登頂日を推定して、物語にしたてあげています。創作とはいえ、本作がなければ、柴崎測量官率いる測量隊の劒岳登頂は色彩のない、単なる公務の執行として市井の人々に知られることはなく、また知るひとたちにとっても、ときの経過とともに忘却のかなたとなる運命だったでしょう。
不朽の名作である本作を知らずして劒岳にのぼるのと知ってのぼるのとでは、この山に関して得られる理解の深度や厚みが違ってくるでしょう。一歩一歩が心に響く音が違います。小説の現場ひとつひとつを、実地にて自分の目で見ることになるからです。
この劒岳、実際にとても険しい山で、登山者を選ぶ山の代表格です。
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北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剣岳であろう。層々たる岩に鎧われて、その豪宕、峻烈、高邁の風格は、この両巨峰に相通じるものがある(…)全く剣岳は太刀の鋭さと靭さとを持っている。その鋼鉄のような岩ぶすまは、激しい、険しいせり上がりをもって、雪をよせつけない。四方の山々が白く装われても、剣だけは黒々とした骨稜を現している。その鉄の砦と急峻な雪谷に守られて、永らく登頂不可能の峰とされていた。
《深田久弥「日本百名山」新潮文庫 48.剣岳より 原文縦書き》
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現在は確実な登山ルートが開設されて、むかしほど難しい山ではなくなっていますが、天を仰ぐかのように屹立する尾根は険しく、頂上近くには岩場のトラヴァースを強いられる危険箇所があるなど、登山とは何かを知るひと向けの山であることにかわりはありません。
今回は室堂を起点に立山連峰を縦走してから劒岳を往復し室堂にもどる計画。夜明け前に起床し、真っ暗闇のなか出発です。
まずは一ノ腰を目指します。周辺は漆黒の闇。空を見上げれば、見事な満天の星空。できればこの星空を眺めながら歩きたいのですが、真っ暗闇で足元や周囲はまったく見えません。もったいないと思いつつも危険なので、ヘッドライトを点灯します。
歩みを進めると、徐々に進行方向、東の空が明るくなってきました。稜線のシルエットが明瞭になっていきます。そのシルエットがざっくりとしたのほうに落ちこんでいるところ、すなわち峠が、いま向かおうとしている一ノ腰です。
一ノ腰からは、裏銀座越しの槍穂高連峰そしてそれに連なる表銀座の峰々を一望することができます。朝焼けで空は徐々に桃色に染まり、神秘的な趣に。日本で一番有名な山はいうまでもなく富士山です。では一番人気がある(好かれている、憧れを集めているという意味です)山はなんでしょう。答えはもちろん、槍ヶ岳。どこに行っても槍ヶ岳を探してしまうのはなぜでしょう。一ノ腰からも見えますよ。見えるだけで「わぁ槍だ。槍が見えた」と嬉しくなってしまいます。
一ノ腰からは立山連峰にとりつきますが、急に傾斜がきつくなります。この急登をのぼりきれば、立山三山のひとつ、雄山です。
立山連峰の最高峰は標高3,015mの大汝山ですが、雄山(標高2,991m)には霊峰立山を奉斎する雄山神社の峰本社が鎮座し、立山連峰の事実上の山頂としてあつかわれています。
この峰本社は厳密には雄山山頂ではなく、至近の狭く鋭い絶頂に鎮座しており(ここは雄山山頂よりさらに高い標高3,003m)、周囲には落下防止の柵などはなく、高所恐怖症の私なんぞには膝が立たなくなるほどの恐ろしさです。お参りも早々にすぐ退散しました。
雄山を後にして、ここからは立山連峰の峰々を縦走します。この尾根道は遮るものがなにもない大パノラマ。特に、富士ノ折立から立山連峰別山へと続く稜線の雄大な景色は圧巻です。
剱御前小舎から剣山荘間は、お花畑でした。山嶺の雄大な景色もいいのですが、季節の花々も山旅に文字どおり花を添える大切な存在です。特に、北アルプスの深部は豊かな植生が残されていますので、楽しみもひとしおです。
徐々に劒岳の勇姿が大きくなってきました。天気は良好ですが、劒岳の山頂は雲に包まれて見えません。剣山荘で小休止。入念にストレッチしてから、いよいよ劒にとりつきます。
序盤からいきなりの急登になりますが、最初のピーク、一服劒と呼ばれる頂からは一旦下降します。このくだりも急なのですが、まもなくすぐに急登がはじまります。劒岳の山頂までは、この一服劒と前劒を超えていかなければならないのですが、こののぼりくだりは擬似山頂の錯覚もあいまって、知らないと精神的にこたえるひともいるそうです。
のぼりは険しく急ですが、順調に標高を稼いでいきます。天気は良好なのですが、山頂はずっと雲に包まれて見ることができません。これでは、今日は山頂からの景色は期待できないな、とあきらめました。
計画通り山頂に達しましたが、やはり雲に覆われて視界はゼロ。こればっかりはしかたがないですね。また来る理由ができました、ということで、小休止してから下山を開始。
意気揚々と剣山荘までくだり、ゴールである室堂に向かいます。改めて剱御前のお花畑を通過し、別山乗越から雷鳥沢へと一気にくだります。
雷鳥沢からは、日が登って明るくなった室堂平を花を愛でながらゆっくりとお散歩してみくりが池に戻りました。
アルペンムード満点の縦走を満喫。次に来れるのはいつかな、と後ろ髪引かれながら、室堂を後にしました。
*1
新田次郎「劒岳〈点の記〉」新装版、文春文庫、2006.1.10
*2
昭和以降に設置された四等三角点は国土調査(地籍測量)を目的としたもので標識が設置されたが、明治から大正期の三角測量で図根測量(地形測量を行うための基準点である図根点の設置を目的とする測量)のために測量された四等三角点は補助的なものであり、永久標識(三角点の柱石や盤石)は設置されなかった。
【参考資料】
国土地理院HP 位置の基準・測量方法 三角点 三角点とは
(注1)
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出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
GPSデータに基づく軌跡の描線は筆者による。