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言葉はただの媒介である


 言葉は、重視されがちだ。
 意見を言う時、考えをまとめる時、他人と意思疎通を図る時、その全てに言葉は最重要視される。
 けれど一度立ち止まって考えてみてほしい。
 本当に私たちは、言葉を中心に生きているだろうか?
 何かを自分の中で考える時、言葉だけで考えているだろうか。

 人は言葉を媒介する時、何を伝えようとしているのだろうか。
 大概が、イメージを伝えようとしている。
 言葉だけでは伝わらないはずなのだ。絵や、図や、あるいはそのものを見せた方がよっぽど早い。
 言葉がそう言う面で役に立つのは、感情をラベリングする時くらいのものである。それも、事象に対して感受する人間が別人なのだから、言葉を介在した結果うまく伝わらなくなることの方がよほど多いはずだ。

 理解されない、と言う経験をしたことはないだろうか。
 それは、言葉だけで伝えようとした結果である。相手が他者である以上、そもそも言葉によって受け取るものも全く違うのだから、同じ理解に結びつくことはない。

 半分が同じ血のはずの母と話していても、私は「頭にプラグを繋いで、この図を共有できたら最高なのに」と思うことが多い。言葉なんてそんなものだ。


 人は言葉に頼りすぎている。信じすぎている。
 言葉はただの媒介だ。言葉は人と人の間にあるだけの存在で、空気と一緒で、人間をそのまま左右したり、人に影響するようなことは基本はないはずなのだ。
 人間が言葉を媒介でなく、言葉で概念を延々捏ね繰り返している限りは、少なくとも争いはなくならないし、他者と意思疎通することは困難だろう。

 大切なのは、諦めることだ。
 他者は永遠に他者だし、完全に意思を通わせることは、今後数十年において「頭にプラグを繋いで直接に共有する」…ような技術でもできない限り、無理なのだ。
 



 これを読んでいるあなたに、7.3kgのうちの大猫の四肢にわたる重みや、毛艶の良さがわからないように。

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