愛着図鑑③ 何でも快適にできる魔法のガラス板
愛着図鑑とは?🔻
意識の高い人が苦手だ。
大学の頃、同じ視点に立てる友人がいた。
ものすごい苦労をしている子で、歌も特別上手いわけではないけど、応援したくなる子だった。
その子がいろいろあって、めんどくさそうな男と付き合った結果
インスタのストーリーに「幸せになるなら、他人を犠牲にしなくては」ということを言ってしまうようになった。
じゃあ、犠牲にされた人は、不幸なんだろうか?
幸せは、一過性ではないんだろうか?
私にとって幸せは、心の奥底から湧き上がってくる、この瞬間が永遠になればいいと思うような、ふわふわした心地だ。
その象徴とは、音楽をする瞬間だったり、猫に乗られている瞬間だったり、読み終えたばかりの本が胸に満ちる充実感のあるものだったりした時だ。
閑話休題。
大学に入った私は、忘れ物が多かった。
受験の時の重要書類から始まり、授業の提出物、定期券、財布、ありとあらゆる細々したものを忘れる。
買って何とかなるものならいいが、そうでないものも多い。
特に休んだ時の授業資料は、見せてもらえる友達がいなかった。
忘れたくて忘れているわけじゃないのに、忘れたらドキドキするし、怒られ、やる気がないと謗られる。
だったら1時間、今日そこをやらないことを祈って、静かにしていよう。
ある種自業自得だが、私は、やる気も自信もない、見た目だけ真面目に見える学生で生徒になっていた。
いつだったか、iPadに憧れを持った。
スマホより大きく、電子書籍も読みやすい。
そして、情報を一箇所に留めてどこにでも持ち運べる。
たくさん調べ、iPadを便利に使う方法を考えた。
データの管理は。写真は。今PCでできることは。ゲームは。
iPadはだいたいのことができるらしいということだけわかった。
制限はあるものの、PCのようにも、紙とペンにも、ゲーム機にもなると。
今手元になるiPadは、父のiPad Air2で、動画見ることしかできない。
だったら買ってしまおうと決めた。
お金の問題さえクリアできれば、買ってしまおう。
そうして、大学2年の3月ごろ、iPad Air3を買った。
一年間がっつり、時折先生や同級生に揶揄われながら使い倒した。
最初はApple Pencilに慣れず、力を入れすぎて液晶がぐにょんとなったり、落とさないようケースに入れて、かなり過保護に使っていた。
そしてなぜか翌々年、iPad Pro12.9(M1)を買った。
私は近視なので、これで楽譜を見るのがちょっときつかったからだ。
買うきっかけになった忘れ物問題はと言うと。
言わずもなが、簡単に解決した。
忘れ物や課題忘れを解決するためにしたのは大きく分けて二つだ。
1 すべての資料を電子化する
よく言われていることだけれど、「この資料は紙」「この資料は電子」など、分けると、それだけ無くしやすい。
単純に手間が2倍になるからだ。
私が失敗しかけた時も、頑張って二重管理しようとしていた。
しかし、当然荷物の多さにiPadを置いていく日ができ、結果、余計忘れ物が増えた。
それを改め、いろいろ調べて変えてみることにした。
今は、紙の資料はPDF化してGoodNotes5に取り込んでいる。クラウド上で配布された資料は場合によってPDFにして、これまたGoodNotes5に取り込んでいる。
手書きのメモは全てGoodNotes5にし、小説のメモ書きも全てGoodNotes5に入れた。
メモ用紙に書いた雑なメモも、使いそうだったらGoodNotes5に書き写した。
これによって、細かいメモ書きからオペラスコアまで、すべてのものをiPad一枚(というかGoodNote5)で管理できるようになった。
(分ければ手間が増える、冷静に考えれば当たり前なんだけど、意外と電子一本でって難しい)
(GoodNotes5、手書きメモやってみたいなら1番簡単でいいよ。基本無料)
2 リマインダーに全て入れる
Todoアプリを結構使ったが、どれも多機能すぎて面倒だった。
なんなら、日付をつけることすらめんどくさい(やってるけどね)
やっぱり一番楽なのは純正だ。
授業が終わると全て忘れるので、「これ課題〜」と言われた瞬間に書き込み、あとから「これ忘れてるよ!!」って通知を送ってもらう。
大学の課題や提出物は忘れることがだいぶ少なくなってきた。
ただ、日常のことはたまに忘れる。例えば定期券の管理とか。買い物とか。さらっと言われたお願い事とか。
ちゃんとリマインダーを確認することが私の課題かもしれない。
ここまで来てふと、高校生までどう生きてきたのかとおもったが、やはり忘れ物は多かった。
ただ、人間忘れすぎると慣れるもので、提出じゃない授業課題なら授業中にこっそりやって回答していた。
怒られることもあったが、高校までは意外となんとか生きてこれてはいたのだ。
ただ大学は、学生も教員も関わる人の人数も多く、口頭でしか期日が知らされないことがそれまで以上に多かった。
そのため不適応になりかけたのだと思う。
憧れはあったが、iPadを使うことに抵抗はかなりあった。
だってめちゃくちゃ、意識高いっぽい。
左手にiPad、右手にApple Pencilを持って、スラスラメモを取る。
そんな姿は私じゃない、と思った。
もっと泥臭く生きたい。
ただ、全てのことが一台で完結することの楽さを味わってしまったら、戻れなかった。
忘れ物問題だけではない。
例えば、今まで、文章を書くためにはPCの電源をつけ、スマホと本の誘惑を断ち切り、インターネットの海の誘惑を無視し、ワードなりメモなり立ち上げなければいけなかった。
その上、PCは持ち運べないものだったから、家の中でしかできなかった。
今ではスマホでも書いているが、少なくとも大学中はスマホで書くのもなかなか苦手だった。
それが、iPadは、すごく楽だ。
電源はすぐにつくし、アプリもすぐに立ち上がる。
誘惑はまあ、タイマー使って「1分だけやろう」とかやるしかないが、それでも随分書くことへの躊躇が減った。
iPadは良い。
売り文句の「魔法のガラス板」もその通りで、何もかも工夫次第で一台で完結できる楽しさは、至上だ。
ただ、iPadで行う行為を、インプットだのアウトプットだの、名前をつける意味はないような気がする。
どちらも点と線でなんとなくつながっているものだから。
愛着図鑑No.3
Apple
iPad Pro 12.9(M1)、iPad mini6
特徴:冬に触ると冷たい。触ってるだけで楽しい。
使いこなすまで時間がかかる。
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