SNSは死にたがり族を受け入れてくれる唯一の場所?
下書きにペーストだけしてたいつかのメモです。
社会学なんてやっても、人々の苦しみにしか出会わないし、人間の性に直面するだけで辛さしか味わないじゃん。その見えてくる人間の性って全然いいもんじゃないし
現在生きてくれてる創作家のおかげで、私の希死念慮を代弁してくれる
フェミニズムって批判的学問だからその時点で受け入れられにくいんだよほら、批判より、ほめてもらうほうがみんないいじゃん?
未関心層(あえて意識的に無関心じゃなくて未関心という言葉を使ってる)。学生団体とかNPOの学生メンバーでよく、どうやって未関心層にアプローチするかみたいなテーマがでてくるけど、たしかに若者の未関心層に対しては、”私たちが学生だからこそできること”みたいな域にはいるのかもしれないけど、自分の周りの関心層や関心層に近い未関心層くらいへのアプローチでも、そこに関心があるのは当事者というよりかは、教育を受けてこその関心である社会的ポジの高い学生が多いから、学生団体や学生NPOに所属するようなわりと社会的地位の高い家庭に生まれた学生は同じ高位層にアプローチしていくのも悪く無くね?
狂信者。学生団体とかオンラインサロンとかって、そこに入る時点である程度志向性が似通っていたりして同質性が高いから、余計にカルト化するスピードが高い
大阪にたまに行ったときに、交通費もったいないから一気に全部すましたいと思っちゃうあれと一緒。友達といるときにすべての目的達成しちゃいたい
社会学なんてやっても社会の問題にしか触れないし
人の苦しみしか見えないしもういいことない激おこ!
自分を売らなくなったって
私にとってはそれが重荷、窮屈になりうる
純粋に友達にFBもらう姿勢は純粋感あるよね
人間は箱だから、自分のはいった箱の特性が生きやすい特性、環境でよかったなぁと思うべき。自業自得とか自己責任とかではなく。生まれ持ったパーソナリティの特性とかで、同じ経験しても感じ方が違く手、感じ方が違えば行動も変わって、行動も違えば結果も変わってくるから、生きるのにそこまで困ってない人はシンプルにラッキーだなんだよ
リストカットからの回復の本、自傷行為自体はやめれても、苦しみを感じるこの環境は生きてる限り変わらないよ、表層に出ないだけで
自罰的
自己憐憫と酒
SNSは死にたがり族を受け入れてくれる唯一の場所?
知性を感じられる文章を書けるようになりたい。知性を感じる会話。会話は既にたくさんやっていて量をこなしている。文書は量が足りてないからまだその域に達していないのでは
メランコリックで自罰的な歌詞が大好きな歌手も、大衆性の獲得のため、あるいは地位の獲得にって、デビュー時に比べて歌詞の憂鬱度が減るのかなしい。天才だった彼らの人間的な部分や煩悩を感じたくない。オーディエンスなんてきにせずとことん独りよがりに曲を作ってほしい
妥協でされるがままの搾取
みんなポジティブな人求めてるんだよ。マッチングアプリとかでもいつも笑顔で明るいポジティブな人好きってみんな書くじゃん。みんなしんどいから他人に求めるんだよ、希望を。相手を求める人が集まるようなところに来る人は、支えてくれる人をもとめてんのか
無料コンテンツ有料コンテンツ。価値があると思われればお金が払われる?何それどっちも同じ作品なのに。いいコンテンツにはたくさんの労力がかかってるからそれに対してペイしてる?いや、必ずしも。
ネットうっすぺらい言葉
てか、逆に言えば、みんなのリア友からの数個のいいねしかない投稿だって、みんなに読まれれば案外ウケるものかもしれないってことだよね
わたしのTLがモフモフしたかわいい生き物とおいしそうなご飯だけが回ってくるのと、ひたすらふぇみ批判が回ってくるのでは、精神衛生全く違うんだろうな