【小説】終わらない夏休みのヒーロー
今回も主人公は、前半苦悩し、後半、仲間と連携して派手に敵を倒していた。一応、名前付き。重要キャラと言ってもいいのかも、人望ないが。
横暴さを、二回前でも当然のごとく発揮していたので、やられてしまうとは思わなかった。諸行無常の響きあり。
自室に戻らなくては、いけないのかもしれない。だが、そういう気にならなかった。
一般的には進路を考え、決めていく時期だ。友人知人の話もそれ前提のものになっている。痛い程に刺さる。分かっているができはしない。
卒業制作をする。その参考にアニメを見ている。戦いと葛藤。ちょっと古い。だからこそよく描かれている。個人の感想だが。
雑然とした部屋。椅子に寄りかかり、考えている様子の弟も同じようなものだ。
ヒーローが剣を振るう。急所を捉えた銃弾で活路を開く。駆動する巨大な機械。
「兄ちゃん、昼ご飯どうする」
弟が、もごもごとした声で訊いた時も、頭が回想でいっぱいだった。続きを見るかどうかという話でもある。
「ん……ああ」
正直食欲がなく、しかし時間が過ぎていくので、階下の店で何か買ってくるのが短期的にはいいだろう。
「おねがいします」
玄関先に来て、弟が更に何か言ったように思い、答えようと言葉を発したらなぜか出てきた言葉はそれだった。
熱にやられたか。そういうことにしておけばいい。冷房はついているのだが。
どうせ音声としか聞こえていない。安心させて靴に足を突っ込んだ。
宿題、宿題……
まだ終わらない。
なのに、期限までにできなかったら。中途のものは切り捨てられ無駄になり、周りだけ時が流れてしまう。勝手に。
夏は熱い。無敵のヒーローは陰を許さない。でもそんなヒーローがいたらいいとも、思う。
適当におむすびを取った。弟には梅干し。会計を済ませてさっさと出る。
盆が過ぎたのだと、その事実が頭にある。
広い街道の真ん中、そこでヒーローが戦っているだとか、宇宙規模の話はない。いや、しかし、それならあの人型は何なのか。車が自然に通行止めになっている。腕組みをして格好良く立ち、スカーフがなびく。
「トウッ」
脚を曲げ、片手を真っ直ぐに伸ばしてポーズを決める。声が聞こえそうな程定番の光景だった。
そういうものを見たのに、普通に家に帰ってしまった。幻影だ。所詮。
「おかえり」
口から出たのはあべこべの挨拶で、返すものもない。弟は……?
自動販売機の飲み物でも欲しくなって、入れ違いになったのか。折角自分が買ってきたのに。
しばらく待ったが戻ってこない。
勝手に、レンタルしたヒーローの、次の物語を再生してもいいが、やはり一人で先に楽しむのは忍びない。つまらない、とも言える。
炭酸飲料も、開けたら気が抜けてしまう。
何となく探しに出た。
自宅は集合住宅の六階だ。扉を出たところの共用廊下は通りに面している。視線を流していった先は交差点で、まだ、そこに、先程目についたあやしくカッコいい人影はあった。
悠長な。
一体、何と戦っているのだ。そもそも。
世界の中心がそこにあるかのような、切り取られた空間のような。存在がねじれの位置にある。
異質な姿は、輪郭がはっきりしていた。蜃気楼にも似て、しかし少しも動かない。
つくりものか。そんなはずはないと思った。
自分は、あれが演劇じみた構えを取るのを見たのではなかったか。いやにはっきりと覚えているのに、色は、思い出せない。黒か、白か、灰色だったか。影のヒーロー。そういうやつか。
意識もせずにエレベーターに乗り、そして降りていた。
(あいつ、どこ行ったんだろうな)
弟を探しに出た。それが目的だ。なまぬるい湿気の中、体を動かすのが億劫に感じた。
たまたま、足を向けたのは交差点の方向だった。そこを左折すると店がある。
戦っていた。
はっ、と気付いた。
風圧だ。それで動けないのだ。このヒーローの影は。
そう見えたのだから、仕方ない。両腕で前を庇い、自分に加わる力をこらえていた。
吹き飛ばされないようにだろうか。じりじりと、かかとが退がっていく。
(この……負けるな)
乗り移ったかのように、にわかに共感の情が沸いた。
(踏ん張れ)
敵は。何者だ。彼が対峙するのは、黒雲としか見えず、かつ、物体としての質感を持った、人の五倍くらいある塊だ。斜め前方の頭上に浮遊している。
そこから風が、いや空気の圧が押し出されていた。
(やばい)
もこもことした不定形の塊の中に、時々鋭く尖った刃がきらめいた。もし、態勢が崩れたなら、たちまち切り裂かれてしまうだろう。危機だ。
助けたくなって肩掛けかばんを探った。指に触れたのは、プラスチック製と思われ、大きさもそれなりにある物だ。取り出してみると、それは鏡だった。
(何で、こんな物が……あっ、そうか)
自分で買って、入れっぱなしになっていたのだと思い返した。少し前、弟がなくしたとぼやいていたからだ。よく聞いてみると実のところは、学校で没収されたみたいだったが。返ってくる当てがなさそうで、それならいっそ新調してやろうと考えた。
青い枠にスタンドが付いた、大きさは文庫本程度の、市販品だ。
ビニールの包みを剥いて、差し向けた。
暇が有り余って、天井に揺らめく反射光を眺めていたことがあった。癒しになると弟は言ったが、同意できるかよく分からなかった。水族館では漂うくらげが好きだそうだ。
そこから連想した。
(くらえ!)
うまい具合に鏡に日の光が当たり、敵を捉えた。眩しいのか、僅かに怯んで、黒い塊は引っ込み縮んだ。適当にやった行動が効いた。しかし、どうしても微弱だ。
すぐ元の様子に戻ってしまう。どころか、埋もれた硬い欠片が幾つか遂に飛び出した。
刺さる……?
そう思った寸前で、弾き返されていた。影のヒーローが握った広刃の剣に。
左手には、鏡。いや円形の盾か。磨き上げられた金属の輝き。かざされたその盤は、自分が使った普通の鏡よりずっと大きく、しかし形状と縁取りの色は似ていた。
「攻撃は最大の防御だ」
渋い声でいきなり、ヒーローは語り始めた。
敵に向かってなのか。頭からすっぽり被った硬い仮面のせいで表情も視線も分からない。ついでに述べると、服装は全身タイツのような、上下を覆うツナギだ。色はくすんだ黒、マスクの目元のみが赤い。
「つまり、反転させれば堅牢たる防御とはこれ即ち、貫徹なる攻撃である」
成程……。聞き入り頷きそうになる。全く自然に当然に。
しかし、それでいいのだろうか。数学の授業。命題の逆は真だっただろうか?
下らないことを自問し考えている間に、戦闘は進んでいる。もしかしたら、普段アニメを見ている時と同じかも。いつの間にか取り残されているのだ。
両脚は前後に開き、片膝を屈め、ヒーローは一瞬にして気合を込めた。
「ゆくぞっ!」
無駄に力強い掛け声を発する。と、同時に巨大な盾―顔の三倍は直径があろうか―を思い切り高く持ち上げた。凹凸が逆だがパラボラアンテナの印象だ。
光が降り注いでくる。
天候は薄曇りだったはずであった。ところが、それにも関わらずどこからともなく吸収されるように集まっていく。鏡面仕上げの円盤に。お日様の欠片、燦々と。
(おぉー)
輝いている。熱い。陽光を浴びたが故か、いやそれだけではない。体の内からも、活ける情動が吹き出でる。
ただ、見入る。
「我々は、己の力では輝けない。しかし、太陽は遍く照らす」
朗々と宣言し、ヒーローは跳んだ。盾に収めた輝きは、黄金のごとく腕から彼を包んでいく。めっきではなく黒地はそのままに、仄かな光を纏い夜の青となった。更なる変身だ。
「はっ!」
静かな炎を発し、いや、映した剣の一撃が、暗黒の塊に叩き込まれた。
白い火花が散った。雲は、砕けて薄まり、風の中へと溶け消えていった。
(終わった)
そんな光景を確認して、昇華された安堵が漂った。
浸っていたのは束の間か、英雄の影も形もない。青空が見え、思い出したように蝉の声がし始めた。蒸し暑い。
弟はいないと裏付けるために辺りを一応ちょっと歩いて、家に帰った。
「ただいま」
答えがないのには構わず、ずかずかと上がっていく。各々勝手に暮らす家だ。
居間に入ると、テレビの前に置かれたテーブルに伏せ、椅子に座ったまま弟は眠り込んでいた。何事か書き物をしていたらしい。ちらりと見ると、限りなく濃縮された闇がどうとか実体なき魔物だとか燃える白熱の剣とかいう単語が並んでいた。いつもの自作小説というか、それに満たない案であろう。
机に頬をもたせかけ、熟睡の淵にある弟の、開いた口からよだれが垂れかかっている。目を逸らしたところに鏡が置いてあった。
(何だ……あったのか)
弟が持っていて、紛失したのと同じものに見える。だが、少し違うのは紺青の枠にきらきらと輝く星のような模様が入っていることだ。元からこうだったか。
寝顔を映しているだろう銀面を敢えて見ることはなく、まずおにぎりの梅を袋から取り出し弟の側に置いた。そして自分もしゃけの方を食べるとする。お気に入りで、定番だ。
「台風が消滅したって」
ぼそぼそと弟が喋った。急に。寝ているのだか、起きているのだか分からない。