【十七歳】 ショートショート#1
・・・
──潮騒の響きに、青臭い記憶が甦る。
海岸沿いに咲き乱れる勿忘草の花びらを舞い上げて、改造した単車で駆け抜けたあの日々。
太陽が燦燦と輝く中、暑さにやられた俺は赤いハーフヘルメットをフードの原理で扱った。それを見たあいつは「あぶねえよ」と言いながら、俺の真似をした。
「めんどくせえし、このままどこか遠くへ逃げちまおうか」
あいつは冗談っぽく笑いながら、愛車のペケジェを蒸した。その言葉の真意もわからぬまま、十六夜の月が朝日に飲まれる頃、あいつは居なくなった。
ここに来ると、最後にはいつもリズムを崩さず点滅するオレンジ色の灯りが、頭の中で反芻して胸が苦しくなる。
だけど俺も、あいつも、仲間たちもみんな泣くために産まれたわけじゃない。俺たちは辿り着く場所も知らぬままに、何度でも風になった。ただひたすらに、生きた証を幾度となく刻んだ。
本当に、それだけのことだった。
不意に嗅ぎ慣れたくないニオイが鼻の奥を突いて咄嗟に顔を伏せた。
あいつの思い出が、こんな細い緑色の棒から漂う透き通った煙なんかで良いものか。
単車に跨り、ラム酒のような甘い香りを漂わせる短いシガーを咥えて、大きく手を振るあいつが俺の中には居る。
ポケットから二匹のコウモリが描かれた紫色の見慣れた箱を取り出し、丁寧に封を開けた。
「あはは。あいつ、それ好きだったな」
隣に居た友人が見慣れたパッケージを見て、嬉しそうに覗き込んできた。気のせいか胸元が少し濡れているように見えた。
フィルターからほんのり香る甘い香りに、俺の足元にも大粒の雨が降り出した。
「なぁ、雨なんか降ってたっけ」
「わかんねえけど、結構降ってるよ」
友人の声に安堵した。言い訳がちゃんとついたからだ。
封を開けた箱から一本のシガーと、ライターを友人に渡した。友人は、よくこんなの好きでいたよなと文句を言いながら火を付けた。苦い顔でゆっくりと吸って、「まっじぃ」と勢いよく吐き出した。
「おい、俺たち今から走りに行くけど、化けて出てくるなよ」
火の付いたシガーを俺に渡して、あいつの眠る墓に友人は背を向けた。
手首をひらひらと振りながら、単車の方へと歩き出したその背中は小刻みに震えていた。
俺は、綺麗に磨かれた墓石に水をかけて勿忘草を添えた。
敬意を込めて、あいつの好きだったシガーを味わうように口に含んだ。ゆっくりと吐いた甘い香りは青空に向かって登っていく。それはやがて白い雲と重なって見えなくなった。
「じゃあ俺もいくわ」
半分以上残ったシガーを勿忘草の隣に立て、先に行った友人のあとを追った。愛車に跨ると、俺の隣で火の玉カラーのゼファーが大きな唸り声をあげた。
・・・
青臭い記憶が眠る海岸沿いを、友人と並んで走る。
コバルトブルーの海に、穏やかな風と潮騒が、俺たちを抜け殻にしようと絡みついてくる。
「あいつさぁ、いつも……って……たよなぁ」
風を切る音で、友人の声は掻き消された。
「聞こえねえよ」
「俺た……居たこ……忘……いって言ってたよなぁ」
うまく聞き取れなくとも、理解が出来た。あいつには、口癖のように言っていた言葉がある。
照り付ける日差しを背に、淡い緑の生命たちを、風になったあいつを追って絶え間なく揺らした。
ミラー越しにあいつと目があった時、いつもと違う何かを感じ取った。
それなのに「今日はもう帰ろう」の一言がどうしても頭に浮かんでこなかった。沈んだ太陽と、北の大地が寝息を立てる頃、俺たちはついに夜の風となった。
しじまを裂く重低音が空気を震わせ、ここにしかない一つの世界が大地を移動する。
暗闇は俺たちを歓迎しているようで、より一層マフラーの唸りが高揚しているのを感じた。
ひとしきり重低音を奏でたあと「くだらねえ世界だな」と、青みが増し始めた海に野次を飛ばし華やかに笑い合う。
家からくすねて来た甘い缶チューハイを片手に、十七歳のあいつは幸せそうな顔で言った。
「俺たちが居たことは死んだって忘れない」
あれから三年が経った。
あんな事があってから、赤いハーフヘルメットは被っていない。十六夜の月の日には、友人と必ず単車で思い出の土地に、勿忘草を舞い上げに来ると約束している。
全てが届いていると信じて、俺のヨンフォアは大きな唸り声で祈りを捧げた。
マフラーが刻む早いBPMを聞いて空を見上げる。
晴々しく爽快な空の中に、あいつの笑った顔が見えた気がした──。
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