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道々

道を歩く。
日常の一場面でありながら、その一歩一歩は人生そのものを映し出している。
私たちは生まれた瞬間から、見えない道を歩き始める。

誰もが同じ地点から出発しながら、その歩み方や進む方向は無数に枝分かれしていく。
道は人を選ばず、人が道を選ぶのだ。

目の前に延びる道は、時に滑らかで快適だが、時に険しく、先の見えない闇に包まれる。

右へ行くか左へ行くか、一歩踏み出すたびに迷いが生まれる。しかし、その迷いこそが生きることの醍醐味である。
選び取った道が間違いかどうかは、進んでみなければわからない。

未知への恐怖と期待が胸を高鳴らせる。そう、「道々」は「未知々」でもあるのだ。

あるとき、旅人が「この先に何があるのだろう?」とつぶやく。その問いは私たち全員の心に響く。
未来は見えない。
しかし、だからこそ人は進む。

未知に触れるたび、心は新しい景色に驚き、目を輝かせる。道が続く限り、終わりのない好奇心が私たちを突き動かす。


かつて幼い頃、私は林の中の細い道を探検するのが好きだった。

どこに繋がっているかもわからない道を進むと、突然開けた草原や小川に出会う。
予期しなかった風景が現れる瞬間、心が跳ねる。大人になった今でも、その感覚を忘れない。

人生もまた同じだ。
思いもよらぬ出来事、偶然の出会いが人生の風景を一変させる。その驚きが生きる喜びを与えてくれる。

道には終わりがあるのだろうか。
人はしばしば目的地を求め、ゴールにたどり着くことを夢見る。
しかし、道を歩いていると、いつしか目的地などどうでもよくなってくる。

大事なのはどこに行き着くかではなく、どう歩んできたかであることに気づくのだ。

「道々」を歩く中で、私は思う。
もし目の前の道が突然なくなったら? 進むべき道が消え、行き先を示す標識もないとしたら? そのとき人は、己の心に問いかける。

進むべき方向はどこか。
答えは、きっと私たち自身の内にある。誰かに示されるのを待つのではなく、自ら切り拓く。道がなければ作ればいい。未知は恐れるものではなく、創るものなのだ。

私たちはこれからも、道々を歩いていく。
時に立ち止まり、迷い、そしてまた歩き出す。
その先に何があるのか、誰も知らない。
だからこそ、私たちは歩き続ける。

道がある限り、未知が広がる限り、心は驚きと興奮に満ちているのだから。

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クマ犬ぽた&chatGPT

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