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がん研究のモチベを失ってしまった限界研究者の話(一旦最終回!!)
これはフィクションです。
筆者は現在、研究員(ポスドク)として米国でがんの研究をしています。
ですが、正直がんを治すのをモチベーションとして研究をしているわけではありません。がんの新しいメカニズムを見つけるのが面白い、その好奇心一点が研究のモチベーションです。
もちろん筆者が見つけた新しいメカニズムが基となって、新しい治療法が開発されれば嬉しいなとは思っています。
ですが、あることがきっかけでがん研究のモチベを失ってしまったのでそのエピソードについて語りたいと思います。
数年前に父親ががんで死にました。
私と父との仲はよくありませんでした。またお世辞にも恵まれた家庭ではなかったのでポスドクの時分から、なんなら大学院生の頃からバイトをして親に仕送りをしていました。
親には金が無いのです。貯金もない、しがない年金生活です。ですのでがんが判明して治療するにもお金がかかりますが、親はそれを負担できません。私は父との仲は良くなかったのですが、「これで終わりなら」と父親の治療費をもつことにしました。
抗がん剤やら放射線やら治療が色々あって、医師はよくやってくれたと思っていますが、徐々に悪化していきます。
そして最後に「もって数ヶ月」と言われるところまで来てしまいました。
そしてそんな死にかけの父親に医師は何を処方したと思いますか?
オプジーボです。
年老いた、がんで死にかけの父親に今更オプジーボが出たのです。
高額医療制度があるので私の出費は月10万程度です(薬は5万だったかも)。しかし、その時私は「死にかけの親父の『維持費』が月10万かぁ」となんとも言えない気持ちに苛まれていました。
「もう治療を辞めてください、お金を出したくないんで」と医師に言う罪悪感と世間体の悪さを月10万で買い取り続けたとも言えるでしょう。
なにより、親父は「生きたい」と言っていたので、仲が悪かったとはいえ医師のこの提案を断ることは出来ませんでした。
それでも「これで終わるんだ」と思い、払い続けました。
そしてそれから数ヶ月して、医師の見立て通り親父は死にました。本音を言えば数ヶ月で済んでほっとしました。
私の出費は月に10万円程度でしたが、残りのお金は税金から出ています。オプジーボの薬価は年額1000万円を超えると言われています。
これってめちゃくちゃ馬鹿らしいと思いませんか?
仮に私が新しいメカニズムを見つけて、それが基で薬になったところで死にかけの老人の「維持費」に大金が費やされるだけなのです。
ノーベル賞を取った輝かしい研究成果であるオプジーボだって、末端では医師の「えいや」の判断でただの税金の無駄遣いになってるところを目の当たりにしてしまったのです。
医師は患者を延命させることが使命ですので、彼らを責めるつもりはありません。
でもがん研究なんて馬鹿らしいと思いませんか?どんどん高度になるかわりに高価になっていく分子標的薬や、細胞療法、抗体医薬とか無駄だと思いませんか?製薬企業や病院、医師を太らせてるだけじゃないですか?流石に度がすぎてやしませんか?
色々犠牲にして研究してきたのに、その成果物が「命を盾」に庶民からなけなしの金を奪っているのあまりに馬鹿らしくないですか?
世間を探せば私のように親の治療費や介護費を払いあぐねてる人も珍しくないでしょう。
その一方で、学会に行けば親の生活費に身銭も切ったことが無いようなボンボン共が、税金でしょうもない研究をさぞ素晴らしい研究かのように発表しているわけです。しかも本人達はそれに気が付いてないくらいには傲慢でおめでたい連中です。
中にはまともな研究をしている人もいるかもしれません。ですがそんな彼ら彼女らでさえ、口を開けば、やれ一年に論文を何本出すとか、やれ論文をいい雑誌に通すとか、やれPI、教授になるとかばかりで辟易とします。
きっと彼ら彼女らにも初志はあったのかもしれません。しかし論文ノルマや研究資金獲得等の出世ゲーム、はたまた生活や家庭のために感覚が削られ、疲弊しているのでしょう。
そこに知的好奇心があるならまだしも、「世のため人のため」みたいなナイーブなセリフはこの業界では申請書でしか久しく見聞きしたことがありません。
この一件で私はがん研究があまりにも馬鹿らしくなってしまい、モチベを失ってしまいました。
それから米国に戻り少し経った頃に、子供が通う学校で、ある子供が亡くなったと校長からメールが来ました。
がんでした。小学校に上がったばかりの子供が白血病で死んだのです。
この子供とは知り合いでもなんでもありませんが、同じ年頃の子供を持つ親として、何も出来ない無力さ、悲しさを感じていました。何も悪くない子供の未来が理不尽にも奪われたのです。
ですがこの子供には勝手で申し訳ないのですが、この一件で私なりに思う所がありました。
少なくとも他の人に比べれば私は土俵には立っているのです。
薬になるような大層な研究は、とても私には出来ないでしょう。
でも私はがん研究者です、そんなモチベで研究を始めたわけではないにせよ、土俵に立ってしまったのです。
そして一度土俵に立ってしまったからには、
いかに研究や人生が欺瞞や矛盾に満ち溢れていたとしても、
いかに生活に疲れて、力や才が削られていたとしても、
いかに初志を貫くには色々と背負いすぎてしまったとしても、
いかに私が取るに足らない矮小な存在だったとしても、
「それでもやるしかないんだよなぁ」と今日も重い腰を上げてラボに向かう私でした。
いかがでしたでしょうか?
一旦週一更新はお終いですが、記事が溜まってきたら復活するので、また会う日まで!
では現場からポス山毒太郎でしたー!!
これはフィクションです。
ちょっと自己情報を開示しすぎた感があるので、この記事は唐突に消す可能性もありますのでご了承ください。いやフィクションですから!!
今記事では、あることがきっかけでがん研究のモチベを失ってしまった研究者の末路を書いています。これはもう呪いなんだよなぁ、、、。*この話はフィクションです。**筆者の記事を初めて読む方は閲覧注意かも。https://t.co/PgJach0d1a
— ポス山毒太郎 (@pos_dokutaro) January 3, 2025