八日目の蝉
不倫相手の赤子を誘拐し、育てる女性の話。主に逃亡記録。友人を頼ったり、隠れ蓑を見つけては転々とする。終盤には拐われた女の子からの視点で描かれる。
この本の印象的な部分は情景描写。色や光、影の表現が多かったように感じる。それはすなわち逃亡している女の心情を暗に示していたと思う。
そして、キーワードになるのが「海」
広大な自然であり、抗えるはずのない存在でありながら、海そのものは太陽から照らされれば色を変え、風に吹かれれば波を変える。
海は変わっていないのに、見る側の心情で変わっているように見える。それが安心にも、不安にもなり得るということを知らされる物語。
何より言及したいのは「親子とは?」という話。
血の繋がりがなくても親子。繋がりがあっても親子でいられないこともある。
盛大にネタバレをするので、積読されている方、今後読もうと思う方の目に触れないことを祈ります。
この物語、最終的には生みの親の元へ女の子が返される。そしてそれは軋轢をうむ。彼女は次第に自分がされたことを理解していくわけだが、あの頃に戻りたいとすら描かれる。
物心つく前から一緒にいた大人が親ではなかった、本当の親はこっちだよ、と言われて、はいそうですかありがとうございます、とは言えない。
その親だって、不倫をしているやつらなんだから、どこにいれば正解なのかは誰にも分からない。
最後まで登場人物の心情を中心に描かれたこの小説は、生きていく上で誰も正解がわからないこと、その中で何か選択をしなければならないこと、その選択は間違っていなかったのだと誰よりも自分が信じることがいかに尊く、難しい話なのかを教えてくれた。
同時に「誘拐犯より生みの親の元へ」と思い込み返したわりにアフターケアをしない、誰かの選択を歪ませるほどに口出しをしたのに責任を取らないことの惨さも教えられた。
自分の人生を生きるのは間違いなく他の誰でもない自分なのだ。自分が信じられる自分であらねば。