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無駄なことしない勇気のような何やら

今日はというか、今日も個人の見解を書くnoteというか読書感想文かもしれません。

仕事でやや行き詰まりを感じており、効率とか生産性をどっかに捨ててしまいたいくらいな感覚に陥っております。

そんな中、久しぶりに積読を取り出して読んでいるのがこちら。
時間をコントロールしようとすればするほどコントロールできなくなるという真実。

限りある時間の使い方

この本を読んで、未来のことばかりに備えすぎて、今を生きなくなることへの危機感を感じます。

みんな何らかの現実を直視するのが怖くて、それを避けるために生産性やタイムマネジメントにしがみついているのではないか

限りある時間の使い方

まさにその通り。
過度に将来を心配して、目の前をことを少し蔑ろにしている感覚はあります。
将来、年金がもらえなくなるかもとか、働けなくなるかもとか不安というものは常に考えれば考えるほど沢山あるわけです。
なのにそれら自身でコントロールできないことをコントロールしようとしてしまう。
何とも自分というのは厄介です。

忙しさも先延ばしも、結局は怖いことから目をそらすための方便だ。ニーチェは次のように言う。
「我々は生活に必要な以上に熱心に、夢中で日々の仕事に取り組んでいる。立ち止まって考える暇ができては困るからだ。世の中がこれほど忙しいのは、誰もが自分自身から逃避しているためである」

限りある時間の使い方

ついつい忙しいという言い訳を作って色んなことを先延ばしにしてしまうのも現実逃避ということなのかもしれません。
忙しいと言っていればある種考えなくても良いので実は楽しているとも言えるかもしれません。

すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要だったのだ。

限りある時間の使い方

やれる方法を考えることも大切だけど、できないということを認める潔さ。
諦めという感覚も必要なのかもしれません。諦めと言っても、ネガティブというよりかは受け入れる肯定する感覚に近い。

 「諦める」という言葉は、現在では、「自分の願望が叶わず仕方がないと断念する」というネガティブな意味で使われています。この言葉の語源は「明らむ」、つまり、「つまびらかにする、明らかにする」ことだと考えられています。また、「諦」は仏教で「真理、道理」の意味があるそうです。本来「諦める」とは、「真理、道理を明らかにする過程で、自分の願望が達成できそうにない理由が分かり、納得してそれへの思いを断ち切る」というポジティブなものなのです。何かを「諦める」ために大切なことは、そこに至るまでのプロセスであると私は思っています。

https://www.hiroshima-u.ac.jp/bungaku/izanai/izanai_shigematsu_eri

人間は万能な存在でもないし、完璧でもないということを受け入れる。
うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。
コントロールできることなんてほとんどないという感じで過ごしても良いのかもしれない。

私自身も楽になりたいと思って投資をしているが、これも一種の現実逃避とも言えるかもしれません。
投資という行為自体も好きなので、何が正解かは分かりませんが。
もう少し今を中心に生きたいとは思います。
有限な時間の中でどう自分自身が生きるかということは考えても良いテーマなのかもしれません。
そういう意味でも目の前のことを一生懸命に生きるのも良いし、全力でダラダラしても良い。
全部やることはできないからこそ、自分の決断を大事にする。

まずは大事だと思うことを始める。他の何だか大事そうなことは手放す。

先のことを心配してもしなくても、計画通りにはいかないし、確実なことはない。ちょっと乱暴かもしれないけど、そういう受け入れる器を広げていきたいなと感じたそんな1冊でした。

実は読むの2回目だったんですが、1回目より肚落ちしたのは、ある種の比較を手放せたからかもしれない。
完全にではないけど、他者と比較して仕事がどうだとか、資産がどうだとか、そういうコントロールできないものから少し離れたことも一因なのかも。

限りある人生でできることはほんのわずかかもしれないですが、そのわずかを楽しめたらそれでいいのかもしれません。

詳しくは本書を読んでみてください。




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