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組織を守るか・個人を守るか

児童福祉の施設で生じる葛藤。

そのひとつに意見のくい違いというものがあります。

あまり経験したことのない事例や、時間や労力を要するとわかっている事例、どこまで関わるのか。

この辺りは、特に意見の食い違うところかと思います。

今日は、施設に勤める友人が、自分がここは対応した方がいいのではと思うことであっても、即行動を起こすことは組織としてとても難しい、という話をしてくれました。

組織として、職員が皆同じ方向を向いていくために、何か新しいことをしようとしたときには、100人ほどいる福祉法人の全体会議にかけるそうです。

そのような会議の体制が確立していて、柔軟に検討を行えることは素晴らしいことだと思いました。

でも、ちょっと疑問も感じました。

何のために同じ方向を向いていくのでしょうか。

組織の職員が、皆同じ意識や理念を持ってやっていくことはとても大切だと思う。

けれども、そこがあまりに強調され続けているような気がしたので、こんな風に聞いちゃいました。

組織の一体感って何のため?子ども達に関して、少し逸脱してでも対応しなくちゃならないことって、あると思う。そういうイレギュラーが発生しても体制が揺るがないように、土台を盤石にするための一体化では。あまり、一体感が重視されると、それが目的となって、必要な対応を「行わない」ということも、発生してしまうってことはないのかな。

こんな風に感じるのは、管轄外だとか、時間外だとか、前例がないだとかっていう理由で対応されずに、家庭が専門職の手を借りたい部分まで、なんとかかんとか対応している。そして、それが続いていく。そういう場面や家庭をたくさん見ているからです。

もし、組織というバックアップのある人達が、知恵や力を貸してくれたら、そういうサポートが受けられる、ここに行けば知恵を貸してもらえるかも知れない、そう思えるだけで状況が変化する事例もある。そう思うからです。

もちろん、この理由も付け加えつつ話しました。

少なくとも社会福祉法人は、そこに来た人だけではなく、そこに辿り着けない人たちにも目を向ける必要がある。そう答えてくれたのが救いでした。

組織の中にいることは、個人としての生活や地位の安定化を助けるし、その安定感がより良い支援につながると思う。

でも、組織の人であると同時に、福祉に関わる人であって、福祉を欲している人って、線で囲えるものではない。そう考えると、組織も常に成長していくという気持ちが大事なんだと思う。

とっても偉そうなことを言ってしまったのだけど、複数の機関に関わってみて、やっぱり人はどこかで優越感を持っていたい動物なのかなぁ、支援職も人間であって、葛藤しながらやってるんだよな・・・と考えたりする。


家庭では、お金がないわけではなくても、将来のことが不安だったり、育児頑張ってないわけじゃないけど、子育てが上手くいかなかったり、頑張ってるのに結果が出ないことだって、いっぱいある。

そういうことが続いて、吹っ切れる材料もない。そうこうするうちに、気づいたら、自分(母親)が調子を崩して病院へ行ってます。そういうことだって、山ほどある。

障害でも病気でもない段階のお悩み。そこに対応できるような場所が、もっともっと必要なのでしょうね。

従来ならば、ご近所さんや子育て仲間で共有できたようなことかもしれないけれど、家庭とか子育て仲間といった、かなり生活に密着した集団の中にも競争意識が持ち込まれています。

今、価値の考え方が変わろうとしているというけれども、組織となった時には、過去に結果が出ているやり方が選ばれやすいです。

それでは対応しきれない事例を、バッサリ切るのではなくて、そこをどうするかを、う~んう~んと悩みながら何かを生み出していくような、そんな組織がいいな。

政府もそういう支援が必要だとわかって来ています。だから、子育て支援の拠点をつくるようにいったり、引きこもり支援センターを作らせたりしています。でも、実態はまだまだ。

私としては、まず、しっかり当事者の声を聴いて欲しい。愚痴レベルでもいい。それを広く聞いて、それに対応している人たちの話も聞いて、そして施策をつくって欲しい。

その友人とは、ありがたいことに、支援者と当事者、両方の気持ちを交えて語り合いができる関係です。子どももそうだけれど、もっともっと保護者のサポートが必要じゃないかって、この点が同じ想い。なので、いつも刺激し合って、励ましあって、お互い勉強を頑張っております。







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教育コーディネーターぽりごん
ひとり一人に合った教育環境の実現を目指します。