なぜこんなに怒りをぶつけ合うようなコミュニケーションが多いのだろう。ぶつけ合い以外の多くは傍観。見てみぬふり。そうする理由は、自分はその話題に関与してないから。こういうことを子どもを守る立場の人達がやってる。 そんな大人にイジメはダメと言われても、子どもは絵空事だと見抜くわ。
ジェンダーや子どもの権利について、本に書き記しておくことは重要だけれど、それをわかるように伝えることが何よりも必要。専門家や支援者は正論を極め、現場との乖離が進むから。代弁者や仲介者を育てて、立場を超えて歩み寄りあうことが得策なのではないか。
「あの人もこう言った」と人の言葉を盾にして優位に立とうとする発言。言葉の内容よりも、その醜い姿勢にがっかりする。子どもを守る立場の方が本当に安全かどうかわからないシェルターに身を隠し、ビクビクしながら活動している現状。自分が感じてるのは怒りか思ったら、その元には落胆があった。
リーダーに期待しすぎ現象。苦言も必要だが潰すのはイジメ。選んでおいて裏切られたとか知ったこっちゃない。討論議論対話って選択肢はないの?切り取りに反応しての撃ち合い時間の無駄。AIをリーダーにしたってプロトコルどうする?ってなる。結局は人間性と志、それを見抜く感性じゃない?