「美しい言葉」っていうのはなにも「伝統の中にある言葉」のことだけをさすのではない,僕の中にある言葉の採用基準は:その言葉が持っている普遍性——つまり.時代や国境,価値観,の違いを越えても通じやすいかどうか #振り返りnote 6月10日〜6月16日
毎週土曜日恒例の #振り返りnote の企画です。今週は、6月10日〜16日のあいだに投稿した過去記事をまとめました。
ちょうど1〜4年前の今の時期に自分がなにを考えて、なにを行動していたのか。そんなことを振り返るための時間が少しくらいあってもいいと思う。
2022年6月10日 自分はやっぱり演出することが好きなんだなと再確認する。というか、
油断すると生来の神経質さを発揮してしまうので、稽古中はいっさい油断せずに油断すること(神経質にならないようにすること)に努めている。他者(人や天気や時間や締め切り、気分やコンタクトレンズのごろつき具合)に委ねるっていうのが僕の生きかた。自分でちゃんとしようとするのではなくて、他者をちゃんと観る。この場合、僕はAIみたいな存在でちょうどいい。
2022年6月11日 思考停止するような雨に降られながら都市開発について考える夜
「下町」と言われていた場所が次々に再開発される一方で、すでに開発済みの地域は建築物やインフラが少しずつ老朽化していく。そうやって街と街の役割が、緩やかに入れ替わっていくのだ。
確かに都市開発のトレンドみたいなものはあるが、すべてが画一的になっているわけではない。もっと目を凝らす。そうすれば差異に触れられるはずだ。
2022年6月13日 光のエネルギーを身にまとう
いやー、本当に。ちょうど1、2年前くらいはハチャメチャな生活を送っていた。お酒を飲んでは意識をなくして、それなりに人に迷惑を掛けることも多々あった。けれどもそのおかげで、今の環境がある。僕は今の環境がわりと好きだ。だから、このような環境に身を置くようになったきっかけとしてのハチャメチャな期間に、僕はいくらか感謝をしている。いや、今も変わらず、ハチャメチャなんだけれども。
2022年6月14日 もっとメジャーなところで
「もっとメジャーなところで活躍しないと駄目ですよ」と昨日言われた。いったい誰に言われたのだろう。あんまり憶えていない。もしかしたら、僕が僕に対して、言った言葉かもしれない。自分が進むべき方向性に悩んでいた時期もあった。けれど、今はもうふっきれて、方向は自ずと定まった。ふっきれの原因は、生成AIの登場とそれによる社会の変容(未来予測)。方向性が定まったのは、仲間や友人たちが僕に掛けてくれた言葉の数々のおかげ。
2022年6月15日 作家は、なにを作っているのか。きっと、いつも「新しい美」を作っている。
「うつくしい言葉」っていうのはなにも「伝統のなかにある言葉(古くからつかわれている言葉)」だけのことをさすのではない。新しい美をつくるためには、作家は積極的に新しい言葉(スラングのようなもの)を採用して物語を編んでいくことも必要だ、と『斗起夫』を書いている頃の僕は確かに考えていた。しかし、今はそんなふうには考えない。もちろん、「伝統のなかにある言葉」だけをもちいる必要はないんだけど。僕のなかにある言葉の採用基準は、その言葉が持っている普遍性——つまり、時代や国境、価値観の違いを越えても通じやすいかどうか——に注目するようになった。これは、村上春樹からのポジティブな影響だと思う。
2020年6月16日 どうしてアートをやるのかを改めて考える 〜オラファー・エリアソン『ときに川は橋となる』を観て
僕は一度、自分の小説を舞台に載せようとしたのだけど、うまくいかなかった。それから、ある時点(『斗起夫 -2031年、東京、都市についての物語-』)まで「小説の作業」と「演劇の作業」は別個のものとして考えるようにしていた。
なのに、ある時点(『斗起夫』)で「小説の作業」と「演劇の作業」を融合することを再び試みることになる。どうして僕はもう一度融合を試みてみよう、って思ったんだろうか。決定的な理由を憶えていない。それが、今では、いったん小説を書いてから演劇をつくりはじめる、というプロセスが僕のなかで一般化しつつある。