【ラヴェル】〈水の戯れ〉と〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉について解説
少し疲れを感じるときにはクラシックを聴くようにしている。歌詞があったり、ロックンロールだったりすると気持ちがたかぶってしまうので、クラシックがちょうどいい。
なかでも最近はモーリス・ラヴェルを聴いています。
これまではフランシス・プーランクのみずみずしい楽曲にうっとりとしたり、バッハの平均律で心身を整えたりしていたのですが、ここにきてどういうわけかラヴェル。
とくに〈水の戯れ〉と〈なき王女のためのパヴァーヌ〉が好きで繰り返し聴いている。
〈水の戯れ〉の楽譜には、「水にくすぐられて笑う河神」と書かれている。これは、アンリ・ド・レニエの詩から引かれた一節だが、ラヴェルは見事にこの曲のなかでそれを体現している。
そのことは、〈水の戯れ〉の冒頭数秒を聴くだけでもよくわかると思う。
しかし〈水の戯れ〉が初演されたときには酷評された。耳障りが複雑過ぎる。フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンスは「まったくの不協和音」と悪評した。
〈水の戯れ〉は、〈なき王女のためのパヴァーヌ〉と比較して語られることが多い。では、〈なき王女のパヴァーヌ〉は満場一致で好評だったのかというと、じつはそうでもない。
多くの人々は〈なき王女のためのパヴァーヌ〉を好評したけれど、ラヴェルの同業者たちからの評価は散々だったし、ラヴェル自身もまたこの曲に対して「形式としてかなり貧弱なものだし、大胆さにも欠けるよね」と述べている。
けれども、晩年、この曲を聴いたラヴェルはこのように尋ねたらしい。「いい曲だね。これは誰の曲?」って。この頃ラヴェルはひどい失語症を患っていた。
〈なき王女のためのパヴァーヌ〉はアンドレ・ラプラントとフセイン・セルメットの演奏を聴き較べたけれど、アンドレ・ラプラントによるもののほうが演奏が明晰で好ましいと感じた。みなさんもよろしければ聴き較べてみてくださいな。
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