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斎藤ナミを知り、自分を見つめる

斎藤ナミ氏のエッセイが「笑い」と「共感」と「発見」が混じりあって最高だった。彼女は2023年note創作大賞エッセイ部門で賞を獲っているエッセイストだ。

誰しもが抱えている悩みやコンプレックス、欲求をユーモアを交えて赤裸々に語る作品たちは私にとって文学作品級の価値があった。

なにか嫌なことがあったり自分の気持ちにモヤモヤしたときは斎藤ナミの書いた作品を読んで、笑ったり頷いたり自分の中に落とし込んでいく作業をすることで自分を見つめる時間になっている。


そもそも「友達」ってなに?どこからが友達?共にお酒をたしなむ仲の人もいれば、一緒にゴルフをして共に汗を流す人もいる。彼らはみんな「友達」といえるだろう。

でも、たとえば、急に予定が空いてヨシッ飲みいくか!ってなっても気軽に誘える友達はいないし、若いときは合コンに誘ってくれる友達もいなかったし、気軽に連絡できる友達もいない。自分の悩みを打ち明ける友達なんて皆無。ってなると、一体どこからが友達なの?

たまに、「このまえ○○と電話したんだけど、仕事変えたらしいよ~」なんて話を聞くと、え?電話?用もなく??それが友達???みんな連絡取り合ってるの?俺にはそんな普段から連絡するような友達いないよ!

友達の友達はみんな友達!みたいな陽キャにはなれない。そもそも私はあまり友達という表現を使わない。同級生、同僚、知り合い、共通の趣味仲間、地元の連れ。じゃあ友達ってなに?一つわかったことは私は友達に対してのハードルが高い。友達というものに強い信頼関係が必要だと思っている。

「友達」という存在にここまで考えてしまうあたりが、周りの人を遠ざけて孤立してしまう原因なのだろう。

わかる~私は絶対に自分からは声を掛けない。声を掛けたところで「おう、買い物?」みたいなスーパーに来たんだから買い物に決まってるだろって自分にツッコミをいれたくなる質素な挨拶をする。話すことがない。言葉がでてこない。

一番困るのが野菜コーナーで相手が逆回りだったとき。気合で世間話をして「それじゃ、また」ってサヨナラしてからわずか30秒で遭遇。軽く会釈するのだがなんか気まずい。もう法律を作ってくれ。一度挨拶したら今日はシカトでいいと。

美容院が嫌い。苦手。なんてことのない爽やかな会話がウザい。「休みの日は何をしてるんですか?」なんて聞かれても休みなんかその日の気分でやること変わるし基本的になにもしない。予定がない。だけど、何もしないとか家でゴロゴロしてるとかいったら会話が終了してしまうため、年2,3回しか行かないけど「ゴルフいきますね!」なんて答える。そうすると爽やかオシャレ番長はハサミをチョキチョキしながら「いいですね!結構いかれるんですか?」と深ぼってくる。しまった、話を盛った。てか早く切れよ。と頭で思いながら会話をする。

それがしんどくて店を変える。新しい店では最初のアンケートの備考欄に「会話をしたくありません」と書く。これがプロのコミュ障。そして美容院が嫌い。

数年前まで「何者かになりたくて」全然仕事と関係ないプログラミングを勉強してみたり(1か月で挫折)ブログで一躍有名になって億万長者になってやると意気込み(ワードプレス開設して満足)数十万のビジネス講座を受けて独立してやろうと企んだけど(収益2000円で倦厭)すべてうまくいかなかった。もう自分は何者にもなれない「今のままで十分しあわせ」と言い聞かせた。

現に結婚をして子どもにも恵まれて仕事も順調マイホームもゲットし普通の暮らしができている。ときどき飲み会に参加してドンちゃん騒ぎしてこういう日常が俺には性に合っている。と思うけど、いざ、ひとりの時間をつくると無性に「このままでいいのか?」と自問自答しはじめる。

だけど、何をやっても続かない。今まで時間を忘れて夢中になったことなんてないし、自分には「何者かになる資格」なんてないんだと思っている。

それでも諦めきれない状態で31歳の冬が到来した。来年、来年こそは……、やっぱ「今のままでしあわせ」か。

なるほどなって思わせる作品。私も目の前の人を笑わせることに必死になることがある。ただ、その気持ちがどこから来るかまでは考えたことがなかった。昔から人を笑わせることに長けていた自負がある。お笑い芸人になればいいといわれたこともあるし、今でもお笑い芸人みたいといわれることがある。光栄だ。生きがいだ。エクスタシーだ。そう。最高に気持ちがいい。人が自分で笑ってくれるって気持ちがいいんだ。これは目の前の人の暗くなった心を明るくしてあげたいとかそんな優しさではなくただのエゴ。自己満。承認欲求なのだ。そんなことに気づかされた。



くそっ、横向きに生えた親知らずがいてーー。

こんなにも承認欲求丸出しの人を私は見たことがない。あっ、この人は自分を認めてほしいんだなって人はいても、それを口にする人はいない。彼女はそんな自分の欲求を堂々と口にし「愛されたい!」と切実に叫ぶ。きっと世の中のほとんどの人がそうに違いない。自分を認めてほしいから「ラーメン食った」だけを武器にSNSに放りだす。こんな自分をみてくれ。愛してくれと。どんな形であろうと人は認められたい。

もしかしたら、日本にもっと幸福をもたらすものがあるとするならば、欲求を全面に出してその欲を周りが承認し合う世界なのかもしれない。私も認められたいし認めたいと思った。


斎藤ナミ。最高。


以上。終わり。


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