怒りをアートに
先日とてつもなく人に対して怒りを感じ、
かなり自分の中でマグマが噴火するような感覚があった。
「過去と他人は変えられない」とよく言われるように、他人に注意をすることは出来てもそれを受け入れるのはその人自身の問題であったりする。
他人をコントロールする権限は誰にもない。
じゃあ、この行き場の無い怒りをどうすれば…
最初はノートに「殺したる〜!」とか筆ペンで大きく「うざっ!」て書いていた。
そしてその後は色鉛筆を子供のようにグーで持って何も考えずに描き殴る。
それでも満たされない…この想い…
その時ふと、とある動画が私の頭を過ぎった。
男くさい歌を作る奥田民生を、女に性転換して女の汗をかく大変さも代弁してよ!という心の叫びの歌。
この歌が伝えたいのは摩訶不思議な世界観だけではない。
表現の自由だ!!
表現をしよう。
自由でいいのだ。この動画のように
その結果できたものがこちら。
怒りを具現化した仮面。
感情に向き合っていると、
感情というものは決して自分を不快なものにする存在ではなく、神聖な存在なのかもしれないという境地に行き着いた。
感情を殺したり、否定をする必要は無い。
そんな事をするからまた爆発をするのだ。
押し殺すのではなく、生かす。
この仮面を着けて撮影ししばらく1人で踊っていた。
神聖な心地だ。
湧いてくる感情。それは「内なる神」でもある。
無下に扱うと必ず自分自身との繋がりが切れて心が病むのだろう。
だから自分の感情を「内なる神」と称えて、
祭り、感謝した。
ここの解釈は人によりけりかもしれないが、
とにかく「感情に任せて何かを創作するという行為」はオススメである。
感情は人生を豊かにするが、時にはコントロールできないまでに昂り、人や物を傷つけてしまう可能性がある。
その衝動を創作に使えば、健全に発散されながらも癒しとなってくれるのだ。
その創作は下手とか上手いとか、得意とか不得意とかは関係ない。
今しか味わえないこの昂りをそのままに具現化する。
子供の絵のように。
そしてそれをSNSにアップしたりできる人はしてみると、途端に楽しかった思い出に変わる。
あの日のあの出来事が無ければ生まれなかった芸術だ。
不思議とそこに産まれるのは、「感謝」だった。
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