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地元に帰って毒親の世代間連鎖を実感した

何年か前に、地元に帰りたくない理由という文章を書いた。うまくいかなかった家族関係、閉塞的な人間関係、いじめの記憶、から逃れたく、東京にでて働き、きついことも多かったが、地元に帰りたくない気持ちをバネに仕事を頑張ってきた。
しかし、出産を経て、鬱状態になり、仕事と育児の両立や夫との関係につまずき、休職するも、夜遅くまで寝ない子ども、日頃保育園の送り迎え以外にはほとんど誰とも口をきかないワンオペ育児状態に心身が疲れてしまい、ふと「地元に帰りたい。さすがの親も孫には優しいし、ほとんどなにもしない夫よりも戦力になるだろう。地元の友達にも会って色々話したい…」という気持ちがわいてきて、お盆期間に2週間帰省をすることにしたのだった。(いま思うと長かった)

帰省期間に両親と過ごすにあたって気を付けていたのは、大きく以下3点である。

①自分からは近況などあまり話さず相手から聞かれたことに簡潔に応えるようにすること
→うっかり自分のことを話しすぎてしまうと両親から何を言われるか分からない。
精神的にダメージを負っている今は、親の批判的なコメントで余計に傷つきたくないため。

②両親がお互いの悪口を私に聞かせてくることが昔からよくあるのだが、その話しに共感せず、あー、などと聞き流すようにする
→共感すると悪口がエスカレートして、私のストレスがたまってしまうため。

③少しでも嫌な行動や嫌なことをされたらその場で嫌だ、と伝える。
→例え相手にひびいていなくても(言い返されたり不機嫌になられることが大半だが)、自分の心はスッキリして自尊心が高まる。

自分なりに注意をして過ごしていたためか一週間ほどは平和に過ごせていた。

しかし、私は自ら均衡を崩してしまった。
育児をしている中で、自分の幼少期について思い出すことも多く、母親に聞いてみたいことがあったので、それを質問したところ、彼女を激昂させることになったのだが、私のなかで大きな発見もあったので、ここに記載しておきたい。

私はとある西日本の田舎出身なのだが、特に小学校低学年までは、本当に村のようなところに住んでいた。
近所を野犬がうろついており、時たま保健所の職員が駆除をしにくるというような、よく本当にそれ日本?というような場所だ。
近くに小学校はあったものの、親の希望で小学校受験をし、市内の小学校に通っていたため、一人で早朝に起床し、野犬に追いかけられ泣きながら、バス停にいき、バスを乗り換え1時間近くかけて通学していた。
それで学校が楽しかったらよいのだが、小学校2年生の間は物を盗まれて、便器に捨てられるといういじめを毎日のように受けていたので感情がなくなり、学校が終わるとまた1時間近くかけて帰宅するという毎日だった。
母親は専業主婦だったのだが、なぜか帰宅しても家にいないことが多く、私は小学校1年生から家の鍵を持たされて学校にいっていた。
きちんと鍵を持って出た日はよいのだが、鍵をランドセルに入れ忘れた日は悲惨だった。
外でじっとうずくまっても母親が帰ってこず、暇潰しに教科書を読むのだが、それも読み終わってしまい、庭の砂を掘って遊んだりもするのだが、それにも飽き、空が青かったのがだんだん夕暮れに染まっていくのをジーッとみていた。
トイレを我慢できず、おしっこを漏らしてしまうことも何度かあった。

今まではこの生活に対して普通のこととしてなんの疑問ももっていなかったが、子育てをしているなかで、もしかしてあれはおかしいのではないか?という疑問がわいてきたのだった。
そもそもいじめに対して「あなたはなにも気にしてなかったわよ~」と対処してもらえず、帰宅してからも鍵っ子として放置されていたことのおかしさに、中年になって改めて気付いたのだ。

薄々気づいてはいたのだが、母親は毎日遠方のお気に入りのスーパー(近所にもスーパーはある)に車で往復1時間以上かけて通っていたようだ。さらに、買い物にも1時間以上かかるので、夕食の毎日の買い物に2時間以上(調理にも1時間かかるので夕食の準備に計3時間以上…)かけていたことになる。その買い物に夕方にでかけるので、毎日母親がいなかったというわけだ。
(ちなみに今でもほぼ毎日そのスーパーに通っているようだ。)

平静を装い、この話を母親に持ちかけたところ、もちろん「さみしかったよねー、ごめんね」という返事は期待できないことは分かってはいたが、
「そんな昔の話はもう聞きたくない!!」と怒りだしたのにはおどろいてしまった。
さらに「私の方が辛かった。あなたは恵まれている!!」というようなことを言っていた。母によると以下の通りだ。
何度が聞いたことはあったが、母の母(私の祖母)はバリキャリウーマンで、仕事ばかりしており、育児はほぼ母の祖母に任しっぱなしだったらしい。母は、祖母(母の)から全く可愛がられず、平手打ちをされ、毎日泣きながら暮らしていた。その嫌な思い出のつまった実家をハイスペ男との見合い結婚で出ることができ、清清したものの今度は夫(私の父)がモラハラでひどいことを沢山され、親戚付き合いもしんどく、誰にも話を聞いてもらえず、一人でずっと耐えてきたのだ!!!そのせいで体調も悪くなったということを勢いよくしゃべっていた。

この話を聞き、母に対してあきらめがつき、スッキリした気がする。
今まで、なぜか母親が急に不機嫌になったり、悩みを相談してもまともに受け取られなかったり、私をからかったり軽い意地悪を言ってきたりすることに対して、「自分は愛されていないからだ」「自分が悪いから愛されないんだ」という思いがあった。
また、「あんたが医者になって開業するのが、私の夢」「ピアノがうまい女の子を育てるのが私の夢」等と私の適正や趣味嗜好を全く無視した過度な期待をかしてくる母親に「期待に応えられないダメな自分」という罪悪感が常にあり、よい大学に入ろうが、大企業に就職しようが、その罪悪感は根本的に消えていなかった気がする。
しかし、もうふっきれた。
母親は自分が子ども時代愛されてなくて、未熟だから、自分の問題を解決することで精一杯でこどもの心を汲むことができなかったのだ。また、自分の劣等感を克服するために、子どもにしがみつき、子どもの成果で自分の劣等感をはらすしかなかったのだ。
あれが母親の精一杯の育児だったのだ。
私が悪かったのではないのだ。
そう腹に落ちた。自分は悪くなかった!そう思うと胸がスーッとするようだった。
また、母親に対しては、精神的に不安定ななか毎日食事を作ってくれていただけでもありがたいなぁと言う気持ちもわいてきたのだった。

一方で、よく聞くように毒親ってやはり世代間連鎖するのだ、と絶望的な気持ちにもなった。おそらく、ずーっと昔から先祖代々この連鎖は続いているのだろう。

母親は、自分の母親(私の祖母)に対して、亡くなる前に幼少期の不満を言いまくったらしい。その事を後悔しているようにも見えた。「あんたが色々言うせいで私も思い出した!!昔のことは忘れるしかないんだ!私は親に感謝しているのよ!」と言っていたが、私は忘れないし、忘れたくない。
忘れないまま戦って、世代間の連鎖を断ち切る、ということが人生をかけて取り組むテーマだなと思っている。



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