見出し画像

育児で気づいた世界の重なりについて

うちの娘は大変な虫好きである。
私達が住んでいるのは、自然いっぱい!の田舎ではないが、街路樹のあるところや、歩道の脇にあるちょっとした植え込みなどの虫スポットでダンゴムシやありやミミズや青虫や謎の虫を見つけては、触って楽しむのが日課である。
ある日は、芝生のある公園でバッタをみつけた。近くにいた5歳くらいの男の子が素手でつかまえたのをみて、真似してすぐに素手でバッタを捕まえる娘。
男の子から一匹バッタをもらい、両手に花ならぬ両手にバッタをもってニコニコ顔である。
そんな街にもバッタいたのか~。と思った。この街に5年間住んでいたが、バッタがいるということを知らなかった。
適応障害で仕事を休むことになってしまい、育児と家事だけの毎日、最寄り駅から出ることもなく、転勤や出張で全国を飛び回り毎夜飲み歩いていた独身時代に比べ、世界が急速に狭まってしまったように感じ塞ぎこんでいた。

しかし、私は自分の住んでいる街にバッタがいることすら知らなかった。
バッタもいるし、ダンゴムシもミミズもいるし、もっと小さい微生物も土にいるんだよなと思った。
大袈裟ないい方になるが、自分が生きている狭い現実以外にも、同じ場所に無限に広がる別の世界の階層があることに気づいたというか。
小学生の夏休みに、早起きして庭に水やりをし、そのあとは地面の蟻をずっと観察してミクロな世界に入り込んでいたことも、ふと思い出した。ふと顔を上げるといつもの世界に戻るのだが、不思議と清々しい気持ちだった。

鬱状態というのは、自分の視野が異常に狭くなっている状態かと思う。意識が外に向いていない。周りがほとんど見えていない。
しかし、私が内にこもって鬱を感じている、同じ時間、同じ場所にも色んな世界が重なりあっている。例え海外に行けなくても、世界は広い、そんなことを思った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?