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グリッサンド・柳生一族の陰謀



 映画を見終えると、わたしはソファに座りなおし、しばらくのあいだ、その余韻にひたっていた。
 
 それからこの映画について、めずらしく誰かに話したくなった。だが、あいにく四十も半ばになるわたしには、そういう友達がいなかった。だから、過去のわたしへ、それを語ることにした。つまり、東京に出てきたばかりの頃の、二十歳のわたしへと。
 
 
『 なあ、きみに是非とも見て欲しい映画があるんだ。
 
 それは、「柳生一族の陰謀」。
 
 監督は深作欣二。たぶん、きみは知らない。だってまだ、バトルロワイアルすら見てないんだから。
 
 ストーリーは、徳川三代将軍を巡る、兄弟の骨肉の争いだ。そう、いわゆる時代劇ってやつだ。そんな怪訝そうな顔をするな。まずは、わたしの話しをきいて。
 
 この映画の偉大さは、その素晴らしい役者たちが担っている。
 
 圧倒的な存在感を放つ、萬屋錦之介。それから殺陣の鬼、千葉真一。曲者の匂いをまき散らす、成田三樹夫など、それぞれが、完璧にその役に嵌っている。
 
 公開は1978年。当時、東映は会社の威信を賭けて、この映画を制作したそうだ。
 
 どうしてわたしがこんな話しをするかといえば、二十歳のきみが、この映画を見てどう思うのか、とても気になるからなんだ。つまり、この映画はきみにとって、おもしろいのか、おもしろくないのか。
 
 だから今夜、甲州街道沿いのレンタルビデオ屋で、この「柳生一族の陰謀」を借りてほしいんだ。品数の少ないあそこの店にだって、きっと置いてある。それくらい名作だ。なんだったら、店主のおやじにきいてみたらいい。
 
 信じられないかもしれないが、今じゃYouTubeでタダで見れる時代だ。だが、きみの時代にはそうはいかない。狭い店内を、ぐるぐると時間をかけて探し回らなければ。ずらりと並んだタイトルから、その一つに手をのばし、裏返す。それを繰り返したあと、ようやく決心して、レジへと向かう。しかし、今思えば、それも一種の神聖な儀式だったのかもしれない。つまり、映画を楽しむための下準備として。
 
 いいかい、目移りして、洋画なんて借りちゃいけないよ。とりわけ、ジム・ジャームッシュや、アキ・カウリスマキなんていうのは。
 
 きみの言いたいことはよくわかるさ。時代劇なんて、退屈だって言うんだろう?
 
 つまりは、ぼくが気になるのはそこなんだ。
 どうして若者は時代劇が退屈だと感じ、老人は時代劇を好むのか。
 
 
 きみのじいさんだって、そうだった。テレビをつければ水戸黄門。幼い頃、きみだってそれを横目で眺めていたじゃないか。そして、こう思っていたはずだ。いったいこれの、どこがおもしろいのだろう、と。
 
 時代劇というのは、子供にとっては、いわば退屈で、しみったれたものだった。それは祖父の家の納屋のにおいや、床の間に飾られたの日本人形と、地続きにつながっているものだった。ブラウン管の中の、はばったい着物や、真っ白いおしろいは、なんだかじめじめと湿り気を帯び、古い箪笥の防虫剤のつんとしたにおいまでもが、漂ってくるようだった。
 
 それよりも子供は、西洋のものに憧れた。いわば、キリスト教的な純潔さと、さらりとした、しゃぼんの香りだ。
 
 それは、完全なるイメージの世界だった。しかし子供というのは、イメージの世界に属している。妖精やサンタクロースも、その一部だ。
 
 しかしそれ自体、既につくられたイメージだった。先人たち、いわば北原白秋や宮沢賢治、そういう明治、大正のおとなたちが憧れた西洋の「メルヘン」を、昭和に生まれたわたしたち子供でさえ、踏襲していたのだ。やがてそれは、現代のおとなたちによって、剣と魔法、ファンタジーの世界へと昇華され、一種日本特有の西洋観をかたち作っていた。
 
 しかし、地面から足を離し、夢想の世界へと羽ばたかせるには、それで充分だった。子供にとって西洋とは、その場所からの解放を意味し、さらに肌ざわりがよく、眩しかった。つまりそれは、「憧れ」という幻想がつくりだした、もうひとつの世界だったのだ。
 
 それに比べて史実をもとにした時代劇は、自分をこの土地へと縛り付け、さらに現実を目の当たりにさせた。それは、土臭い田畑を思い起こさせ、古くからの因習や、言葉遣い、さらには上下関係までをも、はっきりと目の前に提示した。つまり、殿様と農民。武士と町人。それぞれの階級にはそれぞれの言語があり、その間には高い壁がそびえるかのように、いつだって断絶されていた。農民はいつまでも農民で、殿様はいつまでも殿様だった。
 
 ようするに、幼いころのわたしにとって、時代劇とはそういうものだったのだ。きみだって、それに賛同するはずだ。
 
 だが、長い年月を経て、いつしか時代劇がおもしろく感じるようになるのは、いったいどういうからくりなのか。
 
 
 そのことについて考えると、わたしはグレン・グールドの次の言葉を思い浮かべずにはいられない。
 
「聞くものに、この世のことを忘れさせてくれない音楽は、それができる音楽より本質的に劣っていると私は思う。」
 
 素晴らしい音楽に身を任せるとき、きみはアパートの家賃や、ガスの請求書のことなんて、すっかり忘れているはずだ。

 この言葉は、音楽という枠を飛び越えて、芸術全般、あるいは、あらゆる創作物に当てはまる。
 
 つまり、わたしが言いたいのは、ひとはいつだって何かに心奪われ、この世のことを忘れさせてほしいのだ。
 
 そのためにYoutubeやNETFLIXを見て、ヘッドフォンで音楽を聴き、コントローラーを握り、読みかけの本を開いて、再びページをめくるのだ。
 
 それには、今いる場所からできるだけ遠くへと行かなければいけない。

 その最果てが、かつてわたしにとっては西洋だったのだ。だからこそバイトの休憩時間には空を見上げ、カミュの「異邦人」を読み、今日、ママンは死んだのだ。

 しかし、それは単なる距離の問題であり、いつしかそれは、時間の問題へと切りかわっていった。

 つまり、ある時期から次第に、わたしから一番かけ離れたものは、自らの子供時代となっていったのだ。それは重力から解き放たれたかのように、ゆっくりと、だが着実に遠ざかってゆく。だんだんと薄れゆくその姿を、わたしはただ黙って眺める他ないが、やがてどこかで慈しむようになり、脳裏に留めようと努め始める。するとそこにはかつての父や祖父がいて、いつかきいた戦争の話しや、やがてその背後に連なる日本文化へと連なってゆく。
 
 そのとき、置かれていたポイントが、西洋から東洋へとぐるりに移動し、まるで鍵盤の上を端から端へ駆けるピアニストの指のように、グリッサンドが奏でられ、わたしは知らぬ間に、いつしか足元の地面を掘り始めていたのだ。あの子供時代の浮遊とは対照的に。

 すると、すでに古典へとなりはじめたかの時代劇は、新鮮さを伴ってわたしの目に映っていた。かつては古臭いと感じた着物は、強烈な鮮やかを放ち、日本家屋の格子状の障子や、板の間に立ち並ぶ柱は、画面上にえもいえぬ構図をつくりだしていた。それぞれの諸大名たちの思惑や、じりじりとした駆け引き、そして刀の鋭さに依って、最後には全てをぶった切る痛快さ。

 それらがすべて、わたしの心をふるわせ、この世のことを忘れさせてくれるものへと、成り代わっていた。
 
 つまりは、歳をとると、時代劇をおもしろく感じるというのは、そういうことなのかもしれない。


 
 二十歳のきみに、こんな話しをしたって退屈だろう。

 だからまずきみは、レンタルビデオ屋から出たら、吉野家で牛丼を食べ、帰り道のファミマでポップコーンとコーラを買って、まっすぐ家へと帰るんだ。そして「柳生一族の陰謀」を見てほしい。

 寝てはいけないよ。

 そして、それが終わってから、必ず感想を伝えてくれ。
 

 きっと明日の朝も、早いだろうけど。』





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