もう夜があける。 朝はまぢかい。 夜あけの寒さはきびしいから。 なぎさの花も凍るのだ。 及川 均 「夜の機関車」より バスから降りると、革靴が雪にすっぽりと埋まった。襟を立て、傘を開いてから、私は国道沿いを歩きはじめた。大粒の雪が、静かに舞っていた。頭上では傘の表面を、牡丹雪がさらさらと、乾いた音を立てて滑り落ちていった。道路の向かいにはガソリンスタンドと、パチンコ屋が並んでいる。その屋上では七色の王冠のネ
ちかごろ、クラスのみんなが、ヨシュアくんのことを「神童」なんて呼びはじめた。 まったく、あいつらはなんもわかっちゃいないんだ。 ほんとうの神童ってのは、しげおくんのことを言うんだ。 まるで次元が違うんだ。しげおくんは。 ヨシュアくんが、どれだけサッカーがうまくたって、どれだけ難しい数式を解いたって、それは、ぼくたちの中で、多少優秀なだけであって、しょせんは大勢の人たちのうちの、一人にすぎないんだ。 神童ってのは、そんなもんじゃない。 神童ってのは、圧
それは一枚の古写真のように、ぼやけて、かすみ、それから郷愁を感じさせる。 つまり、ヴラド・ペルルミュテールの1955年に録音されたラヴェルのピアノ演奏は、郷愁なのである。 どこで見たのだろうか。その白黒写真を。押し入れの奥にしまいこまれていたアルバムか。あるいは古道具屋の小箱のなかか。いずれにせよ、そこに写る人物を眺めながら、ふとこう感じたことを覚えている。 「むかしのひとって、綺麗だなぁ。」 と。 しばしば、古い肖像写真がみせる、あの不可思議な魅力と
柳野沢行き 10:05 12:15 15:45 時刻表に載っているのは、それだけだった。 ぼくは、またベンチへ腰かけた。バスはまだ、しばらく来ない。隣で彼女は、音楽に没頭している。両耳に、イヤホンで栓をして。目の前は、海のように田畑が広がり、その上へぼたん雪が落ちていった。背後は竹藪で、このバス停だけがなぜか、世界から一番離れているようだった。 「つか、天才」 彼女はぽつりとそう呟いた。そうして頭を傾けて、長い爪の先で器用にイヤホンを押さえつけた。その爪に
ひとは、どうして大事なことほど言わないのか。 それなのに、どうでもいいことばかり。天気のことや、ドラマのこと。夕飯のことや、サッカーのこと。私の母も、そうだった。母は、いつもどうでもいいことばかりを話していた。主語がないから、子供たちからいつも注意されていた。そうして、肝心なことはなにひとつ言わずに、この世を去ってしまった。 母の父、つまり私の祖父は、私の生まれる前に亡くなっていた。だから私は、祖父のことを何も知らない。ただ、国語の教師をしていたということくらいしか
波が跳ねる。浜辺を虚ろに、そしてけだるく。飛沫を上げて、うねりながら。飛び散った水泡が光を受けてきらめき、そして消えてゆく。そしてまた、そしてまた、波がやってきては返してゆく。時に雄々しく、ときにしおらしく。飽きもせずに。膨らんだ海の向こう側へと。水面の底に淡い紺碧をたたえた、地平線へと。さざなみを立てながら。大勢の同胞の元へと。群れた青の中へ。 とぐろを巻いて波が岸辺へと押し寄せる。それにつられて陽光までもが空中を踊り狂っている。陽気に、軽やかに。熱は水と混じり合い、刹那
ライナーノーツ それはCDのケースにさしこまれた小冊子で、主役である音楽を引き立てるためのいわば添え物である。なかには読まないで放っておくひともいることでしょう。 それは実に不思議なものです。目に見えぬ音楽を封じ込めたものがCDであるなら、それをさらに言語化しようと努めるのがライナーノーツといえよう。まるで、翻訳のさらに翻訳といったような。 その多くが、作曲家や曲目の解説に費やされますが、なかにはひとつの読み物として耐え、さらにはそれを超え、名著の輝きを放つもの
誰にでも、昼休みは 等しく訪れる。 新卒から、社長まで。 わが社のばあい、 それは、一時間である。 かの有名なバッハの鍵盤作品に、 「ゴルドベルグ変奏曲」がある。 それはアリアからはじまり、 三十の変奏曲を経て 再び、アリアで終わる。 昼ごはんを、 社内で食べるひともいれば、 外へ出るひともいる。 ドトールへゆくひとも、 はなまるうどんへゆくひとも。 そして、彼らはみな一様に、 残り時間を確かめる。 その変奏曲は、美しい弧を描き、 輪を閉じる。 間に挟ま
映画を見終えると、わたしはソファに座りなおし、しばらくのあいだ、その余韻にひたっていた。 それからこの映画について、めずらしく誰かに話したくなった。だが、あいにく四十も半ばになるわたしには、そういう友達がいなかった。だから、過去のわたしへ、それを語ることにした。つまり、東京に出てきたばかりの頃の、二十歳のわたしへと。 『 なあ、きみに是非とも見て欲しい映画があるんだ。 それは、「柳生一族の陰謀」。 監督は深作欣二。たぶん、きみは知らない。だってまだ
また今日も 嗚呼、と ため息こぼれ。 手にはエコバッグ 中には猫砂と 一升瓶。 家路を急ぐ人々と、 夕陽に染まる 駅前の北口商店街。 買い忘れた牛乳と、 目の前の家路が、 ミサイルで瓦礫と化すのを、 ぼんやりと想像していた。 それが、もはや あり得ないなんて 誰にいえる? このかた、世の中が、 良くなったためしなんてない。 マスクで顔を覆うようになって、 はや何年目か。 生まれたときから不景気で、 カップヌードルの値上げは つい最近
それは、夕暮れ時だった。 かばんを握りしめると、わたしは注意深く、ホームへと降りた。 西荻窪駅の改札を抜けると、人々は放射状に散っていった。人波にもまれつつ、北へと向けて歩き始めた。家路を急ぐ人と、駅へ向かう人が複雑に交差し、その間をバスが縫うように、ゆっくりと走り去っていった。陽は沈みかけていた。夜はもうすぐそこにあって、頭上には宵の明星が瞬き始めていた。ポケットから手袋を取り出して両手にはめると、それをまたポケットへ突っ込んで、小さく息を吐いた。すぐそばでは、エ
雪が降れば、スーパーファミコンであった。 それは、洋間にあった。 日曜の朝九時、カーテンを開けると、雪に反射する朝日が目に刺さった。 洋間は板の間だったから、足がかじかんだ。まずはファンヒーターのスイッチを入れる。それから電気コタツ。テレビをつけると、ちょうど「題名のない音楽会」が始まるところだった。 両親は居間でワイドショーを見ているし、二つ上の兄は、まだ自分の部屋で寝ている。この雪で部活は休みだし、宿題は後回しでいい。私はテレビ台の下に乱雑に置かれたスーパーファミコ
斉藤和義の「歌うたいのバラッド」を知ったのは、カウントダウンTVのエンディングでだった。 それからぼくは自転車をこいで一時間かけて、町のレンタルCDショップへと向かった。それは国道沿いに建つ大型書店の二階にあり、ゲームショップに併設されていた。まだツタヤができる前だった。 残念ながら、「歌うたいのバラッド」はなかった。きっとまだ、シングルが発売されて間もないからだろう。そう思って、翌週も行ってみた。しかし、なかった。その翌週も。 中学校三年生のときだった。まだ携帯電話が
再会 ムラサキ。 昔から、ムラサキには目がない。ラベンダー、グレープ、アメジスト。 「久しぶり。何年ぶりだろう。」 その店のカクテルの色もムラサキだった。 「高校を卒業してからだから、そうね。四年くらいかしら。」 グラスの底に沈んだサクランボを取り出して、私はそう言った。 「それにしても変らないわね。」 「そう?」 「ええ、むしろ若返ったみたい。」 照れくさそうに、彼は目にかかった前髪を指でかきわけた。その爪に塗られたマニュキュアもまた、
バッファロウ・ビルは 死んで、ない。 長い髪を ふり乱し とつぜん 椅子からなだれ落ち あ゛ぁ゛、と呻きながら、 いちにさんしご ぴく、ぴく、と 痙攣し、 唇の色がうすくなって やがて、目を見ひらいた。 みんな立ち尽くし やって来た救急隊が、 担架に乗せて 運んでいった。 ぼくはふるえた。 だって、不意にひとが 死ぬときっていうのは、 こうなのかと、 思った
「ねえ、こんな手紙が届いたんだけど、どう思う?」 ***** 拝啓、ツヨシ殿 貴殿の注文されたプレゼントを届けたく候。つきましては十二月二十四日のクリスマスイヴの夜には、必ずご在宅願いますよう、強く所望いたす次第であります。尚、貴殿がご不在の場合には、プレゼントは授与致しかねますので、その旨予めご了承願います。 「なにこれ?」 「え、サンタからの返事さ。」 「なんでサンタからの返事があなたに届くの?サンタに手紙でも出したの?」 「うん。」 「なんでいい大人がサン