ソ連最後の夏の旅⑨モスクワ
とうとうモスクワです。クーデター政権が倒れた翌日、赤の広場は大騒ぎでした。
夜行列車で祝勝会
外務省から「帰国せよ」と言われたものの、エリツィンら「民主派」がヤナーエフら守旧派に勝利し、晴れてモスクワへ行けることになりました。ウラー。というわけで、夜行列車のコンパートメントで祝勝会。グルジアで買っていたワインが、ポン、ポンと開けられます。それ、お土産に買っていたやつ?いーの、いーのと振る舞われ、さらに気が大きくなった人がお土産だったはずのアルメニアコニャックを開けてしまいました。
グルジア、今は「ジョージア」という名前ですが、ここのワインは社会主義のソ連時代にあっても美味で有名でした。グルジア出身のスターリンもずっと愛飲したそうです。ソ連が崩壊し、ロシア人が悲しんだのがグルジアワインを気軽に飲めなくなったことだとか。今では世界的に有名になり、日本でも手に入れられるので、ぜひご賞味ください。
死んでもタンクは通さない!
早朝、バスで市内へ向かいますが、道路はひどい渋滞でした。道の入口にあるバリケードの残骸が通行の邪魔をしています。バリケード代わりのトラックや車が道端に放置されていました。ペンキでデカデカと「死んでもタンクは通さない!」と書かれています。いや、車は通してくれよ。
観光タイムでは、「モスクワの竹下通り」と称されるアルバート通りへ向かいました。が、道路には車が溢れかえり、バスが渋滞にはまって動きません。30分ほど缶詰になり、こうしていても仕方がない、と解散。バスを降りて行きたい所へ散りじりになりました。私は友人とともに、メトロに乗ってモスクワの中心「赤の広場」へ。
勝利集会に遅刻する
赤の広場の程近く、「モスクワ・ホテル」あたりが騒がしい。ホテル前の広場は、人、人、人。レニングラードの比ではありません。さすが首都です。
大音量で放送が流れていますが何が起こっているのかさっぱりわかりません。ロシアの旗が掲げられ、人々はロシアの小さな旗やバッチ、エリツェンの写真を掲げ、厳しい顔で話を聞いています。レニングラードは割とゆるく、話しかけるとフレンドリーに答えてくれましたが、ここはなんとなく冷たい。たどたどしくロシア語で話しかけ英語を話す人を探すも、目をそらされるか、ロシア語で早口に何かを言いうか。見かねた学生っぽい人に、「エリツィンが勝利宣言をしたよ。もう終わっちゃったけど」と言われました。残念。
赤の広場で、「ロシア」が出現
人の流れに乗ってだらだら歩いていると、ガトーショコラにクリームが乗ったような「歴史博物館」に到着。ここが、「赤の広場」の入口です。
赤の広場は、国威発揚のため戦車がパレードをするぐらい広いのですが、そこを埋め尽くすような大群衆。クレムリンの壁の方に寄って見物していると、突如、「ロシア!ロシア!ロシア!」の大喚声。そして、差し渡し100mぐらいのロシア共和国の旗を持った行列が現れ、モーゼのように人の波が分かれました。
それは、まるでソ連が壊れて新しいロシアが現れたような光景でした。
旗を持ったデモは、聖ワシリー寺院の方へ消え、寺院の鐘が高らかに響きました。そして再び、「ロシア!」と叫ぶ行列が引き返し、人々が拍手と大歓声で迎えました。サッカーのサポーターが熱狂的に勝利を喜んでいるような感じでした。
ソ連のアイスクリーム
しばらく私たちも手を叩いて歓声を送りましたが、熱気に当てられぐったりしたので、近くの公園で休みました。同じように疲れたのか、警官たちがベンチにずらりと座って、ほのぼのとアイスを食べていました。赤の広場で無許可デモが行われたのは、史上初めてのことだったそうですが、警備をしていた警察官にあんまり緊張感はありませんでした。
ソ連のアイスクリームは、まろやかな甘さとコクがあってとても美味しい。そして安いのです。コップ代わりの底が平らなモナカに入っているパターンと、アイスクリームバーの2種類。そして社会主義らしく、どこでも同じものが食べられました。残念ながらソ連の崩壊とともに、消え去ったそうです。
8月22日の動き
午前
2時55分 ゴルバチョフ大統領がモスクワ・ブヌコヴォ空港へ到着
午後
12時 エリツェン・ロシア共和国大統領が勝利演説を行う
夕方 ゴルバチョフ記者会見
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勝利集会で気が大きくなった群衆は、夜中、とんでもないことをしでかしました。