知性を計るものさしが足りてない
飛び上がる程面白かった回↓
コテンラジオ 番外編#74
言語化出来ない知性や認知されていない知性について
言語領域を司るもの(文章読解や作成、論理的思考力のような)を知性と考えがちで、それが得意な人が全体の仕組みを作っているから、
言語領域外の知性を持つ人の才能が社会で循環せず勿体ない、という話。
ブログ→Twitter→Instagram→TikTok とどんどん言語から遠ざかっていて、
知性レベルが下がっている、と指摘する人が居る。
しかし、
「映像領域での知性」が存在することを現代社会で評価出来ていない&認識できていない、だけのこと。
さらに
「言語領域の知性」はレバレッジが効きやすく、大きく評価されやすい。
しかし実際は知性の種類は多種多様~
みたいな感じで、おもしろっっっとなりました。
ストレングスファインダーで、慎重さが1位と出た時に、
「それのどこが才能なの?」と思った時に似ています。
まさに、
言語領域が得意なので勉強もそこそこ出来ているので(言語領域を知性とする学校教育内では)賢いように見えがちな長女。
でも彼女はとっても音痴。
手先は器用だし、目で捉える力があるので
ピアノの譜面を読むのが得意故に、練習すればそこそこ弾ける。
一方、
「学校の勉強系は全くだめだろうな、、」と思わされる三女。
甘えん方でわがままではっきりものを言えない。
でも何とも言えず愛嬌たっぷりで、人を笑顔にするセンスがある。
手先は不器用だけど、ウォールクライミングがやけに上手い。
長女は賢くて三女は賢くないな、と思っていたけど、
それは私が「知性とは言語領域に関することオンリー」と言う前提条件の上に考えを構築していたからであって、
実際のところ、知性とは並列で多種多様である。
才能はたくさんある、と聞くことはあったけど、
知性もたくさんある、というのはとても面白い視点でした。
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