「禾乃登」
職場に届いた文書を見ていたら、その中に見慣れない時候の挨拶で始まるものがあった。
「禾乃登の候、〇〇〇〇…」
何だこれ?何て読むんだ、これ?
見たことも聞いたこともない。想像すら出来ない。
読めないから辞書も引けないし、ネットで検索も出来ない。
仕方ないのでスマホを取り出して件の3文字を撮影。グーグルフォトで文字として抜き出し、ブラウザにコピペして検索してみる。
これぞ今のところの最新兵器だ。便利な世の中になったものだ。
で、読み方は判った。
「こくものすなわちみのる」 え?たった三文字でそんなに読むの?
意味も調べてみる。
どうやら暦に関わる言葉のひとつらしい。ネットで複数のサイトを閲覧してみたが、七十二候の一つで、二十四節気の処暑の末候にあたるもの、とのことだ。
良く解らないが…
ただ、そう言われてみれば確かに、「禾」には「稲」の意味があるし、「登」には「実る」という意味がある。「乃」は接続助詞として、「禾乃登」とは「稲穂が実る」という意味にとれる。
まさに秋向きの時候の挨拶じゃないか。
でも、その理解では本質的な理解とは言えないのだろう。
暦、それも明治以前の日本で常用されていた暦のことを知り、昔ながらの文化や生活様式を踏まえてこそ、本当の意味での理解に至るのだと思う。
そもそも、私の年代だと(正確に言えば「私の年代を含めた近代以降の年代」?)一般的には暦と言えば太陽暦(グレゴリオ暦)だ。
特別な場面では明治以前の太陰暦(正確には太陰太陽暦?)の名残りもあるけれど、日常生活では概ね太陽暦が使用されている。
だから、突然「七十二候」だとか「二十四節気」だとか言われても、言葉として耳にしたことがあるという程度で、正直まるで理解していない。
まして「禾乃登」と書かれても、読めず解らずだ。
そもそも。「七十二候」だって「ななじゅうにこう」と読んでしまうし、「二十四節気」は「にじゅうよんせっき」と読んでしまう。
だから、「こくものすなわちみのる」という答えには、アプリの力を借りてやっと辿り着くという体たらくだ。
特別に詳しい訳でも何でもないが、日本語は大好きだし日本の文化も大好きだ。
いろいろな疑問についてクイズ王の如く即答出来れば、それが理想というものだろう。
いい加減な年齢になってしまったけれど、まだまだ学ぶことだらけの人生だ。
今回の「禾乃登」については、今後自発的に使うようになるとは思えないレアな言葉だし、知らなくても読めなくても実害がある訳ではないけれど、知らないことへの寂しさは自分的にはそこそこ重い。
いや、それが実害なのかもしれない。
美しい日本語を正しく使いたい。細やかなようでいて相当にハードルの高い願いだ。
ちなみに、さっき使った「体たらく」という言葉だって、語源は解らないし「為体」とも表記出来ることも忘れてしまっていた。
あーでもない、こーでもないと言ってるうちに、普段何気なく話している中にも、何気に説明不能な言葉や表現が含まれていることを知る。
ひとつ学んだ。