杉本真維子さんの詩を好きになったきっかけ
草間です。
第31回萩原朔太郎賞を受賞された杉本真維子さんの展示が前橋文学館で開催されており、夏前にお手紙をいただいてから、行きたい行きたいと願っていたものの、仕事や転職や自治会役員や地域の祭りや子どもの行事やといった生活に押されに押され、「この日に万難を排して行く!」という強い意志で、会期の終盤にあたふたと駆け込んできました。
夏にはイベントや講演などもあり、できればタイミングを合わせたかったのですが、いざ行ってみると一人で贅沢に展示を見て回ることができ、これはこれで良い時間を過ごすことができたような気がします。
杉本さんの詩を好きになったきっかけは、ずいぶん前に『現代詩手帖』に掲載されていた「エーデル」という詩を読んだこと。
人を魅了し時に命までをも奪う美しい家、エーデルと過ごした時間が元住人の視点で描かれています(最新詩集『皆神山』に収録)
これを読んで思い出したのは、私がまだ小学校低学年の頃、なぜかいつも引き寄せられていたシンシアという店のショーケースでした。
シンシアは、青葉台の駅ビルにかつて入っていた雑貨店。ピアノのレッスンや図書館通いの帰りに、母と訪れていました。
そこには、売り場とは別に小さな階段を数段上がったバルコニーのようなショーケースがあり、青と白のタイル貼りの小部屋に白いバスタブやドライフラワーが飾られ、いつでもいいにおいがしていました。当時の私は、しきりに手のにおいを嗅ぐ癖が治らず、いいにおいというものを絶対的な正義のように感じているところがありました。
本来、人が入れるスペースではなかったそこに、私は華奢な体をねじ込み、母の買い物が終わるまで、そこでしゃがんでぼんやりと時を過ごしていたのです。
店員さんからも母からも特に咎められることはなく、バスタブと白い鉄柵の間でひとりじっと座っているだけなのに、何かに見守られているような、無言の会話をしているように気持ちになりました。
「さぁ、帰るよ」と母から声をかけられたその瞬間、そんな会話の内容は綺麗さっぱり忘れてしまうのですが。
詩に書かれた部屋とは何ひとつ関係のない場所なのに、人ならざるものに魅入られた経験が思い起こされたことが印象的でした。シンシアのショーケース。あの空間に宿る何かと、たしかに心を通わせていた時代が、私にはあったように思うのです。
展示室内には、「エーデル」についての解説が書かれたパネルもありました。読んでしまうのが怖くて、他の詩やエッセイの展示をじっくり見てから、最後にそれを読みました。
読みながら、杉本さんは、(わかっていたことではあるけれど)ただ言葉を弄してパズルのように技巧を凝らした詩を制作する詩人ではなく、地に足つけて思考する生活者なのだという思いを新たにしました。
文学館に思潮社の現代詩文庫『杉本真維子詩集』の取り扱いがあると聞いていたのですが、入館して真っ先に売店へ向かうとまさかの品切れ。
がっかりして展示を見終わり、退館しようとしたタイミングで、売店の方が小走りでやってきて、
「たった今! 入荷されましたよ!」
と。運良く購入できたことはもちろんですが、呼び止めるために走ってきてくださったその方の気持ちがうれしかったです。
たまに、あのシンシアのショーケースはどうしているかな、と感じることがあります。
もうかつての場所に店舗はなく、シンシアという雑貨店すら今は存在していないようなので、移設された末に取り壊されたのでしょうが、なぜかまたシンシアと出会う日が来るような気がしている。
★最後に、私の第二詩集『源流のある町』に収録した詩「シンシア」を載せておきますね。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?