否定だけはしない人間であれ。
※この記事はLGBTQに関する内容を含みます。不快な思いをされないよう自己判断の上、ご拝読いただければ幸いです。
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先日、とあるお店で買い物をしていた。そこは少し高級なスキンケア商品などを取り扱っているお店で、自分は名前は知っていたけど入ったことはないお店だった。お店の前を通りがかったとき、そろそろ恋人との記念日だからここでプレゼントを買おうと思って店に入った。
お店に入るや否や、店員さんが親切に話しかけてきてくれて「どんなものをお探しですか?」と聞かれたので「恋人へのプレゼントでも買おうかなと思っていまして」と答えると「そうなんですね~、ちなみにお贈りするお相手は男性ですか?女性ですか?」と聞かれた。「え、あ、女性です」と返事をし「それでしたらこういった香りのものはどうでしょうか?」とプレゼントを提案してくれた。あまりにも自然で少し感動してしまった。
すごく傲慢な考えかもしれないけど、自分は今の世の中では一般的な異性を好きになる人間だからこそ、さまざまな恋愛感情の在り方を理解したいと思っていた。でも、世の中は少しずつだけど、思ったより多様性を受け入れるようになっているのかもしれなくて、むしろ今回のようなことを特別に捉えてしまった自分は遅れているのかもしれないとすら思ってしまった。
少し話は変わるけど、以前地元の友達と遊んだ時に「そういえば○○(高校の部活仲間)って今、風俗で働いてるんだよ」と言われた。別の友達が「男性用?女性用?」と聞くと「男性用」と答えた。全然知らなかった。確かに特別仲が良いかと言われるとそうでもなかったけど、それでも同じ部活で過ごした中で、だけど自分は彼のことを何も知らなかったんだなと思った。今も人づてで彼の話を聞いただけで、彼が本当は男性が好きなのか女性が好きなのかも、どうして風俗で働くことを選んだのかも、何一つ知らないままだけど。
その話を聞いたとき自分はちゃんと覚えていないけど「いいなあ」と言ってしまった気がする。恐らく何を言えばいいのか分からなくて、そうゆうのに理解がありますよみたいなふりだけして、「夜職は稼げそうだもんね」みたいな、そんなことを言ってしまったことをすごく後悔している。
これは理解とかじゃなくてただの思考放棄だと、今では思う。でも理解と思考放棄の違いはなにか自分でもよく分かっていない気がする。分からない、でも分からないからこそ考えるのかもしれない。少なくとも、理解できないことを否定することだけはしない人間にはなりたいと思う。理解することはその先にあると思うから。